北海道と北方領土ってアイヌ人の領土だろ (480レス)
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207: 10/10(木)12:23 AAS
日本には7世紀までは父系出自集団が存在しないのは日本古代史の定説になっているので、早くても8世紀以降、現実には名実ともに父系制に日本がなったのは平安中期頃だろう。その時代に血統を強く意識した文学作品、源氏物語も生まれた。
それ以前の日本は双系制とみて良い。

というのも仏教伝来以前の日本の宗教は呪術であり、呪術の力こそが王権の正統性になっていたからだ。
ところが3~4世紀頃にモンゴル原産で朝鮮半島経由で入って来たある思想が日本列島に大衝撃を与えた。
天孫降臨神話、父系制、血統主義のセットである。
後に崇神天皇と呼ばれるヤマトの崇神大王はその先進性に衝撃を受けて父系制を導入した。
しかし当時はまだ呪術の力が大変強くて理念倒れとなり、仏教が伝来して呪術の効力が低下し始めてから、徐々に父系制が日本列島に浸透していった。
だから古墳時代の数世紀は王権の正統性が呪術から血統主義に移った不安定な過渡期と考えられる。

まあ日本特殊な事があるとしたら、弥生人でも古墳時代からの渡来人でも、在来勢力と大規模戦争して征服した痕跡が全くない事だね。
おそらく日本に来た連中は、当時国家の圧迫から逃れて来た避難民や中国、朝鮮半島の王朝交代時に発生した政治亡命者や難民などの烏合の衆がメイン。だから征服される事なく、先進技術や文字文化だけを上手いこと摂取する事ができた。
省2
208: 10/10(木)12:24 AAS
記紀神話自体は大昔には世界各地に似たようなものがいくらでもありふれていた。むしろ記紀神話の特殊性は記紀神話を編纂出来た事に尽きる。
あの当時でも縄文弥生期くらいの古い神話を継承している人たちは、淘汰されるか辺境にしか居なくなったからね。
でも日本では政治の中枢に強い影響力のある地方豪族がそれらの古い神話を継承していた。それで縄文弥生期以来の既に土着化していた神話を大量に取り入れる必要性が生じた。
ところがそれらの人たちの一部は中世後半になってくると、被差別民というネガティブな存在になっちゃう。
だが地域差がかなり激しくて縄文文化が濃厚だった東日本では近畿に比べて極端に少なく、鎌倉時代では皇族が移り住んでた鎌倉の一区画にしか被差別民はいなかった。
東北にはほとんどいなかったし、明治になって日本に組み込まれた北海道沖縄ではゼロ。
それに日本文化のメインストリームに縄文文化ががっちり組み込まれてたおかげで、20世紀に日本が先進国になっても縄文的感性は失われてはいなかった。
あえて飛躍するがアニメやゲームのキャラ、ゆるキャラ、萌えキャラなんかはそれこそ縄文時代の土偶を現代人の美意識に合わせてバージョンアップした様なもの。クリエイター個人の
才能だけでは説明できないほど現代日本で量産されている。
実際に外国人にはなかなかこういうキャラは作れない。欧米人だけでなくアジア人も不思議なほど作れない。
省1
209: 10/10(木)17:03 AAS
>>203
神武天皇に歯向かった長髄彦とかエミシとかの家系図を宮内庁に出した秋田氏は大和民族なのか?
支族として安藤氏、安東氏とかもいるぞ。
210: 10/10(木)17:10 AAS
分かってるとは思うけど念のため

204-208は孔子学院の南支那ボロブドゥールブタの願望フィクション
211: 10/10(木)18:01 AAS
大和民族の大多数=HTLV-1なし
大和民族HTLV-1というのは九州中心
アイヌ琉球HTLV-1の存在
それらのHTLV-1は14000年前以降

