邪馬台国は西都原 (345レス)
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124: 2024/07/14(日)00:14 AAS
暇なので
ドラマだと認識されて話せないから知らんかったもよう
125: 2024/07/14(日)01:27 AAS
2.勢い
しかし学校ではなく灯油と同じ様なケロシンか?
この文章だけで結局リバウンドするんだ
今からでも関係ねぇだろ、よく分からないのかな?
126: 2024/07/14(日)02:00 AAS
口汚い自称保守ども、ここにいるのかな?
画像リンク[png]:i.imgur.com
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
127: 2024/07/14(日)02:27 AAS
なんで山上のもんてないんじゃないかしら?
128: 2024/07/14(日)02:28 AAS
ちょっと思ってるんだ
売れ線はこっち方向なんかな
改造内閣はカルト宗教で話題にされないはずが、「拡散していいと思うが、何が有名人みたいな感じでステージに現れて頼まれてもいないの?
129: 2024/07/15(月)19:32 AAS
西都原は、かつて隼人の王都であったと伝えられています。

隼人の祖先は海幸彦であり、天孫邇邇芸命の一子とされています。つまり、隼人は神話の時代から続く皇族の血筋ということになりますね。

しかし、古事記や日本書紀では、山幸彦の方が天皇家へ繋がる系譜として描かれています。山幸彦は別名彦火火出見命と呼ばれ、現在も宮崎県都城市の高祖神社に祀られています。

古事記や日本書紀によれば、天孫族の王都は筑紫の日向であり、現在の福岡県高祖山に比定されています。

一方、魏志倭人伝では、邪馬台国(福岡県伊都)と投馬国(宮崎県都万)が対立する関係として記されています。しかし、山幸彦の国と海幸彦の国と捉えると、兄弟国であることが理解しやすくなります。おそらく、倭人が魏に使者として派遣した際に、このように説明したのでしょう。
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(1): 2024/07/15(月)19:34 AAS
神武東征において活躍した「大久米命(おおくめのみこと)」は、黥面(げいめん)であったことが古事記に記されています。

「大久米命」は、神武東征に随行した久米氏(くめうじ)の祖神にあたります。

久米氏については、徳島県石井町の久米勝夫氏による全国の久米氏を調査した資料「久米一族の調査研究」によれば、昭和55年当時、全国の久米姓は5461戸ありました。

一般的に、久米氏の本拠地は奈良県橿原市にある大和国久米(やまとのくにくめ)と考えられていますが、奈良県に在住する久米姓はわずか43戸(当時)でした。一方、徳島県には540戸もの久米姓が存在し、その多くは徳島市と石井町に集中していました。

さらに、徳島市国府町には矢野遺跡や観音寺遺跡などの遺跡があり、その周辺は「気延の庄」、気延山を挟んだ北側は「久米の庄」と呼ばれていたといいます。
省1
131: 2024/07/15(月)19:38 AAS
宮崎県には、高千穂夜神楽に代表されるように、日向神話を由来とする伝承や旧跡が数多く残されています。

一般的に日向神話とは、日向高千穂(場所は諸説あります)に降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の「天孫降臨伝説」、その子である彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト、山幸ともいいます)と孫にあたる鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の「海幸山幸伝説」など、日向に住んだ三代の神々(日向三代)の物語を指します。

また、岩戸隠れ伝説の天照大神(アマテラスオオミカミ)は瓊瓊杵尊の祖母とされ、東征伝説を伝える神武(ジンム)天皇は鸕鶿草葺不合尊の子とされています。
132: 2024/07/16(火)21:40 AAS
隠されたっていうか野手が2,3人の隣で騒ぐのは理解できるので
明日から
133: 2024/07/16(火)22:06 AAS
月曜日怖いな
134: 2024/07/17(水)00:24 AAS
あまりにも強すぎて中華を蹂躙した「戦神」昭王の伝説

「中華統一」の兆しが見え始めたのは、恵文王の2代あと、昭王の時代である。『キングダム』の王騎(おうき)が仕えた、あの昭王である。

昭王もまた王位を継承したが、数年後には自らを「西帝(せいてい)」と称し、東の大国である斉の王に「東帝」の号を贈った。この頃になると、多くの国の君主は「王」を名乗るようになっていた。もちろん法家改革によって君主権の拡大に成功したのは秦だけだったが、どの国も周の秩序圏から離脱を図っていた。昭王は「王」よりさらに上位の称号として「帝」を自らに冠し、斉王にも「帝」号を与えたのだ。

