ヤマト王権なんだわ (940レス)
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137: 2024/01/08(月)08:09:02.81 AAS
日本歴史地名大系で道奥国建置当初は福島県全域が道奥国に含まれたという記述と常陸国から菊多郡を割いて石城国を建てたという矛盾した記述があるんだけどこれってどっちが正しいの?
170: 2024/01/13(土)11:06:19.81 AAS
朝鮮系渡来人が入植しやすい場所が関西だっただけ
縄文時代中期の人口・・・北海道を除く日本列島の人口は約26万人。うち西日本はわずか2万人程度で、全人口の7.7%に過ぎなかった。東日本は24万人、全人口の92%を占めていた。
472: 2024/04/23(火)14:31:24.81 AAS
北部と畿内を混同する筈ない
476(1): 2024/04/24(水)15:42:42.81 AAS
記紀は藤原氏のファミリーストーリー
616: 2024/07/29(月)00:42:30.81 AAS
ただ、ぜんぜん足らんのよ
マジで明日上げんじゃねーの?
825: 2024/11/22(金)22:52:43.81 AAS
弥生後期、晩期に高床式住居に住めたのは首長だけやで
851: ネトウヨ撲滅隊! 01/01(水)12:00:01.81 AAS
宮内庁が治定した垂仁陵と景行陵は宝来山古墳と渋谷向山古墳だが、従来これは年代が合わず逆ではないかと言われていた
しかし近年の研究では宝来山の方が渋谷向山より古いという見解になってきており、記紀の伝承の方が正しかったという事が分かってきた
これは逆説的に崇神・垂仁・景行の存在が証明された形になるわけで、崇神陵は宮内庁の治定どおり行燈山古墳で良いという事になる
崇神は考古学的な証拠から三世紀後半に生まれて四世紀初頭に崩じた大王と推測できるわけだ
三世紀半ばに造られた百襲姫陵(卑弥呼の墓)と崇神陵の間に西殿塚と桜井茶臼山とメスリ山という三つの大王墓が造営されている
つまり卑弥呼と崇神の間に三人の大王がいた
西殿塚を台与の墓とする意見もあるが、台与は十三歳で即位しているから、もし西殿塚を台与のものとするならば、彼女は早逝した人物という事になる
記紀ではハツクニシラススメラミコト(崇神)が初めて纏向に都したと伝えているが、実際は二世期末から纏向の造営は開始されていることから、初めて纏向に宮を定めた大王は崇神ではなく、もう一人のハツクニシラススメラミコトつまりヤマト王権の初代王だったのだろう
百襲姫に神託を聴いたと伝承される大王も崇神ではなくヤマトの初代王の間違いだろう
そうすると百襲姫=卑弥呼で矛盾は全くなくなる
854(1): 01/01(水)15:51:08.81 AAS
>>850
>吉備人が上記2つの古墳築造に関わった
→倭人(阿波勢力)が2つの古墳築造に関わった。 @阿波
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