よって、
3万年前から北海道に住んでいたのは、
HTLV-1なしの、
大多数の大和民族であろうて。
212: 10/10(木)21:03 AAS
菅義偉「(入国ビザの大幅緩和に関して)、警察庁と法務省は治安維持の観点から大反対なんです。周囲から『犯罪者が大勢来て大変なことになりますよ』と言われたこともありました。私はこうした意見は一蹴しました。」(2021年9月日経のインタビューで)
213: 10/10(木)21:04 AAS
水田稲作と太陽神と海洋性文化は日本では古くから極めて深い結びつきがある。水田稲作をやっていた部族、太陽神を信仰していた部族、海洋性の部族がそれぞれ別々に日本に渡来して日本で融合したと考えるよりも、水田稲作と太陽神と海洋性文化のワンセットを長江河口を原郷とした倭人が朝鮮半島を経由して日本に伝えた、と考えるのが妥当だろう。
紀元前1000〜500年の500年間は倭人と縄文人がお互いと妥協に妥協を重ねて政治的な統合を成し遂げた平和な時代で、大規模戦争どころか局地戦の痕跡すら発見されていない。日本文化=和を重んじる文化が自然発生的に出現したと考えにくいので、この時代を出発点として歴史的和解から人工的に作られた、と思われる。とは言ってもこの時期の和を重んじる文化圏は範囲が狭くて効力も弱い無意識の文化圏だったが、長い時間をかけてゆっくり日本列島全域に浸透していった。ヤマトという言葉は元々は山の処という一般名称であったが、それが地域名となり、更に大いなる和=大和という平和を愛する理念にも次第になっていった。
214: 10/10(木)21:06 AAS
弥生人=倭人は元々長江河口にいた部族で船を住居にしていた。今でも発展途上国に行けば船を住居にしている人間がいるだろ?ただずっと海に漂っていた訳ではなく中国の海岸線を移動して川を発見すると、上流を遡って住むのに適切な場所を見つけると定住していった。だから倭人と一口に言ってもかなり多様性のある分類になる。彼らが日本列島にやって来た時も青銅器や稲作のノウハウは持っていても、建築に関する知識は乏しかったと思われる。船も解体すれば丸太にしかならないから、遺跡として残らない。
215: 10/10(木)21:06 AAS
弥生人とされる倭人は筏船を住居にしていたので、建築に関する知識には乏しかった。そして筏船は解体すると丸太しか残らないので、遺跡として残らない。
また船上のスペースは限られているので根っからのミニマリスト。必要最低限のものしか持たない。
彼らにとってどうしても手放せないもの、信仰する神様や祭祀、神話、水田稲作、漁業、青銅器に関するもの以外はアッサリ捨てた。

彼らは水田稲作だけでなく、漁業にも大変優れていた。長江流域で発達した鵜飼の技術で鮎などの傷つきやすい魚を捕獲出来たし、潜水漁法で水中深くにいる魚や海藻、貝類も捕獲出来た。また水田養魚もやっていた。普通の漁業法では採りにくい魚介類も多かったので、食料にして余ったものは現地人と物々交換し、服や食器など生活必需品を比較的容易に入手した。

それに長江河口から直に日本列島に来た訳ではない。漢民族の圧迫を受けてじわじわと中国沿岸を北上し、朝鮮半島西岸を南下。何世代かかけて日本にやって来たので、漢服や鼎などの文化はその途上の何処かで失われた、と思われる。
216: 10/10(木)21:08 AAS
倭人は水田稲作と太陽と海(航海と漁業)に深い繋がりがある。
倭人の最初の上陸地である対馬の阿連村の雷鳴神社のオヒデリ様や豆酘村に伝わる赤米儀礼と天童信仰は太陽や水田稲作に深く関連しているし、記紀神話でアマテラス女神の子とされている沖ノ島の宗像三女神も海路交通の守り神。
一口に倭人と言っても中国大陸内陸部に入っていき国家を形成した倭人は海との関連性が薄いが、日本に渡来してきた倭人はガチの海洋民。更に日本に渡来してきた倭人の中でも普通の倭人と特に航海技術に長けていた倭人グループがいて、後者がムナカタ(宗像)、スミヨシ(住吉)、アヅミ(安曇)の3グループ。
倭人アヅミ族の北部九州の初期の拠点が糟屋郡の新宮と志賀島。後の政治的事情から律令制後に国家神皇祖神に格上げされたアマテラス大神も、その頃はまだ倭人の多神教世界観の中の単なるいち太陽神に過ぎず、弥生期にはヒルメもしくはオオヒルメと呼ばれて、太陽の化身と太陽神を祀る巫女の両方の意味を持っていた、とされている。
217: 10/10(木)21:09 AAS
ムナカタとスミヨシは日本と大陸や半島間のヒトやモノの運輸に携わる職能集団だが、アヅミは半農半漁の生活集団だった。普通の倭人やムナカタ、スミヨシが海岸沿岸部を居住地にしていたのに対して、アヅミは日本海側と太平洋側の両方の海岸線から、川を遡って日本列島の内陸部までに広がって行った。 
アヅミという名前は海(アマ)に住む→アマスミ→アヅミに変化したと思われ、アヅミの居住地だった場所は安曇、安積、温海、渥美、熱海、弥富、泉、和泉、出水、飯泉、稲積、出海、伊豆見など日本各地に地名として残っていった。アヅミは「稲を高く積み上げた」という意味をもつ「穂積」「穂高見」という神様を信仰していたが、「ワダツミ(綿津見、海神)」という海神も信仰しており、ワダツミ神を祀った神社は内陸部にも沢山見つかる。またワダツミから和田という広く知られた地名苗字が発生。
218: 10/11(金)10:10 AAS
倭人は水上生活と言ってもボートピープルの様にずっと海洋に彷徨っていた訳ではない。中国の海岸線に沿って移動(水上生活)→定住→ 移動(水上生活)を繰り返して来た。中には河川から中国内陸部に入り、国家を築いたグループもいる。

