[過去ログ] 【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬参拾 (1002レス)
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207
(1): 04/16(火)19:55 AAS
>>201
水行十日陸行一月は帯方郡が起点の日数



>>206
水行十日陸行一月は水行なら十日、陸行なら一月という意味

は両立しないんだが
意見統一しろ
208: 04/16(火)20:16 AAS
倭奴国(2万戸)=福岡平野
↓南方:水行20日(約40km)
投馬国(5万戸)=筑紫平野
↓南方:水行10日(約20km)、陸行1月(約50km)
邪馬台国(7万戸)=熊本平野

水行と言っても丸木舟、陸行と言っても裸足
畿内説は現代の感覚でもの言ってるんだろうな
209: 04/17(水)00:05 AAS
>>207
水行10日は陸行1月は、あるあるだけど
一月行は2000里なので意味が違う。
仁川~済州島は3月行。

半島西岸は水行20日で4000里。
九州上陸まで残り6000里は水行10日。
速度=日数は、風や海流の違いがある。

渡海は目視での1日千里で3日でも、
海岸水行には兵站調達や
潮待ち休息が有る。
210: 04/17(水)00:36 AAS
訳の分からない事を
211: 04/17(水)06:11 AAS
日数は費やした結果
一月行は2000里
一里は75m
倭の陸行は徒歩
水行には船が必用

魏時の使譯は2回だけ。
240年軍船による韓西岸初渡航
女王の処都まで万二千里
247年倭人船による倭人航路
伊都に常駐まで積算万五百里
省1
212
(1): 04/17(水)11:59 AAS
最強頭脳
213: 04/17(水)13:39 AAS
【倭人伝を正しく読む・行程1】(行が長いのでスマホなら横向きがお勧め)

01 倭人 在 帯方 東南 大海之中 依山島 為國邑 旧百餘國 漢時 有 朝見者
02 今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭
(魏時、2回の使の報告で30国を知った。使の報告に拠ると郡から倭に至るには…)

247年、帳政、伊都駐留の際の倭人船行程の報告書から引用

03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
04 始度 一海 千餘里 至 對海國 其 大官日 卑狗 副日 卑奴母離
05  所居 絶島 方可 四百餘里 土地 山險 多深林 道路 如禽鹿徑
06  有千餘戸 無良田 食海物 自活乗船 南北市糴
07 又 南 渡 一海 千餘里 名日 瀚海 至 一大國 官亦日 卑狗 副日 卑奴母離 方可三百里 
省16
214: 04/17(水)13:41 AAS
【倭人伝を正しく読む・行程2】

240年梯儁 奉詔書 印綬 拝仮倭王の際、女王国詳細の報告書の引用

15 南至 投馬國 水行二十日 官日 彌彌 副日 彌彌那利 可五萬餘戸
16 南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
17  官有 伊支馬 次日 彌馬升 次日 彌馬獲支 次日 奴佳鞮 可七萬餘戸
18  自 女王国 以北 其 戸數 道里 可得略載 其 餘旁國 遠絶 不可得詳
19 次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
  次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
  次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
  次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
省15
215: 04/17(水)15:16 AAS
間違って読むだね。
216
(1): 04/17(水)16:15 AAS
「帯方郡から12000里(900?)で女王国に至る」の内訳

狗邪韓国まで7000里
+渡海1000里+対馬400里
+渡海1000里+壱岐300里
+渡海1000里+末盧500里+伊都100里=奴国(博多)まで
合計11300里(850?)。

残り700里(50?)で、伊都国(糸島)→奴国(博多)の北は玄海灘、東は百里で不弥国なので、南の筑紫平野に陸行するしかなく、奴国(博多)→吉野ヶ里まで50?でピッタリです!
217
(1): 04/17(水)16:23 AAS
ちなみに、投馬国からの「南水行十日陸行一月」は呉の背後、つまり「会稽東冶の東(沖縄那覇)にあり」とするための方便(虚構)だとすると辻褄が合いますよ。

