【日本史】GHQに焚書された書籍 (536レス)
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268(2): 10/06(日)17:07 AAS
>>248
大政奉還のことも荘村は予言してる荘村省三
外部リンク:ja.m.wikipedia.org
「1865年6月1日(慶應元年5月8日)の書簡でグラバーから薩摩が長州が協力関係を結ぼうとする極秘情報を得たことを伝えている。これは1866年(慶應2年1月)に薩長盟約として倒幕にむけ日本が大転換していく情報であった。グラバーは五代友厚とも親しく、薩摩藩と関係を深めていたが、両者と結びついた荘村だったからこそ、得ることができた情報であったと思われる。」
慶応二年1866正月探索書扣
(略)昨夜フルベッキより内話極密承取候段右二奉録上候
去る七日大軍艦薩州へ出船之期日アトミラール、ミニストルの両人より布累別幾(以下フルベッキ)へ書状を遣申越猿候趣者同人ハ日本へ年久敷罷在多分二日本士人江も相交り候事故当時之形勢二付承居候次第も可有之諸事承度との旨趣申越候由 フルベッキより返答致候趣者存寄之次第有之永々と事情相認直二英国女王殿下へ呈書相含候得共今暫時形勢観察之上と存差控居申候素時情見見聞之次第有之候間此方へ罷越し承候様返答二及候由同八日ミニストル、アトミラ−ル并領事館承候間フルベッキ演舌之大概左之通(略)
六月十一日
道家角左衛門様
??荘村助右衛門/肥後藩国事史料巻六
269(1): 10/06(日)22:33 AAS
>>268
慶応二年1866正月探索書控え
(略)昨夜フルベッキより内話を極密に承け取りました。右の段に記し上げ差し上げます
去る七日、(英国の)大軍艦が薩州へ出航の期日は、アトミラール、ミニストルの二人からフルベッキへの書状を越猿がお知らせ申し上げるとのことで、前に述べた人(フルベッキ)は、来日後の年数は久しくあります。多分に日本士人へも互いに交際します。
事故当時の形勢に付き承って居ります。理由もこれは当然有るはず。諸事承りたいとの旨とのことで、話して寄越しますゆえ、フルベッキから返答致すとのことで、この人の意見は、理由が有ると。
ながながと事情を書き記し、ただちに英国女王殿下へ手紙で説明して納得させるとしても、今しばらく形勢を観察の上と存じ、差し控えて居り申します。もとより事情、これを見聞きされ、理由これが有ります間、こちらへ伺いご承諾されますよう返答に及びます。
よって同八日ミニストル、アトミラ−ルならびに領事館が承ります間、フルベッキが道理を説き明かすことの大概は左の通り(略)
六月十一日
道家角左衛門様
??荘村助右衛門/肥後藩国事史料巻六
省1
377: ブログ転載 10/27(日)23:28 AAS
>>268の「猿」はWikipediaの誤字
『新訂肥後藩国事資料六巻』p660〜
六月十一日、在長崎の荘村助右衛門は英国公使パークスの行動に関するフルベッキの談話を奉行道家角左衛門に報告す
慶応二年正月より 探索書控??
謹んで記し上げ差し上げます。港内の事情は長崎にお出での最中にご見聞の通りで御座いますところ、またまた大いに打って変わりました形勢は、昨夜フルベッキから内話を極密にうかがい取りました件を、右に記し上げ差し上げます。
去る七日(大軍艦が薩州へ出船する期日)、アトミラール〔※提督〕、ミニストル〔※公使〕の二人からフルベッキに書状をやり、言って寄越します内容は、同人は日本に年久しく居ります。多分に日本士人とも交際するとの事なので、当時の形勢につき、うかがっております状況もあるはず。諸事承りたくとの内容を言って寄越します事情。
フルベッキから返答いたします。その様子は思い当たる状況がある。長々事情を書き記し、直ちに英国女王殿下への呈書を包み持ちますといっても、今しばらく形勢を観察の上はと考えて差し控えております。はじめの事情を見聞きした状況がありますので、こちらに参り承りますよう返答に及びますから、同八日ミニストル〔※公使〕、アトミラール〔※提督〕ならびに領事館が承りましたので、フルベッキ演説の大概は左の通り。
港内の商民は外国の形勢をちっとも知りません。それなのに諸藩の遊学生の中には各国二度の集会の論談を始め、薩長にミニストル〔※公使〕が参りました目的も、このようにあるに違いないと論じ、あるいはもしかするとこの意味かと疑いますなどと話しました。
諸方面にもこれがあります。大君〔※将軍〕の権勢を削ります場合に、企てる順序の論争等までも見聞き致しておりますとの内容を話し聞きました所、時務宰相、アトミラール〔※提督〕の二人はお聞きしまして、たびたび一様でないなりで驚愕いたします。
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