【日本史】GHQに焚書された書籍 (534レス)
上下前次1-新
430: ブログ転載 11/08(金)14:04 AAS
p264
(6)天皇の御威光と国民の後援
世界戦史上にもかつて例のない大勝を得たのはそもそも何によるのであろうか。第一には天皇の御威光、第二には軍人の義勇奉公、第三には国民の挙国一致的後援、第四には教育の力、第五には文化一般の発展などを数えることができよう。
とりわけ天皇の御威光と国民の後援ということは忘れてはならない。
戦時中天皇は御昼の御膳も二時三時に召し上がることは度々で、夜も九時過ぎまで御政務をおとりになり、戦後論功行賞の数は二百万、一々御裁可を与えなさり、五等以上の勲記にはことごとく御自ら御署名あらせられ、半年の間一日も御休みはならなかったと漏れ伺う。
四方(よも)の海 皆同胞(はらから)と 思う世に など波風の立ち騒ぐらむ
〔国中 皆同胞と思う時代に どうして波風がひどく騒ぐのだろう、いやそんなことはない。〕
弓矢とる 国に生まれし 益荒男(ますらお)の 名を現さむ 時はこの時
〔弓矢をとるという武士の国に生まれた立派な男子が名誉を得ようとするなら、その時はこの日露戦争の時だ。〕
子らは皆 戦の庭に 出で立ちて 翁や一人 山田もるらむ
省6
431: ブログ転載 11/08(金)16:03 AAS
p265
国民はまた増税の負担に甘んじ、募債に応じ、例えば、三十七年二月十三日勅令をもって発した国庫債権一億円は、国民の老幼婦女、貴賤貧富を問わず、あらゆる人々が応募しているといっても過言ではない。また例えば、赤十字社が敵味方の別なく救護に努め、愛国婦人会が出征軍人及び家族の慰問、戦病死者の弔慰などに全力を尽くしたのは、いずれも、その功績は著しいものであった。
(三)講和条約を結ぶ
戦役の大勢がすでに定まったのを見て、アメリカ大統領ルーズベルトが六月九日講和のことを勧告した。我が国の政府はこれを受け容れ、ロシア国もまたこれに応じ、会商地をポーツマスと定め、両国は互いに全権委員を特派した。
日本側
外務大臣 小村寿太郎 米国駐在公使 高平小五郎
随員ー弁理公使 佐藤愛麿 政務局長 山座円次郎
外務書記官 安達峯三郎 陸軍大佐 立花銃次郎 テニスン
ロシア国側
前大蔵大臣 ウィッテ 米国駐在大使 ローゼン
省4
432: ブログ転載 11/09(土)08:36 AAS
p266
一、ロシア帝国政府は、日本国が韓国において政治上・軍事上及び経済上の卓絶な利益を有することを承認し、日本帝国政府が韓国において、必要と認める指導・保護及び監理の措置を執るにあたり、これを阻害しまたはこれに干渉しないことを約束する。
韓国におけるロシア国臣民は、他の外国の臣民または人民と同然同様に待遇されるはずで、換言すれば最恵国の臣民または人民と同一の地位に置かれるべきものと知るべし。
両締約国は一切の誤解の原因を避けようとする為、ロシア・韓国両国の国境においては、ロシア国または韓国の領土の安全を侵迫することがあるに違いない何らの軍事上措置を執らないことに同意する。
一、ロシア帝国政府は、清国の主権を侵害し、または機会均等主義と互いに受け容れられない何らの領土利益、または優先的もしくは専属的譲与を満州において有さないことを声明する。
一、ロシア帝国政府は、清国政府の承諾をもって、旅順口・大連ならびにその付近の領土、領水の措置権及びその租借権に関連し、またはその一部を組成する一切の権利、特権及び譲与を日本帝国政府に移転譲渡する。
ロシア帝国政府はまた前記租借権がその効力を及ぼす地域における、一切の公共営造物及び財産を日本帝国政府に移転譲渡する。
一、ロシア帝国政府は、長春(寛城子)旅順口間の鉄道及びその一切の支線ならびに同地方においてこれに付属する一切の権利、特権及び財産、また同地方においてその鉄道に属し、あるいはその利益のために経営される一切の炭坑を、補償を受けることなく、かつ清国政府の承諾をもって、日本帝国政府に移転譲渡すべきことを約束する。
