5世紀頃までの国境と守備軍事的長ヒナモリ Part1.1 (761レス)
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77: 02/18(日)22:33 AAS
そして600年ころ聖徳太子の大戦略、隋の皇帝への実質、独立宣言なんだろう
「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。 」
78: 02/18(日)22:34 AAS
銅鐸、十種の宝は出雲・物部王朝の宝物
邪馬台国の大和王権は奴国時代から銅鏡、銅剣、三種の神器が宝物。
天津神に仕えていることを証明するのが
天羽々矢(あめのはばや)と天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)
79: 02/18(日)22:37 AAS
>縄文時代には韓国南部でも広範囲に縄文系が生活してた事が判明
そりゃ、1万2千年前に沖縄まで丸ノミ石斧を運ぶ能力があるんだから
半島までなんて楽勝だろ。
外部リンク:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
11月26日読売新聞。国立科博・篠田館長の記事。
釜山・加徳島の狼項遺跡(6300年前)の人骨の核DNA分析を ...
韓国が、釜山・加徳島の狼項遺跡(6,300年前)の人骨2体の核DNA分析を行った結果、
縄文人的と判明した。人骨2体はほぼ現在日本人のDNAと同じだと篠田館長は結論した。
弥生時代の少し前ころ韓国南部、蘆嶺山脈と小白山脈のライン南部、対馬海峡側には
縄文系の人達が広範囲に生活していた事が分かってきている、
省1
80: 02/18(日)22:38 AAS
これで、高句麗の「宮」や「遂成」、
神武や綏靖が縄文系だった可能性が出て来たな。
縄文時代ころには韓国南半分と九州とは同じ縄文人が住んでて、
間に対馬海峡を挟んでてアッチとコッチと呼び合う関係だったんだろう。
この地域は結合式釣針文化圏で漁師たちが行き来してたんだろうな。
81: 02/18(日)22:41 AAS
HLAハプロタイプ(ヒト白血球型抗原)
外部リンク[pdf]:www.med.kindai.ac.jp
徳永勝士先生によると、日本⼈には大きく4タイプの流れが認められる
殷人、秦氏など中原系。O2系か。
? B52 - DR2 中国⼤陸北部から朝鮮半島を経て北九州・近畿へ
シベリア系集団か。C2、NO、N系か。
? B44 - DR13・B7 - DR1 満州・朝鮮半島東部から日本海沿岸へ
旧石器・縄文人と一致する。D1a2系か。
? B54 - DR4 中国南部に多いタイプ。中国南部から琉球諸島を経て太平洋側へ
省5
82: 02/18(日)22:42 AAS
柳江人
外部リンク[aspx]:www.zhongguociwang.com
外部リンク[html]:k.sina.cn
越人ってこう言う風貌してたんだろ。まんま正座した日本人だけど。
越人像
外部リンク:ja.wikipedia.org
83: 02/18(日)22:43 AAS
神の国・淡路島は「鉄の国」だった−「邪馬台国畿内説」の弱みはね飛ばす鉄器工房跡発掘
外部リンク:www.sankei.com
邪馬台国の時代にも重なる弥生時代後期(2世紀半ば〜3世紀初め)の鉄器工房跡が
見つかったのだ。
同市では10年前に五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(国史跡)で大規模な鉄器工房跡が
発掘され、淡路島が西日本屈指の鉄器生産地だったことが明らかになった。
古事記で、日本列島が造られた「国生み」の地とされる淡路島。
古代から朝廷に海や山の幸を献上し「御食国(みけつくに)」と呼ばれた神話の舞台は、
邪馬台国と深く関わった「鉄の王国」でもあった。(小畑三秋)
84: 02/18(日)22:44 AAS
舟木遺跡
4棟の竪穴建物跡と刀子(とうす、ナイフ)などの鉄器や鉄片約60点が出土。
そのうち1棟の床面は赤く焼けていた。鉄の素材を木炭で熱しながら、
たたいたり延ばしたりして工具などを作った炉跡だった。
調査はわずか130平方メートルだったが、
周辺の丘陵一帯では同時期の土器が確認され、遺跡は40ヘクタール。
(南北800メートル、東西500メートル)に及ぶと推定。(東京ドーム約8.5個分です)
