【日本史】GHQに焚書された書籍 (536レス)
上下前次1-新
266: 10/06(日)13:10 AAS
p182 第四十七 外交の進歩と社会の変遷
学習目的
明治新政府の開国方針は欧米にまでも実施の歩を進め、岩倉大使などの派遣となり、同時に欧米文化の輸入となり、社会のあらゆる方面の状態は急に変遷し、新旧思想の衝突も多少あったが、最終的には国運の発展となり、外交も国家社会も文化も大いに進んだことを認知感得させる。
学習事項
(1)外交の方針を確立する
隣国との修好が明けゆく間に、欧米諸国との交わりも追々進んだ。維新の始め朝廷は世界の大勢にかんがみ、徹底的に開国主義に改めて、徳川方の人々を驚かし、また末流の攘夷論者らをも驚かせたものであった。すぐに新政府は明治元年正月十五日東久世通禧を兵庫に遣わせ、ちょうどその時滞在中の各国公使に詔勅をお与えになった。
日本国天皇各国帝王及びその臣人に告げる。以前に将軍慶喜は政権を還そうと願う。制してこれを許し、内外の政事、これを親裁する。すなわち曰く従前の条約「大君」の名称を用いる。今から後は当然、換えるのに「天皇」の称を用いてすべきだ。そうして各交歓の職はもっぱら有司などに命じる。各国公使はこの旨を了解せよ。
同日また御沙汰書を国内に下し、時勢の必要上従来の鎖国主義を改めて、外国と和親を取り結ぶにつき、上下は疑惑を生じないで、大いに兵を充実し、国威を海外万国に光輝させ、祖宗神霊に返答遊ばされるはずの叡慮である事、及び幕府の取り結んだ条約も追々改革するつもりである旨を告げ知らせなされた。
こうして二月から三月にかけて仏・蘭・英公使に謁見をお与えになり、明治三年には英・仏・独・米に弁務使(公使)駐在を仰せ付けられ、次第に条約は国に及んで、交わりを厚くされたので、民間の外国人を嫌った者も、だんだん交際に慣れて、諸外国との親しみは年と共に加わって来た。
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