一、ロシア帝国政府は、サハリン島南部及びその付近における一切の島嶼ならびにその地方における一切の公共営造物及び財産を、完全な主権と共に永遠日本帝国政府に譲与する。その譲与地域の北方境界は、北緯五十度と定める。
433: ブログ転載 11/09(土)12:59 AAS
p267
この条約に対して、欧米列国の新聞は「日本の深慮に出た控え目さだ」とか「日本政治家の賢明に基づいた決断だ」とか言って褒め称えたが、国内の民衆はこの条約を十分ではないと考えて、日比谷に焼き討ち事件などの不祥事を惹起し、戒厳令をしくに至り、小村全権に対する批難もその極みに達したが、小村は終生この間の消息については弁明しないで世を去った。事実は、我が国に「内情の苦しみ」があったのである。「内情の苦しみ」とは要するに軍備上・経済上、これ以上の戦争が続かなかったということである。
(四)樺太及び租借地の経営
(1)樺太の経営
三十八年我が国の陸海軍は樺太を占領し、民政署を真岡に置き、後に大泊に移してこれを治めていたが、平和克復の後、北緯五十度以南の地を我が国に割譲することとなるや、三十九年六月、両国各委員を同島に派遣し、実地踏査を行い、境界線を定め、四個の大石標と十七個の小石標を立てて国境標とした。この事が終ったのは四十年十月であるが、この時より以前四月には、これまでの軍政を廃止して、新たにこれを内務省の所管に移し、樺太守備隊司令官楠瀬幸彦を民政長官に任じ、別に軍令部をおいて、民政長官がこれを兼任した。後四十一年にはこれを廃止して、樺太庁を豊原に置き、樺太長官に命じて政務を執らせた。本島の開拓には土地貸し付けの制を立てて、内地農民の移住を奨励したことはかつての北海道と同じことであった。
(2)関東州の経営
省1
434: ブログ転載 11/09(土)15:29 AAS
p268
(3)満洲の経営
ロシア国が南満洲鉄道を我が国に譲ったので、我が国はこの鉄道を経営して南満洲の利源を開発するために、南満洲鉄道株式会社を大連に創立することとし、まず総理大臣西園寺公望は自ら満洲を視察して帰り、六月八日をもって、会社設立に関する勅令の発布を見るに至った。児玉源太郎・寺内正毅が相次いで委員長となり、八十名の委員と共に全力を尽くして会社は設立され、総裁には後藤新平、副総裁には中村是公を任命し、鉄道・鉱業・水運・電気・委託販売・土地家屋の経営に当たらせた。
また明治三十九年六月一日をもって、奉天・安東県・大東溝の三市を解放し、九月一日には大連も解放して、かねてから我が国が主張した門戸開放、機会均等を進んで実行した。
こうして満洲は完全に我が国の力によって更正の機運に向かったのである。
(五)清国の領土を完全に果たす
古来満洲の地は、民族としての協調統一はなく、何度もの興亡を重ねて、後西天皇の寛文二年「明」が亡び、満洲から「清」が興って、南方に出て、清朝を立てたのであるが、その清朝ですら満洲を見るのに、関外の辺境としてかえりみず、特別な取り扱いをしていたもの、たとえロシアにこれを蚕食されるとしても、甚だしい苦痛を感じる程度には認識が深まっていなかったらしい。その場合に我が国は、ロシアの蚕食を阻止してこれを撃退した。この大いなる犠牲を払って満洲をロシアから取り返してこれを清国といたし、清国は再び政令をここにしくことが出来、我が国の目的も達したわけであるが、我が国の利権開発、治安維持を幸いに漢民族は急激に流れ込んだ。何でも日露戦争頃には満洲の人口九百万といったものが、昭和七年三月一日、新満洲国ができた時には、人口は三千万以上となっていた。多数の漢民族が満洲において生活をなし得た者、ひとえに我が国の恩恵によるというべきである。
435: ブログ転載 11/10(日)07:58 AAS
p270
学習参考
(1)挿絵解説
「旅順の要塞陥落する」絵は英国の画家ウービル筆によったものという。旅順開城の議、彼の国に決したのは明治三十八年一月一日、この日午後五時我が国に使いをして開城条件を議定されるだろうことを申し込んだので、二日正午水師営を会場として談判を始め、終ったのが午後四時三十五分、調印が済んだのは午後九時四十五分であった。有名な両将軍水師営の会見は一月五日に行われたもの、この日ステッセルは午前十時三十分ここに着き、乃木将軍は十一時十五分来着された。この絵は両将軍会見の想像画とみるべきである。
