なぜ鎌倉幕府は滅びたのか (539レス)
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30
(1): 2024/01/31(水)01:57 AAS
天皇は国家元首の他に「神道の最高位・祭主」としての顔を持っています。
31
(1): 2024/01/31(水)02:09 AAS
>>30
その属性の線上に天皇の特異な本質がある。

各国の王や皇帝は国内の対立構造を「破壊」「克服」或いは「止揚」した所に初めて存立し得る。
本邦の天皇はアプリオリな存在として対立を「無化」してしまう。
七百年に及ぶ軍政時代も含めた千三百年もの時間を天皇なる存在が生き抜いた理由がここにある。
 
32
(2): 2024/01/31(水)15:27 AAS
>>28
鎌倉幕府軍は朝廷軍と戦って勝利したけど、朝廷を解体せず、皇族を死罪にしなかったのも謎
33
(1): 2024/01/31(水)19:49 AAS
そんな発想起きるきっかけないからね。上皇島流しは保元の乱で既にやってるから。
34
(1): 2024/01/31(水)23:57 AAS
日本史の中で天皇、上皇、法皇を処刑した歴史は無いはず
皇子の中には何名か居るが、マッカーサーでさへ天皇処刑は出来なかった。

仏陀やムハンマドを呼び出して処刑するようなもの。
キリストは処刑されて神に成ったが。だからキリスト教世界には皇帝や王の処刑が多い。
35: 2024/02/01(木)00:06 AAS
天皇を処刑して一時的に政権執ったとしても、中流層、民衆がついて行かない。
神の祟りじゃと暴動が起きてカオスな世界に成るだろうな。政治どころじゃ無いだろ。
36: 2024/02/01(木)00:18 AAS
ま、神世の昔から天皇の周りには利権者、ディープステートたちが蠢いてて
事前に動いて首謀者たちを物理的に処刑してゆく。蘇我氏や織田信長、明治維新がいい例。
37: 2024/02/01(木)18:06 AAS
御家人の人信が離れていったから
38: 2024/02/01(木)18:08 AAS
得宗家への不満
39: 2024/02/01(木)20:47 AAS
 将軍と御家人は「御恩と奉公」の関係で結ばれています。
1221年の承久の乱では、御家人は団結して幕府のために戦って勝利し、
幕府も御家人の働きに対して領地を分け与えるなど、恩賞でこたえました。

 しかし、1274年(文永11)と1281年(弘安4)の
2回にわたり行われた蒙古 (元)の日本侵略。費用の自己負担で幕府への不満の高まり
この戦で領地を得た訳じゃないので領地などの恩賞が与えられない。
40: 2024/02/01(木)20:47 AAS
 1297年(永仁5年)「永仁の徳政令」を鎌倉幕府が出した、「御家人」の「土倉」への
借金を帳消しにし、担保を所有者の御家人へ返還させる法令を出したが効果は薄かった。

 で御家人の不満は高まる一方。
元弘の乱、1331年が起き鎌倉幕府打倒を掲げる後醍醐天皇の勢力と、
幕府及び北条得宗家の勢力の間で行われた全国的内乱で遂に鎌倉幕府は滅亡へと。
41: 2024/02/01(木)20:59 AAS
浅いなあ。
何故その状況が発生したか、何故その挙動が可能だったか、
構造的に考えなければ何も見えては来ない。
 
42: 2024/02/01(木)22:00 AAS
北条氏が安定を求めて自家とその取り巻きに権限を集中させたら、それによって発生した歪みで滅んだわけだから、本来は単なるトップの挿げ替えだけで済んだはずなんだが、そこに謎のカリスマ後醍醐天皇が時代をかき回しまくったおかげでカオスになっちゃったんだよね。
43
(1): 2024/02/01(木)22:15 AAS
北條高時や後醍醐天皇が殴り合って勝負したわけじゃない。
厖大な数の実働部隊、即ち「民」が動いたわけだ。
特に反幕・倒幕側のそれについて第一義として考えればならないのは、
「彼等の動機は何か」「何故それが可能だったか」ということだろう。
そこに切り込むことによって本質が見えて来る。
十四世紀から十七世紀初頭までの列島社会の遷移--その中の一事象として「鎌倉幕府倒壊」がある--を一括りのものとして俯瞰しなければならない所以がそこにある。
44: 2024/02/02(金)03:44 AAS
ハインリッヒの法則
1の重大案件と10の案件と300のヒヤリ案件の法則から考えるに
史料に乗らないような不満がたまってたんだろうな
45: 2024/02/02(金)20:10 AAS
長崎円喜が大河ドラマ太平記言ってたが
朝廷公家は我ら武家よりはるかに広大な所領を持っていて官の長を独り占めにしていると

ようは朝廷の方がはるかに金持ちだったってこと
46
(1): 2024/02/02(金)20:19 AAS
「院政」の正体、上皇・法皇はなぜ日本を支配できたのか?
荘園の乱立による皇室財政の窮乏に直面した朝廷は、たびたび荘園整理令を出しました。
手続きに疑問点のある荘園の認可を取り消して、国庫収入の回復を図ろうとしたのです。

でも、天皇がいくら意気込んでも、実際に許認可を司る政治家(=貴族)たちが、
荘園の既得権益層なのですから、うまくゆくはずがありません。
47
(2): 2024/02/02(金)20:21 AAS
 こうして、荘園整理令がなかなか効果をあげない中で皇位についたのが、白河天皇です。
彼は、逆転の発想で問題を解決する方向に踏み出しました。

貴族たちが、法の網の目をかいくぐり、抜け道をさがして資産形成にはげむのなら、
自分(天皇家)も同じことをすればよいのだ、と。
48
(1): 2024/02/02(金)20:23 AAS
 ネックになるのは「天皇」という、個人資産を持てない立場です。
そこで白河は天皇という公職を退いて上皇、つまり隠居した私人になりました。
そして、寺を利用することを思いついたのです。

天皇が寺に関われば公務・国務ですが、私人である上皇が、自分の信心で寺を建てる分
には政治的制約は生じません。その寺に荘園を寄付させて、自分の財布にするのです。
要するに、宗教法人を隠れ蓑にした蓄財みたいなものです。
49
(2): 2024/02/02(金)20:25 AAS
 さらに、上皇が出家して法皇となれば、
自分で寺を持とうが運営しようが、誰にも文句を言われる筋合いはありません。
新法を制定することも、律令という不磨の大典を改正することもなく、
白河法皇は莫大な資産群を形成することに成功しました。
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