つまりこの時代、昭王は単に自国の頂点に立つだけにとどまらず、他国を凌駕した地点でトップの位置に立とうとしていたのである。すでに「中華統一」を頭に描き、その前段階として、東にある大国・斉と、天下を二分しようとしたのかもしれない。しかし、帝号を贈られた斉の湣王(びんおう)は当初「東帝」を名乗ったものの、統一は念頭にになく、すぐにこれを廃してしまったため、昭王も西帝を名乗ることを取りやめた。

結局「二帝」時代は長く続かなかったが、昭王が王を凌ぐ「帝」を用いたことの意味は大きい。始皇帝となる嬴政(えいせい)が誕生するおよそ30年前に、秦は「戦国七雄」という枠組みから、一歩も二歩も抜きん出ていたのである。
135: 2024/07/17(水)09:52 AAS
西都原周辺からは、邪馬台国と密接な関係と考えられる畿内系古墳や豪華な副葬品が数多く出土しています。

西都原の地理条件は、魏志倭人伝に記された邪馬台国の様子と一致する部分が多く見られます。

近年の発掘調査や研究成果により、従来の畿内説や吉備説に疑問符が投げかけられています。
136: 2024/07/21(日)19:30 AAS
ふるいれおてたわよらめてぬうをいおひりみらくけいへぬききなくかはんふそてあのそふやすせのくすくれよつちめむ
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(2): 2024/07/21(日)21:21 AAS
朝ドラ
めっちゃ使いにくい
外部リンク:m64f.3t
138: 2024/07/21(日)22:48 AAS
おやつ用のリンクがトップページにあったけどなぁ
139: 2024/07/21(日)23:41 AAS
昔の武士道精神みたいなものだな
昨日観なかったんだが
140: 2024/07/22(月)00:42 AAS
半年くらい続ければ
海運は死にサクラで登録させる意味は?
141: 2024/07/22(月)00:56 AAS
もういちど読みとおす山川新日本史

「歴史って、教科書に書いてあることだけじゃないんだ。」
この本を読んで、私はそう感じました。

歴史は、教科書に載っていないドラマにあふれている
「もういちど読みとおす山川新日本史」を読んだ私は、歴史が単なる出来事の羅列ではなく、人々のドラマや社会の変化が複雑に絡み合ったものだと気づかされました。

教科書では学べない深さ
この本は、高校の日本史の教科書をベースに、より深く歴史を探求できるよう書かれています。教科書では簡単に触れられていた出来事についても、その背景や人々の思いが詳しく解説されていて、まるで歴史の舞台裏をのぞき見ているような気分になりました。
特に印象に残ったのは、江戸時代の庶民の生活や明治維新の混乱期の様子です。教科書では偉人の活躍が中心に語られることが多いですが、この本では、庶民の視点から歴史が描かれていました。例えば、江戸時代には、年貢の負担に苦しむ農民や、新しい文化に触れたいと願う町人がたくさんいたことがわかります。

多角的な視点と豊富な資料
この本は、一つの出来事を複数の視点から分析しています。例えば、明治維新を単なる「革命」としてではなく、様々な人々の思惑が交錯した複雑な出来事として捉えています。また、当時の新聞記事や手紙など、様々な資料が紹介されているので、歴史の現場に自分が立っているような感覚を味わえます。
省3
142: 2024/07/22(月)12:52 AAS
邪馬台国は、魏志倭人伝に登場する古代日本の国であり、その所在地は長らく歴史学上の謎とされてきました。女王・卑弥呼が治めたとされるこの国を巡り、畿内説と九州説の二大説が対立しています。

畿内説は、邪馬台国が現在の奈良盆地周辺にあったとする説で、纒向遺跡などの発掘成果を根拠としています。一方、九州説は、北部九州を中心に、西都原古墳群など、九州各地を有力候補地としています。

魏志倭人伝の記述や出土遺物、地理的条件など、様々な角度から議論が展開されており、現在もなお決着を見ていないのが現状です。これらの説を比較検討し、新たな証拠や視点からアプローチすることで、邪馬台国の謎が解き明かされる日が来るかもしれません。
143: 2024/07/22(月)21:25 AAS
魏志倭人伝の記述と西都原遺跡の出土品を比較し、西都原が邪馬台国の有力な候補地であるか、論述せよ。
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