(2)指導要領
三月十日や五月二十七日というような暦日環境・戦利品・奉公碑・記章勲章・当時の新聞雑誌、思い出話など環境になるものが多い。
特に郷土の戦傷者調査などの作業より独自学習をすすめ、地図や時表学習などの作業に導き、「明治三十七八年戦役をやった我が国の精神はどこにあったか」または「この戦いを避けることはできなかったか」などを中心として、相互学習をやった方がよかろう。
この教材は尋小においても学習しているのであるから、ここでは既習の事項を想起させ、その足りないのを補い、かつこの事件の体系を把握させ、その中に潜んでいる意味すなわち国家的発展について、十分な認識をさせたいものと思う。
その間、関係図も多いし、関係人物も多い。適評を下して進んでいく。
この教材は完全に現在の生活に関係を持っている。特に満洲国の成立とも関係がある。それに照応するよう取り扱わねばならない。
省2
436(1): ブログ転載 11/10(日)11:27 AAS
p271
第五十四 韓国併合
学習目的
韓国を併合するに至った次第と意味及び併合後の施政についてわからせ、さらに対外関係のことから、世界的日本の国家的発展を中心として認知感得させるのが主眼である。
学習事項
(一)韓国の保護
省10
437: ブログ転載 11/10(日)11:32 AAS
>>436
軍略上必要な地点を臨機収容することができること、に訂正
438: 11/10(日)15:32 AAS
p273
しかしながら、当時韓国の情勢は、政治は相変わらず乱れ、人心は腐敗し一日もなおざりに付すればたちまち離反の状況を現し、収拾がつかない有り様を見せたので、在野の士、宗秉?o・李容九などは元の親日党を糾合し、一進会を組織して国論の喚起につとめ、明治三十七年八月二十二日をもって第一次日韓協約を結ぶに至った。
一、韓国政府は財務顧問として日本政府が推進する日本人一名を傭聘し、外国顧問として日本政府の推薦する外国人一名を傭聘し、その意見を聞いて、財務外交のことを施行すること
一、外国との条約締結その他重要な外交案件、すなわち外国人に対する特権譲与、もしくは契約などの処理に関してあらかじめ日本政府と協議すべきこと
この約束によって政府は大蔵省主税局長目賀田種太郎を財務顧問に、米国人ホワイト・スチーゾンスを外交顧問に推薦し、韓国内政の改善に努めたが、韓国内には様々な流言・陰謀も行われて、容易に情態は改まらなかったので、三十八年九月、日露講和条約が成立し、韓国における我が国の特殊権益を明らかにした時、その十一月伊藤博文は遣韓大使となって京城に赴き、韓帝に謁見して大いに説明するところがあり、ついに相互の権益を強固にさせることを期して、さらに第二次日韓協約を締結した。
一、韓国の外交権は日本に収めること
一、日本国政府はその代表者として、韓国皇帝陛下の御前に一名統監を置くこと
省4
439(1): 11/10(日)18:20 AAS
朝鮮から賠償金を巻き上げて親日の韓国人にその資金を与えたこともそうだけど
他の国の人物が朝鮮の顧問になるというのも、明治新政府の顧問がフルベッキだったことを踏襲していると思う。
しかもまたアメリカ人が顧問
1871年の辛未洋擾などは、朝鮮の大院君が強固にアメリカの開国要求を拒絶したことから起こったが、その後アメリカから朝鮮へのアクションはない。
その代わり日本がしゃしゃり出て朝鮮の開国にこぎ着ける。
その様子はまるで日本がアメリカの手先(笑)
それで結局アメリカは労せずして朝鮮の顧問になる。
日露戦争だって金がなければ戦争できなかったのにロスチャが資金を出したから戦争ができるようになった。その後ロシア帝国は倒れて共産主義になった。共産主義者にはロシア系ユダヤ人トロツキーなどがいる。
ユダヤ人は労せずしてロシア帝国を倒した。貸し付けた資金も莫大な利子付きできっちり回収した。
440: ブログ転載 11/10(日)21:47 AAS