おそらく曹魏洛陽から見た倭国島は呉の背後にあって孫権を牽制してくれる存在という認識だったのでしょう。

※魏志倭人伝の蛇足:投馬国→邪馬台国「南水行十日陸行一月」(呉の背後で孫呉を牽制)

末盧国↘伊都国↘奴国→不弥国(九州北岸-福岡平野-直方平野)
...↑▲▲脊振山地▲▲.....↓【関門海峡&周防灘】
女王国(筑紫-日田-宇佐)↓〜複有国皆倭種(本州畿内説)東渡海千里
...↓...........【豊後水道】↓〜〜〜↓
狗奴国(菊池+熊本)......↓〜又有「侏儒国」在其南(四国阿波説)去女王四千里
......................投馬国(宮崎平野)
..................................↓蛇足「南水行十日」
省1
218
(1): 04/17(水)18:11 AAS
会稽と倭の関係を言うなら
会稽の東は倭の極南界。
北は沿海州の東迄が倭である。
南北は中華より大きい。

計るその道里、當在〜会稽、之を東する。
は、太伯の後の奏上に対する疑問で、
倭と太伯の会稽は洛陽から会稽の道里を
東に向けたほど遠い。
有り得ない。 と言う話。

倭人伝は正史採用の都合で、太伯の後が
省8
219: 04/17(水)23:15 AAS
>>212
人類史無敵?
220
(1): 04/17(水)23:44 AAS
>>4
なんかもうこれだけで確定に近いだろ
221
(1): 04/18(木)04:06 AAS
広志には「百女国以北其戸数道里可得略......
又、南して邪馬嘉国に至る。百女国より以北、其の戸数道里

文中の「邪馬嘉国ヤマガ山鹿市」の嘉は臺と酷似しており、
「嘉は臺」の誤字だろうで、「邪馬台国」が定説になった、が、
邪馬嘉国(ヤマガ山鹿市) 、百女国(八女市)も含む、北部全てが邪馬台国なのである。

熊本県菊池川の北側には鉄剣が出土した江田船山古墳そばに、山鹿市などがある。

広志などの、百女国(八女市)と邪馬嘉国(ヤマガ山鹿市)以北、が邪馬台国と書かれており、
手前の女国とは八女津姫、田油津媛(たぶらつひめ)伝説などがある八女市だろう、
なお、南限 百女国と邪馬嘉国(ヤマガ山鹿市)の、その南が敵対関係の狗奴国である。
222: 04/18(木)04:15 AAS
そして記紀に記された、ヤマトタケルの熊襲征伐や山鹿市となり
玉名市の江田船山古墳のワカタケル鉄剣名などが、狗奴国、熊襲征伐の証しで、
後には、八女の筑紫の君、岩井の反乱も起きた政治的に複雑な地域なんだろう。

卑弥呼時代には既に倭国同盟のようなものが西日本中心に瀬戸内海界わいや
近畿・尾張地方まで統合されつつあった中で
オオクニヌシの出雲国や九州南部、狗奴国、熊襲が敵対的で同盟しなかったのだろう。
その過程の物語がヤマトタケルの八俣の大蛇退治…かな。
223: 04/18(木)04:24 AAS
八女津媛が邪馬台日女の事で百女姫(百襲姫)なんだろう。
224: 04/18(木)08:34 AAS
邪馬台国の中心は阿蘇だったけど、6世紀頃の阿蘇山噴火で消滅した
しかし重要なお墓などは掘り起こして、山鹿市付近に移転した
それが装飾古墳であり、卑弥呼の墓である
225: 04/18(木)11:08 AAS
邪馬嘉 Xié mǎ jiā
226: 04/18(木)16:00 AAS
>>221 の話が正しく、>>4>>220 の話題なんだろう。

>>4
BS-TBSの諸説あり!の映像らしいが、
弥生時代の鉄鏃が大量に出土した場所が九州を横断するように存在している
どう見てもここが邪馬台国と狗奴国が戦闘してた戦線=国境ライン

画像リンク[jpg]:i.imgur.com

熊本も菊池川より北側あたりは女王国に属していたようだ
これは免田式土器の分布とも一致する

画像リンク[jpg]:i.imgur.com
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