【阿曇・住吉・宗像】海人族 Part.8.1 (408レス)
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397: 10/31(木)21:31 AAS
江戸時代の漂流記と漂流民 −漂流年表と漂流記目録
上廣歴史資料学研究部門
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2023/09/15 — 漂流地が判明した地域は、太平洋全域に及んでいました。北はカムチャツカ半島やアリューシャン列島、南はルソン島やバタン諸島、ベトナムにまで流され ...
398: 10/31(木)21:47 AAS
漂着地としてと多いのは、日本近海の島の99件である。次が隣国の97件。
内は中国47件、朝鮮42件、琉球8件である。南方海域は35件で、
台湾南の東南アジア沿岸に広く漂着している。ルソン島の14件が一多い。
399: 10/31(木)21:48 AAS
北方海域は23件、千島列島からカムチャツカ半島、アリューシャン列島、
樺太など広域に及んでいる。
沿海州が多いのは、日本海を航行中の船が対岸に漂着したのだ。
さらに、太平洋の向こうの北米ハワイ諸島に漂着した船13件あった。
400: 10/31(木)21:49 AAS
江戸時代の漂流者の一覧
長右衛門 - 寛文10年(1670年)、小笠原諸島に漂着。
伝兵衛 - 元禄9年(1696年)、カムチャッカ半島に漂着、ロシア帝国に渡る。
ゴンザとソウザ- 享保13年(1728年)、カムチャツカ半島に漂着、ロシアに渡る。
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孫太郎 - 明和元年(1764年)、フィリピンに漂着。
大黒屋光太夫 - 天明2年(1783年)、アリューシャン列島に漂着、ロシア帝国に渡る。
新蔵 - 天明2年(1783年)、アリューシャン列島に漂着、ロシア帝国に渡る。
野村長平 - 天明5年(1785年)、鳥島に漂着。
402: 10/31(木)21:51 AAS
津太夫 - 寛政5年(1793年)、ロシアのアリューシャン列島ウナラスカ島に漂着。
太十郎 - 寛政5年(1793年)、ロシアのアリューシャン列島ウナラスカ島に漂着。
儀兵衛 - 寛政5年(1793年)、ロシアのアリューシャン列島ウナラスカ島に漂着。
阿部吉郎次 - 寛政5年(1793年)、ロシアのアリューシャン列島ウナラスカ島に漂着。
善六 - 寛政5年(1793年)、ロシアのアリューシャン列島ウナラスカ島に漂着。
403: 10/31(木)21:52 AAS
継右衛門 - 享和3年(1803年)、千島列島に漂着。
平原善松 - 文化3年(1806年)、アメリカ船に救助されハワイ諸島に渡る。
久蔵 - 文化7年(1810年)、カムチャツカ半島に漂着、ロシアに渡る。
小栗重吉 - 文化10年(1813年)、イギリスの商船に救助されロシアに渡る。
404(1): 10/31(木)21:53 AAS
音吉 - 天保3年(1832年)、アメリカのオリンピック半島に漂着。
庄蔵 - 天保5年(1834年)、スペイン領のルソン島へ漂流する。
寿三郎 - 天保5年(1834年)、スペイン領のルソン島へ漂流する。
ジョン万次郎 - 天保12年(1841年)、アメリカ捕鯨船に救助され渡米。
405(1): 10/31(木)21:54 AAS
浜田彦蔵 - 嘉永4年(1851年)、アメリカ商船に救助され渡米。
仙太郎 - 嘉永4年(1851年)、アメリカ商船に救助され渡米。
小林伝吉 - 嘉永4年(1851年)、アメリカ商船に救助され渡米。
勇之助 - 嘉永5年(1852年)、アメリカの商船に救助され渡米。
406: 11/02(土)18:45 AAS
>>404 >>405
そういや1837年日本人漂流民数名を帰還させるべく浦賀沖に来たアメリカ商船
モリソン号を来航目的を確認もせず時の江戸幕府の異国船打払令を盲信して砲撃して
モリソン号を追い返した事件もあったな。同乗漂流民はその後日本に帰還できたのだろうか?
407: 11/11(月)00:52 AAS
舟って案外、漂流遭難しやすく、自然に人類拡散してたんだろ、
犠牲者も多かったんだろな。
408: 11/13(水)06:45 AAS
浙南石棚墓→五島列島、に漂着して、支石墓甕棺墓青銅器各種養蚕ニホンヤモリが拡散伝播
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