【日本史】GHQに焚書された書籍 (534レス)
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122: [sage] 2024/09/22(日) 19:37:40.42 p103 第四十一 尊皇論と国学の勃興 学習目的 朝廷と幕府との関係につき歴史的に理解をさせ、かつ正当な観念を得させ、江戸幕府が朝廷に対し申し上げる態度から、尊皇論がだんだん起こり、国学の勃興は数多の尊皇家を輩出するに至り、やがて王政復古の大業を起こす原動力となって行く次第を学ばせ、国体観念を養うのを中心としながら他の文化にも触れる。 学習事項 (一)朝廷と幕府との関係 太平が久しく続いて学問の道がだんだん進むに従って、国史・国文の研究が起こり、武家政治は我が国体に反するとみなし、尊皇の大義を説く者も現れるに至った。 そもそも我が大日本帝国は万世一系の天皇が御自ら大政を統べなさるのをもって大法とするのに、平安時代の中頃から藤原氏は自家主義によって、同族ひとりで権をほしいままにして政治を乱し、ついに武将が国政を執るという変態を生じたのである。 室町時代応仁の乱後、世はいわゆる戦国の時代、虎狼がむさぼるように他国の領土を奪い、下克上の世相を現出して、収拾できなくなるに至るや、人間の統一要求は自ら生じ、ついに織田信長が起こってこれが任に当たる。 信長は乱世を秩序づけるには、我が国では皇室中心でなければならないと考えたのは、まことに当然のことであった。実に信長は皇室中心の大旗を掲げて中世を葬った者、秀吉はまたその継承者であった。 こうして天下統一の業は家康に至って大成するや、皇室中心思想よりも統一思想が勝ったものとみえて、再び幕府が成立し、巧みに中央集権的封建制度を確立した。 天皇は文教権をもっておられ、征夷大将軍その他百官の任命など、根本的文教権はあったに違いないが、これも実は名のみで、全くおそれ多い極みであった。 ところが幕府は兵権をもち、政治の実権を握っていたから、将軍は無限の権力を有して天下に臨み、国民はいつしかこれになれて、あえて疑問を差し挟まないだけではなく、将軍がいるのを知って、皇室の尊厳を知らない者すら少なくなかった。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1725662547/122
第四十一 尊皇論と国学の勃興 学習目的 朝廷と幕府との関係につき歴史的に理解をさせかつ正当な観念を得させ江戸幕府が朝廷に対し申し上げる態度から尊皇論がだんだん起こり国学の勃興は数多の尊皇家を輩出するに至りやがて王政復古の大業を起こす原動力となって行く次第を学ばせ国体観念を養うのを中心としながら他の文化にも触れる 学習事項 一朝廷と幕府との関係 太平が久しく続いて学問の道がだんだん進むに従って国史国文の研究が起こり武家政治は我が国体に反するとみなし尊皇の大義を説く者も現れるに至った そもそも我が大日本帝国は万世一系の天皇が御自ら大政を統べなさるのをもって大法とするのに平安時代の中頃から藤原氏は自家主義によって同族ひとりで権をほしいままにして政治を乱しついに武将が国政を執るという変態を生じたのである 室町時代応仁の乱後世はいわゆる戦国の時代虎狼がむさぼるように他国の領土を奪い下克上の世相を現出して収拾できなくなるに至るや人間の統一要求は自ら生じついに織田信長が起こってこれが任に当たる 信長は乱世を秩序づけるには我が国では皇室中心でなければならないと考えたのはまことに当然のことであった実に信長は皇室中心の大旗を掲げて中世を葬った者秀吉はまたその継承者であった こうして天下統一の業は家康に至って大成するや皇室中心思想よりも統一思想が勝ったものとみえて再び幕府が成立し巧みに中央集権的封建制度を確立した 天皇は文教権をもっておられ征夷大将軍その他百官の任命など根本的文教権はあったに違いないがこれも実は名のみで全くおそれ多い極みであった ところが幕府は兵権をもち政治の実権を握っていたから将軍は無限の権力を有して天下に臨み国民はいつしかこれになれてあえて疑問を差し挟まないだけではなく将軍がいるのを知って皇室の尊厳を知らない者すら少なくなかった
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