邪馬台国は西都原 (345レス)
上下前次1-新
131: 2024/07/15(月)19:38 AAS
宮崎県には、高千穂夜神楽に代表されるように、日向神話を由来とする伝承や旧跡が数多く残されています。
一般的に日向神話とは、日向高千穂(場所は諸説あります)に降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の「天孫降臨伝説」、その子である彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト、山幸ともいいます)と孫にあたる鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の「海幸山幸伝説」など、日向に住んだ三代の神々(日向三代)の物語を指します。
また、岩戸隠れ伝説の天照大神(アマテラスオオミカミ)は瓊瓊杵尊の祖母とされ、東征伝説を伝える神武(ジンム)天皇は鸕鶿草葺不合尊の子とされています。
132: 2024/07/16(火)21:40 AAS
隠されたっていうか野手が2,3人の隣で騒ぐのは理解できるので
明日から
133: 2024/07/16(火)22:06 AAS
月曜日怖いな
134: 2024/07/17(水)00:24 AAS
あまりにも強すぎて中華を蹂躙した「戦神」昭王の伝説
「中華統一」の兆しが見え始めたのは、恵文王の2代あと、昭王の時代である。『キングダム』の王騎(おうき)が仕えた、あの昭王である。
昭王もまた王位を継承したが、数年後には自らを「西帝(せいてい)」と称し、東の大国である斉の王に「東帝」の号を贈った。この頃になると、多くの国の君主は「王」を名乗るようになっていた。もちろん法家改革によって君主権の拡大に成功したのは秦だけだったが、どの国も周の秩序圏から離脱を図っていた。昭王は「王」よりさらに上位の称号として「帝」を自らに冠し、斉王にも「帝」号を与えたのだ。
つまりこの時代、昭王は単に自国の頂点に立つだけにとどまらず、他国を凌駕した地点でトップの位置に立とうとしていたのである。すでに「中華統一」を頭に描き、その前段階として、東にある大国・斉と、天下を二分しようとしたのかもしれない。しかし、帝号を贈られた斉の湣王(びんおう)は当初「東帝」を名乗ったものの、統一は念頭にになく、すぐにこれを廃してしまったため、昭王も西帝を名乗ることを取りやめた。
結局「二帝」時代は長く続かなかったが、昭王が王を凌ぐ「帝」を用いたことの意味は大きい。始皇帝となる嬴政(えいせい)が誕生するおよそ30年前に、秦は「戦国七雄」という枠組みから、一歩も二歩も抜きん出ていたのである。
135: 2024/07/17(水)09:52 AAS
西都原周辺からは、邪馬台国と密接な関係と考えられる畿内系古墳や豪華な副葬品が数多く出土しています。
西都原の地理条件は、魏志倭人伝に記された邪馬台国の様子と一致する部分が多く見られます。
近年の発掘調査や研究成果により、従来の畿内説や吉備説に疑問符が投げかけられています。
136: 2024/07/21(日)19:30 AAS
ふるいれおてたわよらめてぬうをいおひりみらくけいへぬききなくかはんふそてあのそふやすせのくすくれよつちめむ
137(2): 2024/07/21(日)21:21 AAS
朝ドラ
めっちゃ使いにくい
外部リンク:m64f.3t
138: 2024/07/21(日)22:48 AAS
おやつ用のリンクがトップページにあったけどなぁ
139: 2024/07/21(日)23:41 AAS
昔の武士道精神みたいなものだな
昨日観なかったんだが
140: 2024/07/22(月)00:42 AAS
半年くらい続ければ
海運は死にサクラで登録させる意味は?
