5世紀頃までの国境と守備軍事的長ヒナモリ Part1.1 (762レス)
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179(1): 03/03(日)23:33 AAS
韓国語で イネ は ピョ。コメ は サル だ。
まったく語源が違う。コメは南中国語に近い。
よってコメは朝鮮から来ていないし、朝鮮語と日本語は無関係。
これは日本語まったく解釈不可能だ。
イネが朝鮮から伝来したのなら、名称が似ているはずだ。
ぴょ、ぴょ と言われても、鳥の鳴き声を真似ているとしか日本人は理解しない。
反対に 馬 ウマ は古代インド=ヨーロッパ語の馬の名称である マー が入っている。
これは百済語のマールか、中国語のマーから日本語に入ってきたことがわかる。
180: 03/03(日)23:57 AAS
そう、
アジアにおける漆塗り丸木弓・長弓の起源に関する考察として、
太平洋周辺の長大な弓の分布はオーストロネシア語族の拡散域と重なり、
また中国南部の跨湖橋新石器時代遺跡から世界最古の漆塗り丸木弓が出土しており、
この浙江省にある良渚・河姆渡遺跡そば跨湖橋遺跡が漆塗り丸木弓の発祥地と云われる。
原始和弓を含めた太平洋型長大弓の共通祖形とも考えられている。
181: 03/04(月)00:33 AAS
Admixture研究で、古代南朝鮮人は縄文人と遼東人の混血という結果が出ている。
>だから、それは山口の土井ヶ浜弥生人限定、他の集団とは類似性はなかった。
そうしたら弥生人は山東省の古集団で決定だ。
弥生人と朝鮮人に遺伝子的な類似性があったという報告はない。
182: 03/04(月)00:50 AAS
外部リンク:kaken.nii.ac.jp
遼東半島では本格的な水田遺跡は見つかっていない。可能性があると言ってるだけ。
183: 03/04(月)02:05 AAS
ヒナモリではない
ヒノボリ(火登り)である。
184: 03/05(火)22:18 AAS
【殷の甲骨文字】
次に殷墟から出土した甲骨文字について見ていきます。
言語学者のガブリエル・マンデル氏は「幻のインダス文明」という書籍の中で、
殷中期の原エラム文字とインダス文字の比較研究を論述しています。
また、オーストリアの考古学者ハイネ・ゲルデルン氏も
殷の原エラム文字がインダス文字の一種であることを考証しています。
185: 03/05(火)22:21 AAS
甲骨文字とインダス文字に共通する特徴として象形文字と表音文字という
二つのグループから合成されていることを解説しています。
また、インダス文字が原エラム文字と非常によく似ていることは広く識られています。
甲骨文字の他に殷の青銅器銘文の大部分は図象によって占められています。
186: 03/05(火)23:08 AAS
AA省
187: 03/05(火)23:11 AAS
>結局、殷商王朝はシュメールやペルシャ・インダスからの交易商人が集う活動拠点だった。
漢字はいつ生まれたか?
殷王朝の時代(BC1,700〜BC1,100年)、
紀元前1,300年頃に生まれた(漢字のルーツ甲骨文字・インダス文字・原エラム文字)
外部リンク:blog.goo.ne.jp
上の写真は漢字の変化を纏めた資料
殷時代 BC1,700〜BC1,100年 甲骨文字
周時代 BC1,100〜BC256年 金文
秦時代 BC221〜BC207年 篆書
漢時代 BC202〜AD220 隷書、楷書、行書、草書
省1
188(1): 03/05(火)23:31 AAS
シュメール土器と縄文土偶(▽顔の像や母神像)のなかにソックリなのが有るので
可なり古くからの交流が有ったと思われる。
キプロス島文字にはカタカナ文字と同じ物がある。
黄河文明ともアンダーソン彩文土器や黒陶土器などがあり、
遼東半島の角付き無文土器などもある。
一番驚くのは日本の三種の神器神話とシュメール神話がそっくりで、
この勾玉が月神を表してることなどが解る。
189: 03/06(水)00:16 AAS
つまり、シュメール文明が原点で拡大したメソポタミア文明やエジプト文明が起き、
東に移ったインダス文明、それら両者の影響を受けた黄河文明、
長江文明は古さは有るが文字を持たなかった。
タイのバンチェン遺跡(紀元前3000年〜前2000年)発掘により分かったことは
バーンチエンでは、そのころ稲作や豚などの家畜が行われ、
ガラスや、青銅器・鉄器などが使われていたということである。
190: 03/06(水)14:42 AAS
大分県日出町(ひじまち)
当町域の旧石器時代から弥生時代までの遺跡は約一〇〇ヵ所を超える。
川崎地区の早水台そうずだい遺跡は旧石器時代前期から縄文時代早期の遺跡で、
昭和三九年(一九六四)の調査で旧石器が発見されている。
同地区の橋詰はしづめ遺跡では瀬戸内海の福田II式土器が発見され、
縄文時代後期の当地域の特殊性が注目された。
日出地区の薬師やくし遺跡では、
「縄文時代晩期の三万田式土器とともに印文陶の破片が出土している。」
191: 03/06(水)15:51 AAS
中国東南沿岸部の新石器時代
中国東南部は,およそ漸江・湖南・江西・広東という広範囲の地域を指す。
この地域は,漢書によれば「交阯より会稽に至る七,八千里,百越雑処す,各種姓有り」
とあり,いわゆる「印紋陶」が分布する地域に重なって,
「百越」と表現されるさまざまな諸族が居住していたと思われる。
長崎県五島列島福江市戸岐
昭和55〜56年に戸岐集落の裏が崩落。崩落止めの工事中に作業員が発見した折、
取りあえず高台にあった金富(かなとみ)氏が祭祀した祠の中へ入れた。
数年後、水中埋蔵物の調査活動をすすめていた地元潜水士の平山繁一が、
その祠からたまたま発見したもので、昭和59年に九州歴史博物館の鑑定で
省3
192: 03/06(水)17:52 AAS
韓国南部固域貝塚から西周時代長江下流の江蘇,浙江地帯で盛行した
印文陶(湖熟文化)がみつかった。
*「印文土器」
朝鮮半島南端近くの海辺の小都市、「固城(こじょう)」という地から
「印文陶器」が発掘されていること。揚子江の下流から広東省まで分布する土器。
「固城貝塚」は「伽耶(かや)」「任那(みまな)」といった、倭人が多く住み、日本に関係の深い地。
また縄文遺跡の多い地域。土器と一緒に、炭化した稲籾と大麦なども発見。
さらに平形銅剣や鉄滓、フイゴロなども出土。揃っています!