p274
一、韓国政府の内政は、日本はこれを指導すること
一、その他六条
明治四十年七月二十四日
光武十一年七月二十四日
ここに至ってますます保護の成果を挙げ、韓国の多年の幣政は刷新されるという機運に達した。次いで四十年十月我が国の皇太子嘉人親王は、親しく韓国皇室を訪問なさり、また韓国皇帝は、その皇太子英親王を我が国の皇室に託して、東京に留学させなさり、両国の関係はますます親密となった。
越えて四十二年六月、伊藤博文は職をやめて枢密院議長に転じるや、副統監曽根荒助が代わって統監となり、さらに韓国と約束して日韓覚書を交換した。
一、韓国の司法権は日本に委託すること
二、その他三条
明治四十二年七月十二日
省5
441: ブログ転載 11/11(月)05:40 AAS
p276
第一条
韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本皇帝陛下に譲与する。
第二条
日本国皇帝陛下は前条に掲げた譲与を受託し、かつすっかり韓国を日本帝国に併合することを承諾する。
第三条
日本国皇帝陛下は韓国皇帝陛下・太皇帝陛下・皇太子殿下、ならびにその后妃及び後裔をして、各その地位に応じ、相当な尊称威厳及び名誉を享有させ、かつこれを保持するのに十分な歳費を保給すべきことを約束する。
第四条
日本国皇帝陛下は前条以外の韓国皇族及びその後裔に対し、各相当の名誉及び待遇を享有させ、かつこれを維持するのに必要な資金を供与することを約束する。
第五条
省10
442: ブログ転載 11/11(月)13:40 AAS
p278
韓国併合に関する詔書
朕は東洋の平和を永遠に維持し、帝国の安全を将来に保証するのが必要であるのを思い、また常に韓国が禍乱の淵源であるのに顧み、以前に朕が政府に命じて韓国政府と協定させ、韓国を帝国の保護の下に置き、もって禍源を途絶し、平和を確保すべきことを期した。
それ以来、歳月を経ることは四年ばかり、その間朕の政府は鋭意韓国の施政の改善に努め、その成蹟はまた見るべきものがあるといっても、韓国の規則はいまだ治安の保持を完全に果たすのに足りない。疑って不安に思う心は常に国内に充溢し、民は安堵しない。公共の安寧を維持し、民衆の福利を増進すべき為には、革新を現制に加えることが避けられないことは瞭然であるのに至った。
朕は韓国皇帝陛下と共にこの事態に鑑み、韓国を挙げて日本帝国に併合し、もって時勢の要求に応じるのがやむを得ないものであるのを思い、ここに永久に韓国を帝国に併合することとなった。
韓国皇帝陛下及びその皇室各員は、併合の後といっても相当の優遇を受けなければならなく、民衆は直接朕の撫の下に立って、その康福を増進すべく、産業及び貿易は治平の下に顕著な発達を見るに至るに違いない。
そうして東洋の平和はこれによってますますその基礎を強固にすべきなのは朕が信じて疑わない所である。朕は特に朝鮮総督を置き、これに命じて朕の命令を受けて、陸海軍を統率し、諸般の政務を総轄させる百官有志は、よく朕の意を体現して事に従い、施設の緩急はそれが適切であることをもって、衆庶を永く治平の慶びに頼らせることを期せよ。
またこの日旧韓国皇帝はその旧臣民に告諭を発せられた。
443: ブログ転載 11/11(月)17:03 AAS
p279
旧韓国皇帝の告諭
朕は否徳にして艱大な事業を引き継ぎ、即位以後今日に至るまで、維新の令政に関し、丞図し備試し〔※たすけを意図し備えを試し?〕、力はいまだかつて至らなかったことがないといっても、もともと長患いがあり疲弊は極所に至る。期日間に挽回の施し措きは望みなし。昼夜憂慮し、善後策は漠然としている。ここに任務し、身体障がいはますます甚だしいので、自ら終局収拾することができないでとどまるだろう。むしろ大任を人に托し、完全な方法と革新的な功績をもたらせるのに越したことはない。
ゆえに朕はここにおいて驚いて見、内省し、心が晴れ渡り、自ら決断し、ここに韓国の統治権を従来から親信依仰〔※親しみ信じ頼りにし尊敬する?〕している隣国大日本皇帝陛下に譲与し、外政は東洋の平和を強固にし、内政は八城の民生を保全しようとする。
