富雄丸山古墳にまつわる10の謎 (332レス)
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49(3): 06/16(日)06:57 AAS
磯城王朝という言葉を使うのに慎重になる必要があるな
・現地の地名が磯城郡なので、磯城王朝という言葉を使うのはもっともなことだが…
・出雲の伝承に基づく磯城王朝説は欠史八代を指して、物部王朝の崇神天皇ないし垂仁天皇に滅ぼされたとする。崇神天皇の磯城瑞籬宮は桜井市(奈良盆地の反対側)。また、物部王朝を滅ぼした応神天皇以降を平群王朝と呼ぶ(平群も磯城郡の地名)。
忍熊王のことは磯城王朝と呼ばずに
古墳が集中している土地にちなんで佐紀王朝、佐紀政権と呼ぶ方が無難ではないか
50(1): 06/16(日)07:04 AAS
>>48
判官贔屓ってやつか
日本人そのもので笑えるな
51: 06/16(日)08:49 AAS
>>49
佐紀には神功皇后陵墓があるため区別しにくかった部分があり、便宜上磯城の名を使った程度と思ってくださって結構です
52: 06/16(日)11:54 AAS
>>49
富雄は生駒郡
磯城郡は今の田原本町から桜井市や天理市を含む地域
53(1): 06/18(火)11:01 AAS
櫛があるなら被葬者は女性じゃないの?
装飾品が無いのは不思議
54: 06/18(火)19:06 AAS
>>53
確かに今回の造り出しの木棺は女性の可能性が強いです
誰か、という議論は盗掘されていた主葬部の被葬者のことと思ってください
55: 06/22(土)08:25 AAS
押熊の伝承を調べてみるとカオスで面白いよ
古くからあった龍神社が後から進出した八幡社に乗っ取られたとか
(応神朝と崇神朝の対比?)
押熊八幡社社の径16m高さ2m程の小さな円墳が忍熊皇子と言われてるが八幡と合祀することに意味不明で怪しくしかも未調査なのだとか
近隣にある籠坂、籠池は押熊皇子ともに決起した籠坂皇子を指している
そのため忍熊伝承はこの地域発で間違いないだとか
押熊は熊襲を討ち取ったヤマトタケルが一時帰還した土地
忍熊皇子より先に地名がありヤマトタケルの子孫の忍熊皇子はそこから名付けられているとか
いやいや熊ではなく隈で盆地の端の意味で神話とは無関係だとか
異論百出
省1
56(1): 06/25(火)18:54 AAS
蛇行剣格好よすぎる
最大かつ最初期らしいな
57: 06/27(木)04:13 AAS
蛇行剣と縦型銅鏡の性格を鑑みると4世紀より祭祀と武具の融合が試みられている点が最も特筆すべき点だと考えることができる
それまでの威信財のあり方としては銅鐸や銅鏡、貝輪、勾玉など交易による特産威信財の頒布が主な目的であったのに対し、4世紀以降において蛇行剣を初めとした儀式的武具が出現した
その後5世紀では古墳の武具埋葬が目立つようになるため、富雄丸山古墳の出土品はこの過渡期と言えるだろう
これは3世紀後半以降に交易ベースの平和的な統合から思想的、戦闘的侵略併合のフェーズに変わったことを示唆しておりその背景にあるのが技術格差といえるだろう
鉄と銅の生産技術を一部の勢力が独占することで得られる優越性の誇示
例えば同時代の七支刀もこの理念において作られたものと考えると矛盾が無い
58: 06/27(木)04:41 AAS
武具と祭祀が融合することは、その当時征服の正当性を強調するために効果的であったと思われる
文字がないため視覚的感覚的に強烈な印象を残すことができるからだ
例えば熊襲を討ったヤマトタケルが進駐を隼人の豪族に移譲するために手渡し、また東北の蝦夷に対して派遣した将軍に手渡す
蛇行剣が地方で多く発掘される要因はこのような意図があったからだと想像できる
当然、当時の王権のトーテムは蛇であり龍であっただろう
富雄丸山古墳の被葬者はこの時代の中心に居た、祭祀と軍事を司る一族だということは疑いない
59: 06/27(木)11:37 AAS
なかなかおもしろい考察
キテレツな形の銅矛が祭祀に使われていたと推測されているのをどう考えるか
蛇行剣が蛇または龍をかたどっているというのはなるほどと思う
60: 06/27(木)12:41 AAS
日本には青銅器と鉄器が同時に伝わったということだけれども、
やはり入手や加工のしやすさに差があって、
青銅器は容易に手に入るから副葬品にされても
鉄器は貴重だから埋葬されずに、遺品として継承されたのではないかな?
そして鉄の生産量が増して、鉄を埋葬してしまってももったいなくなくなってきて
鉄製の刀剣が副葬されるようになったのが3世紀や4世紀だと
61: 06/27(木)12:48 AAS
蛇行剣出土場所は作り出し部分とされているが、円墳部ではないかと?
画像リンク[jpeg]:i.imgur.com
62(1): 06/29(土)10:33 AAS
帆立貝形古墳に思える
63: 06/29(土)10:36 AAS
私は被葬者が当時の権力者の中でも特に高貴な人物であったと推測します。
しかし、一方で、4世紀後半という時代設定に疑問も抱きます。なぜなら、「割竹形木棺+竪穴式石室」ではなく「割竹形木棺+粘土槨」という様式を採用しているからです。
64: 06/29(土)10:40 AAS
何世紀頃と考えます?
65(1): 06/29(土)15:47 AAS
時代はわりかし妥当じゃないかな
もう少し新しくてもいい気がするがいかにも纒向と河内の中間位の年代感
主に5世紀から出土する盾持ち埴輪も出土しているし4世紀だとするとかなりエポックメイキングな存在だ
あと仮説だが、この円墳の構造はそもそも前方後円墳のつもりで造営していたものを途中で中止し形状変更したような特異さがある
前方後円墳の前方部が、子孫が繁栄を祀るための基壇だとするとそれが無い、すなわち世継ぎが絶えた偉大な一族のようなイメージ
66(1): 06/29(土)22:15 AAS
蛇行剣
初め見た時は国産鍛治が技術不足で鍛造が足りなくて継ぎ足したり真っ直ぐ作れなかったのかと思っていたが、調べるとわざと軟鋼としていて専用の工房が必要だったり、研ぎなどが直刀よりも困難だったりして鍛治を知悉していないとかなり制作困難なものらしいね
七支刀もそうだけど、それだけしてまで製作する必要性とか意味が無いと作れないということだ
5世紀に作られる鉄製馬具や鉄製鎧の先行技術かもしれないね
67: 06/29(土)23:18 AAS
なぜ大きいのでしょうか?
68(1): 06/30(日)18:27 AAS
>>65
通説を疑うスレに
小学校の教科書みたいな文体で通説を解説する馬鹿
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