つまり倭人(わじん)とは、
1、狭義には中国の人々が名付けた、当時、西日本に住んでいた民族または住民の古い呼称。
2、広義には中国の歴史書に記述された、中国大陸から西日本の範囲の主に海上において活動していた民族集団。
一般に2. の集団の一部が西日本に定着して弥生人となり、「倭人」の語が1. を指すようになったものと考えられている。
219: 10/11(金)10:16 AAS
DNA解析と「アイヌ民族否定論」:歴史修正主義者による先住民族史への干渉

これを読んだら結局はオホーツク人の南下によって劇的にアイヌになったような印象を受ける。
そしてザックリ言うといわゆる和人より縄文人の血が濃いだけという印象を受けた。和人だって純粋な弥生系渡来人だけの子孫ではない。縄文系弥生人の血の濃さで先住だの言うのやはり違うような気がするのだがどうだろうか?結局のところ「支配を受けた少数民族だから先住民族という事にしておこう」という程度に思える。
220: 10/11(金)10:58 AAS
機内の大和朝廷が北海道までテリトリーを広げたのは事実で、そこに住んでたアイヌが先住民なのは当たり前の話
221
(1): 10/11(金)10:59 AAS
日本人の血
 本州
22000年前は、縄文人100%
2000年前は、縄文人60%、弥生人(満州から半島経由)40%
1500年前は、縄文人20%弱、弥生人20%、渡来人(漢民族が長江・黄河流域から)60%強
現在、縄文人12%、弥生人16%、渡来人72%

 北海道
15000年前は、縄文人100%
1500年前は、縄文人(擦文人)80%、オホーツク人20%
現在、その血を引くアイヌは1万数千人に減っている
222: 10/11(金)12:26 AAS
>>221
つまり先住民族とは縄文人D1a2であって本州日本人と同根。

のちから渡来してきたオホーツク人、という異なる部分にスポットライトを当てて、
異民族としての先住少数民族に仕立て上げてるだけだな。
223
(1): 10/11(金)17:26 AAS
縄文時代には大和民族もアイヌ民族も存在しない
言葉や文化はもっと細かく分かれていた可能性はある
とりあえず大和民族が北海道を領土とした時点ではアイヌは別民族なんだから同じ縄文人なんだから云々という理屈は通らないよ
224: 10/11(金)17:31 AAS
>>223
別民族、という根拠は?
Yハプロで70%が同じなのだから、同一民族で内での地方差に過ぎないのでは?
225
(1): 10/11(金)17:41 AAS
民族の定義を調べたら?
アイヌ以外の日本人には弥生人の血が混じっている
例え遺伝的に同じだったとしても、日本語とアイヌ語は方言レベルの違いじゃない全く別の言語
もし、遺伝的にアイヌと同じ本州の人が、アイヌ語を話しアイヌの伝統文化に帰属を感じていれば本州アイヌ人だろう
自分がそうだと主張する人いる?
いないなら、いないこと自体が別民族だという一つの証左になるだろう
226: 10/11(金)17:51 AAS
これが遺伝学を使った起源地や移動経路の探査の精度の現実ですんでね

・遺伝子 ← 常に変化している無常のナマモノ

・出土遺物 ← 半永久的に変わらない絶対的存在

これらが出してきた答えがこちら↓

 
省5
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