[過去ログ] 【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬参拾 (1002レス)
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(2): 03/29(金)07:17 AAS
九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったのは状況的にほぼ確か
ではその時期はいつか、となると考古学でみるしかない

九州から本州西部への民族大移動の形跡は破鏡の分布の変遷で見ることが出来る
破鏡とは銅鏡を割った破片で、縁をナイフ状に加工したものや紐を通して首から下げるために穿孔したものだが、
弥生後期から古墳時代にかけて出土する

その分布を見ると、卑弥呼のいた弥生後期〜終末期とそのすぐ後の古墳時代前期で劇的に変化していることがわかる
図は「破鏡の伝世と副葬ー穿孔事例の観察からー」辻田淳一郎 より

弥生時代後期〜終末期
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
古墳時代前期
省9
11: 03/29(金)07:17 AAS
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> 画像リンク[jpg]:inoues.net
> 画像リンク[jpg]:livedoor.blogimg.jp

> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
省6
12: 03/29(金)07:18 AAS
淡路島の遺跡は瀬戸内海を支配した北部九州の海人族の遺跡

弥生時代の海の勢力図
画像リンク[jpg]:www.gondo.com
瀬戸内海は北部九州を本拠地とする海人族の支配下

弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
外部リンク[pdf]:www.infokkkna.com
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
省9
13: 03/29(金)07:18 AAS
136 :日本@名無史さん :2021/01/11(月) 01:47:53.36
>>70
そうではなくて、北部九州の海人族が本州の沿岸部や淡路島にも進出してたってことだよ
絹の話になるが、絹研究の権威、布目順郎氏の見解によると北部九州は400年ほど養蚕技術を独占して他に渡さなかったという

外部リンク:www.jstage.jst.go.jp
> (iv)九州から本州への養蚕伝播――
> 弥生絹は今のところ福岡,佐賀,長崎の3県以外からは出ていない。
> それが古墳時代前期になると近畿,中国,北陸からも絹が出るようになり,九州では北部のみでなく熊本県からも出るようになる。
> すなわち,養蚕がわが国へはじめて伝えられてから少なくとも400年間は九州北部で独占していたことになる。
> 九州から本州への伝播経路としては,瀬戸内海ルートと日本海沿岸ルートの2つが想定される(図4)。
省5
14: 03/29(金)07:19 AAS
外部リンク[html]:hero1945.livedoor.biz
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
省5
15: 03/29(金)07:19 AAS
対馬の霹靂神社には磯武良も祀られている
式内社なので言うまでもなく江戸時代どころの話ではなく、はるか昔から磯武良の呼称は存在する
キナイコシ君がどんなに捏造しても無駄

外部リンク[htm]:genbu.net
> 霹靂神社
> いかづちじんじゃ
> 長崎県対馬市上対馬町大増1073
>
> 式内社 對馬嶋上縣郡 能理刀神社
>
省3
16: 03/29(金)07:20 AAS
鹿島のタケミカヅチは安曇磯良だから九州系

外部リンク:ja.wikipedia.org
> 民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある
> (磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
> 『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)

外部リンク[htm]:www.genbu.net
> 袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
> 一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。
省6
17: 03/29(金)07:21 AAS
576 :日本@名無史さん :2021/01/23(土) 19:31:56.74
さて、どうやらこれに対する反論は無いようだな
では皆納得したようなのでテンプレに入れるとしよう

画像リンク[jpeg]:i.imgur.com
18
(1): 03/29(金)07:21 AAS
>>4のデータについて

184 :日本@名無史さん :2021/03/16(火) 23:57:12.76
>>159
>>114で何ら問題無いし、やはり>>4の考古学事実に照らすと筑後山門が妥当だろう

>此れだけ広範囲の調査には、30年100億円規模の調査費が必要だが、どこの公的機関が調査を行ったのか教えてくれないか??
広範囲の調査とか言い出すのはちょっと常識が無さすぎないか?
普通に考えれば各地の発掘状況をまとめた結果だと分かるだろうに
ソースはもう>>4で提示されているのだから、ソースのソースがほしければ自分で番組に問い合わせればいいだろう

と言いたいところだがググったら割とすぐそれっぽいのが見つかったから出してやろう
孫引きだが川越哲志氏の「弥生時代の鉄分化」が出所のようだ
省1
19: 03/29(金)07:22 AAS
>>10補足

923 :日本@名無史さん :2022/03/16(水) 12:54:07.02
>>10
大中遺跡発見60周年記念春季特別展「弥生集落転生-大中遺跡とその時代-」(兵庫県立考古博物館)
外部リンク[html]:web.pref.hyogo.lg.jp
> 竪穴住居が数多く見つかり国の史跡に指定されている大中遺跡は、弥生時代から古墳時代へ社会が移りゆく時期に突如として大きな集落に成長します。
> この頃になると、東播磨ではそれまでの集落から様相が変化し、弥生のムラが生まれ変わります。

> 【おすすめの展示品】
> 1.大中遺跡出土鏡(播磨町郷土資料館蔵・画像提供)
> 大中遺跡で発見された中国からもたらされた鏡の破片です。5センチメートル程度の小さな破片ですが、孔があけられていて割れ面が擦り減っていることから、
省8
20: 03/29(金)07:22 AAS
カバネについて
臣が外様で連が譜代

