「邪馬臺国(ヤマトコク)」は阿波だった!? IIIβ (566レス)
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82(1): 03/24(日)05:53:26.60 AAS
阿波には何もない
131: 03/29(金)01:15:23.60 AAS
ヘヤーデコスケターしょま
下がってるからあげます
170(1): 伊太乃に居たの ◆oRNQXnZmlfa1 05/11(土)20:51:52.60 AAS
訂正
大体の顛末は下記URLのような感じでした。
記事中には「剣山の南」と有りますが、正しくは「剣山の北」です。
外部リンク[cgi]:maizoukin88.info
203: 06/25(火)00:26:17.60 AAS
魏志倭人伝の邪馬壹と違う国で、畿内と関係のあった国ならば、名称は知らないが、あっただろうと思うが、
252: 07/14(日)00:13:54.60 AAS
明日は上がるいつもの
363: 07/31(水)18:46:09.60 AAS
>>280
何か違くないか
よく分からんけど
時速120キロのところは分からんけど
393(1): 08/05(月)11:47:31.60 AAS
畿内説は、纏向の大型建物を卑弥呼の宮殿だと主張する。しかし、卑弥呼が共立してから大型建物の完成までには約30年の期間が必要だったと考えられる。このことから、その間の纏向は卑弥呼の都ではなかったことになる。では、その30年間、卑弥呼はどこで暮らしていたのだろうか。
生涯をかけた卑弥呼の居場所の探索を行った寺澤薫氏は、『卑弥呼とヤマト王権 (中公選書)』の中で、「卑弥呼が伊都国の王統に連なる女性だった可能性も排除できない」と述べている。そして、他の可能性については一切触れていない。これで答えが出た、と寺澤氏に感謝したい気持ちもあるが、卑弥呼が伊都国から纏向へ行ったという確固たる証拠は存在しない。卑弥呼は生涯、伊都にいたのではないだろうか。
396(1): 08/06(火)19:52:11.60 AAS
>>393
寺澤薫さんの『卑弥呼とヤマト王権』では、卑弥呼が伊都国の王統に繋がっている可能性があるとされています。確かに、伊都国は当時、かなり大きな勢力を持っていた地域ですから、卑弥呼がそこで育ったという可能性は十分考えられます。しかし、伊都国から纏向へ移動したという確固たる証拠がないのは気になります。
479: 08/24(土)03:00:30.60 AAS
>>251
四十代以上の違法有害情報の通報窓口(PC)
これが普通で
ほぼ間違いない
529: 伊太乃に居たの ◆oRNQXnZmlfa1 10/15(火)07:07:30.60 AAS
岐阜の神社にあるとある井戸・・・。
画像リンク[jpg]:ogaki.exblog.jp
規模はともかく、飛鳥宮の大井戸に雰囲気は似てませんか?
557(1): 伊太乃に居たの ◆oRNQXnZmlfa1 11/05(火)21:34:13.60 AAS
第79回邪馬台国は阿波だった⁉「籠の中の卑弥呼」大国主と天日鷲神は同一神!?徳島はやっぱり神話の舞台だった。。神話、卑弥呼・・徳島はやっぱりすごかった!
動画リンク[YouTube]
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