[過去ログ] 【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬参拾 (1002レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
414: 05/18(土)19:35 AAS
弥生人は全部外来人で中国人か韓国人だよ
415: 05/18(土)19:52 AAS
当時、中国人や韓国人はいないよ。
中国人や韓国人は1945年第二次大戦後に出来た国。
416: 05/18(土)23:03 AAS
ジャップランドはサンフランシスコ平和条約が結ばれた1951年に独立を果たした歴史の浅い国
417: 05/19(日)02:39 AAS
古代から中国人はいるし、韓国人と言わなくても韓人は古代からいる
418: 05/19(日)03:33 AAS
邇々芸命「此地は、韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国ぞ。故、此地は、甚吉き地」
419: 05/19(日)03:35 AAS
《昔、日本は三韓と同種也と云事のありし、かの書をば桓武の御世にやきすてられしなり。》神皇正統記
420: 05/19(日)03:48 AAS
倭人の風習ってなら日本人に関係あるけど邪馬台国の風習なんてのは日本人関係ないからどうでもよいわ
邪馬台国ってのは秦の始皇帝の末裔らのことやろ
中国人ら伝聞程度でしか話を聞いたことがないってことの証明だな
421: 05/19(日)03:49 AAS
つまり秦氏と呼ばれた集団として日本で知られてる
422(1): 05/19(日)03:50 AAS
秦氏と呼ばれた集団が古代倭人を奴隷としてたのか🤔なるほどなあ❗って話なわけこれ
423: 05/19(日)06:25 AAS
>>422
顔文字くんはいちいち浅学が目立つ。
そうであれば韓伝で秦人について触れておいて倭人伝で触れないはずがない。
三国志をもっと勉強しなさい。
424: 05/19(日)06:48 AAS
支那人、朝鮮人でよし
425: 05/19(日)12:47 AAS
伊都国王家の版図は、筑前、長門、四国全域に及んでいた可能性が高い。これは、弥生時代末期の銅剣祭祀圏の広がりと一致する。
もし、この勢力が畿内を征服したと考えるならば、崇神天皇が四道将軍を派遣した際に、筑前、長門、安芸、四国の国々が含まれていなかった理由も説明できる。
426: 05/19(日)12:48 AAS
伊都国には、「都」が使用されている。しかし、卑弥呼以前の倭国の中心であったという説には、近年では疑問が呈されています。
427(1): 05/19(日)12:49 AAS
倭人伝以前に伊都が存在していたという従来の説は、最新の研究結果に基づいて修正する必要がある。弥生時代中期後半から後期にかけての豊富な考古資料から、伊都国は2世紀後半以降に成立し、独自の政治体制や文化を形成・発展させていったことが明らかにされている。
一大率は、女王国から諸国を監督する役職であり、外交の管理だけでなく、諸国の服属状況を監視し、女王国の権威を維持する役割も担っていたと考えられる。
250年以前の九州諸国以外の貿易状況は、考古学資料の分析によって明らかにする必要があるが、近年では遺伝子解析や海洋考古学などの新しい手法を用いた研究も進められており、従来の考古学資料だけでは分からなかった情報も徐々に明らかにされ始めています。
日本海ルート諸国の船が、伊都国の港で検閲を受けてから九州各地へ上陸していた可能性は十分に考えられる。伊都国は、外交拠点としての役割に加えて、海上交通の要衝としての役割も担っていたと考えられている。
428: 05/19(日)12:56 AAS
奴国は、1世紀から3世紀にかけて北九州地方に存在したと推定される倭人の国です。
邪馬台国と並んで、古代日本における重要な政治勢力の一つと考えられています。
近年の発掘調査によって、奴国の政治・経済・文化に関する新たな知見が得られています。
今後も奴国に関する研究は進展していくことが期待されます。
429: ネトウヨ撲滅隊! 05/19(日)12:57 AAS
伊都国が大王家の本貫ヒムカの地で、桓霊の頃にこの勢力が卑弥呼という巫女を旗印に諸国を糾合して畿内を征服して邪馬台国が誕生したのだろう
邪馬台国を建てた男王が神武のモデルになったヤマト王権の初代王で、彼に担がれた神輿が卑弥呼と考えれば一番話がスッキリする
早期ヤマト王権の男王は宗教的権威性に欠けていて、神の妻たる巫女を表に出さなければ国の統合ができなかった
卑弥呼亡き後に男王が直接政治をしようとしたら国が混乱して結局台与を看板に建てたのだと考えるべきである
430: 05/19(日)12:58 AAS
AI臭え長文は片っ端からNG
431: 05/19(日)13:00 AAS
『山海経』(せんがいきょう、山海經、)は、中国大陸で戦国時代から秦朝・漢代(前4世紀 - 3世紀頃)にかけて編纂された地理書です。
『山海経』には、「君子の国は衣服を着用し、剣を帯びて獣肉を食べ、二つの飾りの虎をいつもそばに置いている」と記されています。君子国は琅琊(現在の山東省青島市黄島区)の東にあるとされていますが、具体的な位置関係は不明です。
君子国と同様に、不死国も東方にあるとされていますが、2つの国の間に直接的な関連があるかどうかは示唆されていません。不死国の人々は色が黒く、長寿であるとされています。
帯方郡から邪馬台国までの距離は約12000里と推定されています。
現代の研究では、君子国は架空の理想郷と考えられています。君子国の記述は、当時の中国の人々が東方の未知なる世界に対して抱いていたイメージを反映していると考えられます。
432: 05/19(日)13:05 AAS
卜骨って、弥生時代後期後半から使われ始めて、古墳時代前期には西日本各地に広まってたみたいですね。まさに、大和朝廷のルーツに繋がる占いと言えるでしょう! すごい歴史を感じますよね。
433: 05/19(日)13:06 AAS
纏向は渡来人の重要な拠点だったんだよな。 最新の研究では、古墳時代前期から中期にかけて、纏向には多くの渡来人が居住していたことが分かっているんだ。特に、百済や高句麗から来た人たちが多く、政治や文化、技術面で大きな役割を果たしていたと考えられている。
卑弥呼の時代には、朝鮮半島出身の官僚たちが政権を支えていた可能性が高いんだ。 邪馬台国に関する文献には、卑弥呼の下に「難波の男」と呼ばれる官僚たちが仕えていたという記述がある。この「難波の男」は、朝鮮半島から来た渡来人を指すのではないかと考えられているんだ。彼らは、文字や政治制度など、大陸の先进文化を持ち込み、卑弥呼政権の運営を支えた重要な役割を担っていたのだろう。
倭人は祭祀を重んじる一方で、文字を学ぶことに消極的だったようだ。 当時の倭人は、神々への祭祀を非常に重要視していた。しかし、漢字などの文字を積極的に取り入れることはせず、独自の口頭伝承文化を維持していたと考えられている。そのため、広大な領土を支配するような全国政権を築くためには、文字に堪能な渡来人の力が不可欠だったんだ。
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 569 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.138s*