> 989 :日本@名無史さん :2020/11/21(土) 23:18:49.29
> >>987
> それは県主が畿内系という解釈が間違っているだけ
> 連(ムラジ)の姓を持っているということは神武以前からの皇室の家臣の家系
>
> のちの氏姓制度には古代氏族の関係性が現れている
> 姓(カバネ)の中で特に有力だったのは臣(オミ)と連(ムラジ)の2つだが、この両者には外様と譜代の違いがある
>
省13
21: 03/29(金)07:22 AAS
テンプレ終わり
以下引き続き議論継続
22: 03/29(金)07:23 AAS
◆魏志倭人伝には「伊都国の一大率が女王国の北の国々を監視している」と記されている

↓これを見てどちらが正解か考えてみよう

●畿内説の場合
画像リンク[jpg]:i.imgur.com

●九州説の場合
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
23: 03/29(金)12:06 AAS
シン日本古代史 概論
カテゴリ:シン日本古代史
◆シン日本神代古代史◆
高天原=邪馬台国=九州北部
天照大神=卑弥呼+台与
天孫(族)ニニギ命=邪馬台国系の代官一族

神武天皇以降は、邪馬台国連合から独立した。
十代崇神天皇が邪馬台国を制圧したので、天照大神=卑弥呼+台与が祟った。

「高天原=邪馬台国=九州北部」説の初論者(おそらく)は、益田謙三『赤裸々の神代』(大正8年)

天照大神の生誕地=筑紫の日向(九州の南or北)
省12
24
(1): 03/29(金)14:43 AAS
>>18
ここのリインク先は、別人の同名論文で、くだんの図はかかれていないようだ。

川越哲志氏の「弥生時代の鉄器文化」は、同名の別の本らしい。
それを読んでないので、分からぬが、
くだんの豊肥線ぞいの谷間は、数万年前、鉄を多量に含んだ阿蘇火砕流が流れ下ったところ。
今、酸化した鉄鏃のような小鉄塊が至るところから無数に出土してもおかしくない、ご用心、ご用心。
25: 03/29(金)15:19 AAS
安物の鉄器は3000年も前からあった。しかし、青銅器にも劣るナマクラ鉄。
それに革命的革新をもたらしたのは、漢の第5代皇帝・文帝の頃、1200度くらいに熱する高温炉が開発され、
鋭利な刃物にできるハガネ鉄が発明された。

漢王朝極秘のその製法は、やがて市中に漏れ出し、大量の武器が製造されて、
中国、半島二郡、倭は戦乱の大地に変わった。
「韓、濊、倭、皆したがってこれをとる」とは、このハガネ鉄のこと。
26: 03/29(金)15:50 AAS
阿蘇市下扇原遺跡・・・阿蘇カルデラ南面にある彌生末期の製鉄遺跡
この製鉄炉の学術調査で、出土鉄の分析から1180度〜1300度までの高温炉の使用が判明。
漢王朝の極秘だった技術が、郡、倭にも伝わっていたことが分かる。
よって、楽浪・帯方二郡傘下の馬韓族の邪馬台国は、熊本・阿蘇で間違いない。 
27
(2): 03/29(金)22:15 AAS
>>24
そんなすぐにバレる嘘をつくから畿内説は嘘だってバレちゃうんだぞw

元のリンク先はここだが
外部リンク:tizudesiru.exblog.jp
> 邪馬台国が狗奴国と戦ったとすれば、戦場はは何処だったのか。九州で戦い、二手に分かれて日本海がわと瀬戸内を逃げながら戦ったのかもしれません。
> 鉄鏃が出土する地域は、邪馬台国とつながりの深い所ばかりです。
> 何処で戦ったのか、弥生後期の鉄鏃の分布で明らかです。
> まさに弓矢が弥生の武器でした。
28: 03/30(土)09:54 AAS
>>27 ・・・オレは畿内説ではないけどな。
このブログにあるのは、川越哲志氏の資料を高島忠平氏がマスコミに提示したということだね。
高島氏は畿内説で、今は表向き博多経由・吉野ヶ里邪馬台国説の人だから、熊本/狗奴国で固まっている。
そこに、そもそもの立場・見解・行動の違いがある。

漢王朝が開発したハガネ鉄生産技術を、帯方郡に敵対した狗奴国が自由に出来はわけはない。
狗奴国は県南の球磨国であり、県北の山鹿菊池の邪馬台国こそ、楽浪・帯方二郡の倭国拠点だったのだ。

つまり2-3世紀、佐賀伊都国+熊本邪馬台国+宮崎投馬国は、
旧彌生の盟主、博多那の津の倭奴国王と戦闘状態にあった。
その関ケ原分け目の合戦が倭国大乱だったのだよ。
そこを正しく認識すれば謎は解ける。
29: 03/30(土)12:09 AAS
>>184
>普通に考えれば各地の発掘状況をまとめた結果だと分かるだろうに

ご存知の通り、埋蔵文化財は、個人が自由に発掘調査できるわけではない
地元各県の教育委員会が、しかるべき学者・研究者に依頼して公表する。
熊本県分は熊本県教育委員会、大分県分は大分県教育委員会所管であろう。
で、この公式記録は誰がまとめたのであろうか。
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