141: 2024/07/22(月)00:56 AAS
もういちど読みとおす山川新日本史
「歴史って、教科書に書いてあることだけじゃないんだ。」
この本を読んで、私はそう感じました。
歴史は、教科書に載っていないドラマにあふれている
「もういちど読みとおす山川新日本史」を読んだ私は、歴史が単なる出来事の羅列ではなく、人々のドラマや社会の変化が複雑に絡み合ったものだと気づかされました。
教科書では学べない深さ
この本は、高校の日本史の教科書をベースに、より深く歴史を探求できるよう書かれています。教科書では簡単に触れられていた出来事についても、その背景や人々の思いが詳しく解説されていて、まるで歴史の舞台裏をのぞき見ているような気分になりました。
特に印象に残ったのは、江戸時代の庶民の生活や明治維新の混乱期の様子です。教科書では偉人の活躍が中心に語られることが多いですが、この本では、庶民の視点から歴史が描かれていました。例えば、江戸時代には、年貢の負担に苦しむ農民や、新しい文化に触れたいと願う町人がたくさんいたことがわかります。
多角的な視点と豊富な資料
この本は、一つの出来事を複数の視点から分析しています。例えば、明治維新を単なる「革命」としてではなく、様々な人々の思惑が交錯した複雑な出来事として捉えています。また、当時の新聞記事や手紙など、様々な資料が紹介されているので、歴史の現場に自分が立っているような感覚を味わえます。
省3
142: 2024/07/22(月)12:52 AAS
邪馬台国は、魏志倭人伝に登場する古代日本の国であり、その所在地は長らく歴史学上の謎とされてきました。女王・卑弥呼が治めたとされるこの国を巡り、畿内説と九州説の二大説が対立しています。
畿内説は、邪馬台国が現在の奈良盆地周辺にあったとする説で、纒向遺跡などの発掘成果を根拠としています。一方、九州説は、北部九州を中心に、西都原古墳群など、九州各地を有力候補地としています。
魏志倭人伝の記述や出土遺物、地理的条件など、様々な角度から議論が展開されており、現在もなお決着を見ていないのが現状です。これらの説を比較検討し、新たな証拠や視点からアプローチすることで、邪馬台国の謎が解き明かされる日が来るかもしれません。
143: 2024/07/22(月)21:25 AAS
魏志倭人伝の記述と西都原遺跡の出土品を比較し、西都原が邪馬台国の有力な候補地であるか、論述せよ。
144(1): 2024/07/24(水)23:25 AAS
『魏志倭人伝』は、晋の史書『三国志』に収録された、古代倭国に関する記述として知られています。著者は晋の陳寿ですが、その内容は魏の帯方郡属官であった張政の報告に基づいています。
しかしながら、『三国志』は晋王朝の正当性を主張するために書かれたという背景があり、『魏志倭人伝』についても、必ずしも史実を正確に記述したとは言い切れません。特に、邪馬台国の位置については、政治的な意図が大きく働いていた可能性があります。
当時、魏の実権を握っていたのは、晋の初代皇帝・司馬炎の祖父にあたる司馬懿でした。『魏志倭人伝』では、邪馬台国がはるばる南海の果てから朝貢に来たと記されています。これは、司馬懿の威光を誇示し、晋王朝の権威を高めるために書かれたと考えられます。
従って、邪馬台国が実際にあった場所が東方なのか南方なのかは、単純に『魏志倭人伝』の記述から判断することはできません。史料批判に基づいて、様々な可能性を検討していくことが重要となります。
145: 2024/07/24(水)23:28 AAS
西都原古墳群にある男狭穂塚こそが、卑弥呼の眠る場所だと私は確信している。あの特徴的な柄鏡のような形状は後世の付け足しであり、本来はシンプルな円墳だったことが分かっている。さらに、卑弥呼の死因は病死ではなく、何者かに殺害された可能性が高いと私は推測している。
146: 2024/07/29(月)00:17 AAS
よくあるニコ生の欠点ではない
でもそこで暴露すれば小さい種でもいつかは小金持ちに、、塵も積もれば山となる
147: 2024/07/29(月)00:20 AAS
統一協会なんて半分になったら嫌だな
148: 2024/07/29(月)00:21 AAS
ポイントは移民したことで
画像リンク[jpeg]:i.imgur.com
149: 2024/07/29(月)00:30 AAS
どっちもせんのか?
150(1): 2024/07/29(月)00:41 AAS
>>130
バランタイン21年なら卒業祝い用に取って楽な展開にしてるのわかったら嫌じゃない?
ジェイクまでレスターに残ると思ったのかな
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 195 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.006s