一方、同遺跡の南西約6キロにある五斗長垣内遺跡では、
鉄器工房とみられる12棟の竪穴建物跡や鉄器など約130点を確認。
約100年間にわたって鉄器作りが行われたことが分かった。
省2
85: 02/18(日)22:45 AAS
「淡路は、西からの物資や情報を中継する『玄関口』だった」と話すのは、
奈良県立橿原考古学研究所の森岡秀人共同研究員。
「明石海峡や鳴門海峡という海の難所に挟まれた淡路の勢力は航海術にたけ、
新しい鉄器文化を積極的に取り入れたのだろう」という。
鉄を制するものは国を制す 魏志倭人伝中の「三十国」の一つか
または、邪馬台国の直轄地だった?。
兵庫県域西部の瀬戸内海沿岸部は播磨国(倭人伝の巴利國)でした。
そして、淡路島は律令制以前は淡道国造の領域であり、「淡道」の表記であった。
「木工にも使う鉄は、農業や狩猟、建築、戦闘などあらゆる分野で技術革新をもたらした」
森岡さんは鉄が社会に与えた影響の大きさを指摘する。
86: 02/18(日)22:46 AAS
「鉄を制するものは国を制す」ともいわれた鉄は、
九州北部を中心に大量に出土することから、邪馬台国九州説の大きな根拠となっている。
一方で、畿内では出土量が少なく、邪馬台国論争では弱みとなっていた。
こうした中での今回の発見。兵庫県立考古博物館の石野博信名誉館長は
「淡路島に大規模な鉄器工場群があったことが示された」と指摘し、
「纒向遺跡(奈良県桜井市)を中心とする邪馬台国が大和にあり、
淡路は西日本に及ぶ政治連合の一翼を担い、魏志倭人伝に記された『三十国』の
一つだったのではないか」と話す。
87: 02/18(日)22:48 AAS
一方、こちらも国内最大級の鉄器工房として話題を集めたのが、滋賀県彦根市の稲部遺跡。
淡路の遺跡より少し新しい弥生時代末(3世紀初め)〜古墳時代初め(3世紀中ごろ)の
竪穴建物跡20棟以上から、鉄片や鉄を加工する際に出る不純物など約6キロ分が
見つかった。琵琶湖の東側に位置し、近畿や東海、北陸を結ぶ交通の要衝。
銅鐸の宝庫 やはり淡路は特別な場所
「神の国」淡路島は、鉄だけでなく、弥生時代の祭祀を担った銅鐸の宝庫でもあった。
南あわじ市では27年、弥生時代前期末〜中期(紀元前3〜同2世紀)の銅鐸7個が
見つかった。島内では計20点ほどが確認され、全国有数の出土数を誇る。
島根県出雲市の荒神谷(こうじんだに)遺跡や同県雲南市の加茂岩倉遺跡の銅鐸と
同じ鋳型で作られたものもあり、両地域の結びつきが明らかになった。
88: 02/18(日)22:51 AAS
出雲は、神話に登場する国造りの神「オオクニヌシノミコト」や
八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したスサノオノミコトの伝説で知られる神話の里。
淡路は、イザナキノミコト(男神)とイザナミノミコト(女神)が交わって
次々と島を誕生させた国生みの地と伝わる。
>イザナキノミコト(男神)は大和勢力を表し、
イザナミノミコト(女神)は出雲勢力を表し、
両勢力が連合し国土統一へとばく進したが、イザナミノミコトが黄泉の国へ行き、
結局内部分裂することになり連合関係は壊れた。
イザナギノミコトは命懸けで逃げ出し、
筑紫(つくし)の阿波岐原(あわきはら)で禊を行ったと言う話。
89: 02/18(日)22:52 AAS
「兵庫」は「武器庫」の意味で、
大化の改新の際、摂津国境の播磨関を守るため、
武器を収める庫として設置された「兵庫(つわものぐら)」に由来すると考えられる。
神功皇后がこの地に武器を埋めた伝承から「武器の倉庫」を由来とする説。
>結局、淡路島で大量の鉄器・武器を作り、兵庫の軍事拠点に武器の貯蔵をしてた
そして神の戸(淡路島)の守りとして古代から要勝地だったんだろ。
90: 02/18(日)22:55 AAS
日本の磁鉄鉱の産地
東山鉱山(徳島), 久宗鉱山(徳島, ひさむね), 川田山鉱山(徳島, 川田鉱山,)
淡路島の銅鐸が埋まっていたと考えられる松帆地区は、
鉄器生産遺跡「五斗長垣内遺跡」と「舟木遺跡」が有名で2.5kmにわたる白い砂浜に
約5万本のクロマツ林が広がる景勝地、慶野松原には砂鉄が堆積して
黒く成ってるのが知られてる。
91: 02/18(日)22:56 AAS
縄文時代の勾玉や玦状(けつじょう)耳飾りなどには
5mm ほどの円形穴が奇麗に開いてて、じゃ何で開けたのかがなぞ?