思うになんじら大小国民は、国勢と時宜とを深察しごたごたと乱れることなく、各々その仕事に安んじ、日本帝国の文明新政に服従し、幸福を共愛せよ。朕の今日のこの行いは、なんじら有衆を忘れるのではない。ただなんじら有衆を救治しようとするという真心に出る。なんじ臣民らは朕のこの意をよく心にとどめて守れ。
韓国併合の意味は、この詔書と告諭によってすっかり明らかになったのである。
444: ブログ転載 11/11(月)17:03 AAS
(三)朝鮮の施政
天皇の考えは深慮だ、併合の始めに当たって、詔を下し、前韓国皇帝を昌徳宮李王、前々韓皇帝を徳寿宮李太王、皇太子を王世子、李及び李熹を公とし、いずれも待つのに皇族の礼をもってし、殿下の敬称を用いさせなさり、さらに皇室令をもって朝鮮貴族令を発布させ、朝鮮貴族には五爵を定め、我が国の華族の礼遇を賜った。また大赦を行い、減租を断行して有終の成果を全うされた。
この時から韓国を改めて朝鮮と称し、これを十三道に分け、新たに朝鮮総督府を置いて、一切の政務を治めさせたのであるが、その初代の総督は寺内正毅で、国材一千七百万円を支出して十三道に分け、各方面の資金に充てさせ、内政を改めて産業をすすめ、半島の開発は年と共に進んだ。合併の後、これに力を尽くした総理大臣李完用を暗殺させようとして傷つけた者がいたりしたけれども、大体においては次第に朝鮮民の理解を得て、内容的にも合併の成果を挙げることとなり、我が国は一千三百万の新しく戸籍に登録された同胞を得て、面積において一万四千方里の増加を見たのである。
445: ブログ転載 11/11(月)19:50 AAS
p280
(四)欧米諸国との親交が加わる
韓国併合によって東洋の平和は永遠に強固となったが、その前後に当たり、欧米諸国との交際も大いに進んで、三十八年十一月英国と互いに公使をのぼらせて大使としたのを始めとして、三十九年一月には米国・ドイツ・フランスと大使を交換し、四十年二月にはオーストリア=ハンガリー帝国及びイタリアと、四十一年五月にはロシア国といずれも大使を交換するに至った。
また東洋に属領を有して我が国と利害の関係が深い国々とは、さらに交渉を重ねることとし、駐英大使林薫に命じて英国政府と交渉させ、以前に結んだ日英同盟を改訂して、東亜及びインドに範囲を拡張し、今度は攻守同盟としたのである。時は明治三十八年八月十二日であった。
次いで明治四十年六月十日には、駐仏大使栗野慎一郎とフランス国外務大臣エスピションとの会商によって、日仏協約及び宣言を協定調印した。その目的は清国の領土を保全し、東洋の平和を維持することにあった。
明治四十年七月にはロシア国と協約を結んで、ポーツマス条約によって生じる一切の権利は互いに尊重し、清国の独立及び領土保全を約束し、清国における機会均等主義を承認し、各その執りうるべき平和手段によって現状の維持存続に務めることを約束した。これによって相互の誤解を除き親交を加えることができた。
日露戦争の後米国では我が国を誤解する者がいる。ある者はフィリピンを奪うのではないかと危ぶみ、ある者は我が国の労働者が全米の労働者にとって代わりはしないかなどと考えたので、明治三十九年十月には日本学童排斥問題を起こし、さらに我が国の労働者をも排斥したので、我が国は度々抗議を申し込み、米国政府もこれの解決につとめたが、容易に事は落ち着かなかった。しかし高平駐米大使と国務卿ルートとの間に交渉を重ねた結果、明治四十一年十一月には、日米覚書の交換が行われた。これは太平洋方面の現状維持と、各自の所領を尊重すること、清国の領土保全機会均等などを約束したものである。
それなのに四十三年一月には米国は突如として満洲における日露両国の鉄道を列国共営となすべきこと、いわゆる満洲中立問題を提議したが、日露両国協議の上、これを拒絶し、同年七月さらに日露新協約を結んだから、ロシア国との親交は戦前にも増すようになった。
446: 11/11(月)19:56 AAS
アメリカと険悪になっていったのはお雇い外国人が退職していったことが関係あるのか…?