他にも「全羅南道大黒山島・木浦市の80km西方」でも「印文陶器」が発見されているようです。
193(1): 03/06(水)23:10 AAS
韓国語で 稲イネ は ピョ。 米コメ は サル だ。
まったく語源が違う。
米コメは南中国語「ミー・マイ」に近い。飯メシ、も同語源と思われる。
よってコメは朝鮮から来ていないし、朝鮮語と日本語は無関係。
これは日本語で、まったく解釈不可能だ。 数千年となりに居た民族とは思えない。
イネが朝鮮から伝来したのなら、名称が似ているはずだ。
ぴょ、ぴょ と言われても、鳥の鳴き声を真似ているとしか日本人は理解しない。
反対に 馬ウマ は古代インド=ヨーロッパ語の馬の名称である マー が入っている。
これは百済語のマールか、中国語のマーから日本語に入ってきたことがわかる。
194: 03/06(水)23:11 AAS
>縄文人にとって土器は煮炊きをする物、食器は木製と決まってる日本人の伝統椀。
「縄文時代と弥生時代の木製容器」
file:///C:/Users/owner/Downloads/117561_3_%E8%B2%9D%E5%A1%9A%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E7%B4%80%E8%A6%81.pdf
縄文時代の深鉢形土器・弥生時代の甕形土器は、煮炊きする容器であり、
弥生時代の壷形土器は貯蔵する容器となる。それに比べ木製の容器は、軽量であり、
衝撃に対する強さもある。作業皿・浅鉢・椀・掬い具などが中心器種となっている。
縄文時代の木製容器は、鉢・浅鉢・注ぎ具・皿・壷.杓子・椀があり、
時期・地域によって形を変化させている。鉢・浅鉢には、文様を彫刻することがあり、
土器のモチーフと類似したものとなっている。
赤あるいは黒の漆が塗られていることが多い縄文時代の木製容器と違い、
省1
195: 03/07(木)15:33 AAS
>>193
>これは日本語で、まったく解釈不可能・・・・・・・・・・
>イネが朝鮮から伝来したのなら、名称が似ているはず・・・
認知症患者か?僅か3日前の3/03>>179投稿と重複やぞ
196(1): 03/07(木)15:41 AAS
>>4
東国から九州防備に配置された防人(サキモリ)は3年交代制?だったらしい
『にっぽん百低山』「城山・長崎」 NHK総合
197: 03/08(金)17:01 AAS
「文明の定義」
人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態。
特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化に対して、
技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす。
「文字」
文字によって人類は、個人が考えたことを多くの人に伝達したり、
個人の記憶を記録として集団に行き渡らせることが可能になりました。
あるいは、高度な統治・食料生産システムを築き上げ、長期的・持続的に発展する、
社会の在り方を作り上げることに成功していた特徴などが文明にはあげられます。
198(1): 03/08(金)17:15 AAS
ホモ・サピエンスが地上に現れたのはおよそ20万年前。
以来、長い間原始生活を続けていた人類の祖先に、あるとき劇的な変化が訪れる。
1万2万年前、気候変動によって生活が一変。文明社会への道を歩み始めたのである。
その舞台は、紀元前1万年のメソポタミア。
狩猟を行いながら移動生活を行う人々が、不思議な光景に出会う。
新しく登場した定住民の集落だ。 この出会いをきっかけにホモ・サピエンスは
家畜の飼育、農耕開始、そして、家族の概念が確立し、文明社会の基礎が出来上がる。
やがて人は文字を生み、集落のルールを決め、宗教や芸術を発展させていった。
その一方、文明社会は、権力をめぐる争い、そして富をめぐる戦争をも生みだした。
「文明の夜明け」の舞台はメソポタミア、ホモ・サピエンスが地上に初めて築き上げた。
省2
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