石器などじゃ無理で、木の枝で砂粒を付けながら開けたのか?
ヒスイのような硬い石には無理があるで、結局、鉄のキリ状の物じゃないと無理だと
じゃあ縄文時代に鉄が有ったのか? 製鉄技術が有ったのか?
阿蘇リモナイトなど湖沼鉄・褐鉄鉱などは土器を焼く温度で製鉄出来る事が解った。
92: 02/18(日)22:59 AAS
5 原始的製鉄法(鍛鉄法)
平成 23 年2月 19 日に大井透氏から、古代朝鮮の原始的製鉄法を教示された。
この製鉄法は、あまりにも簡単である。
? 『たたら製鉄の復元とその?ヒ(けら)について』黒岩俊郎氏(専修大学)
明治の末ごろ、朝鮮での原始的な製鉄の実見記として
河原によく乾いた砂鉄を 60 ?ほど積み上げ、
その上に大量の薪をのせて火をつけ一夜燃やし続け、翌日になって鉄塊を拾い集めていた。
わりに簡単、かつ原始的な方法によっても製鉄はできるのである。
93: 02/18(日)23:01 AAS
? 『鉄の考古学』窪田蔵郎氏(日本鉄鋼連盟)
紀元前 1000 年ごろに始まった弥生式文化は、青銅と鉄を使用した金属文化である。
出土品としては、弥生期の半ば迄は鍛造よりも鋳造と見られる物が多い。
中期以降400年ごろは鍛造品が増加してくる。野天における開放窯による製鉄である。
鉄鉱石から鉄をつくるのには、高い技術を必要とすると考えられている。
鉄鉱石を赤く熱して、酸素をとり、砕け散らないように、そっと根気よくたたいて
石の部分をとばして行けば、900 度ぐらいでも鉄はできる。
94: 02/18(日)23:03 AAS
? 『古代の製鉄』山本博氏(大阪学院大学)
銅の精錬に 1100 度の温度が必要である。製鉄について次のように述べている。
a 鉄鉱石から鉄を抽出する方法は、銅鉱から銅を抽出するより簡単である。
b 鉄鉱石は熔解しなくても、700〜800℃の熱度で可鍛鉄がえられる。
c 鉄の抽出には、特定の送風装置は不要である。
95: 02/18(日)23:04 AAS
考古学上、我国最初の鉄器は、縄文晩期の土器と弥生前期の土器とが
伴出した遺跡から発見されている。
鉄滓(てつさい)散布地こそは、そのあたりで製鉄が行われたことを暗示している。
たたら炉の遺構が発見されなくても、そのあたりで製鉄を行っていた。
設備のない、たたら以前の製鉄である。
あまり深くない地下に砂鉄の層がある場合、その地表で土器を焼いたとすれば、
土器を焼く温度で、地下の砂鉄は楽に還元できる。
北九州各地に散布する無文赭色の土器の硬度は、この程度の熱度、
または、これよりやや高い熱度で焼いている。
96: 02/18(日)23:05 AAS
6 備前の鉄滓
製鉄を行っていた事実を証明する鉄滓を岡山市東区草ケ部で採取している。
設備のない、たたら以前の製鉄である。
鉄滓とは製錬鉄を作る際にでる鉄を取り出した後の残りカスである。
「金糞(かなぐそ)」と呼ばれ廃棄される。製鉄関連遺跡調査で大量出土する。
岡山市東区鉄の近くに、西祖山方前遺跡(岡山市東区西祖)がある。
吉備国における初期段階 6 世紀後半頃の鉱石製鉄の製鉄炉が発見されている。
左 草ケ部採取鉄滓(中西厚氏採取) 右 西祖山方前遺跡 鉄滓
外部リンク[pdf]:www.hasukura.com
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