明治のお雇い外国人
外部リンク:kotobank.jp
デニソン Henry Willard Denison (1846―1914)
アメリカの外交官。1880年(明治13)外務省の万国公法副顧問となり外交政策全般を指導。おもに日清(にっしん)・日露戦争、朝鮮併合、日英通商条約改定などに関与。東京で死去。
スティーブンズ Durham White Stevens (1851/1852―1908)
アメリカの外交官。1883年(明治16)より在米日本公使館に勤務。1884〜1885年外務卿(きょう)秘書官となり対アメリカ政策に従事。1904年日本政府の要請で朝鮮の外交顧問に就任、対朝鮮政策を担当。朝鮮人の反感を買い、サンフランシスコで射殺された。
447: 11/11(月)20:04 AAS
デニソンは大正3年に死ぬまで顧問だったから、日米関係の悪化には関係ないのかな
>>261
明治初期の1円が現代の2万円の価値なら、お雇い外国人は月給500〜600円、多い人で1000円以上。
岩倉具視月給600円三条実美月給800円
448: 11/11(月)21:26 AAS
朝鮮人はアメリカ人も暗殺してたんだ
日本人はペリーを恩人とまで言って欧米崇拝していてるからアメリカ人はなめてるんだろうけど、朝鮮人は暗殺してくるからビビって日本を支配する手下にして優遇してるんだろうか
449: ブログ転載 11/11(月)22:10 AAS
p282
学習参考
(1)挿絵解説
「皇太子韓国皇室を訪問しなさる」の挿絵は、朝鮮京城景福宮内宴会場慶会樓の入り口における記念撮影の御写真によったものである。皇太子嘉仁親王、すなわち後の大正天皇は、明治四十年十月十六日に仁川へ着御、京城滞在四日にして二十日にはまた仁川を御出発、二十三日佐世保に環啓遊ばされた。挿絵はこの御訪問記念として撮影されたもので、前列左から皇太子殿下・韓国皇太子・有栖川宮威仁親王・伊藤博文、第二列左から李秉武・李完用・東郷大将・桂大将・宗秉駿・趙重応、なお李完用の後ろに顔だけ見えるのは花房義質、我が国の皇太子殿下の後の軍人は駐屯軍司令官長谷川好道である。
(2)指導要領
朝鮮半島の変遷について一通りここでまとめておくことはよいことである。ここでは特に「併合されねばならない道理」を見つけさせておきたいものである。誰が聞いても首肯のできる「ねばならない」という点を発見させておくべきである。
この併合の意味については、どこまでも当時の詔勅及び旧韓国皇帝の告諭を原拠として考えねばならない。
当時我が国の生命線は朝鮮にあったことをわからせ、この生命線を確守しながら、外世界と親交をはかった。その態度を、移してもって現在及び将来に及ぼさねばならない。
現在の生命線は満洲であるという。我らはこの生命線を守りつつ、国際的発展を企図している。これらと比較照応させて取り扱うがよい。
韓国は既に併合された。我々は朝鮮民族を複合して、また大いなる複合的大和民族をつくっていかなければならない。
省1
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