謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国論争に終止符!200 (244レス)
上下前次1-新
158: 11/04(月)22:08 AAS
神山の「宇狭」が転じて、大分の「宇佐」
宇狭とは両岸まで南北の峯尾がせまり川幅がおしせまっている場所の形容からきた地名。 @阿波
159: 11/04(月)22:11 AAS
天皇の勅使が行った所が宇佐神宮だよ、太宰府から宇佐神宮までの道を勅使街道と呼ぶ
160(1): 11/04(月)22:14 AAS
>>157
それがどうかしたか?
宇佐神宮ができたのは奈良時代。
「奈良時代に阿波から勧請されたのが宇佐神宮の元社と言われる福岡県築上町「矢幡八幡宮(金富神社)」 @阿波
161: 11/04(月)22:18 AAS
>>160
その阿波の宇佐神社の創建したのは誰だw
162(1): 11/04(月)22:18 AAS
大分の宇佐八幡宮の開基は725年。
一方、阿波国 国府町井戸 「八幡神社」の開基は、白鳳二年(674年)。
大分の宇佐八幡宮の創建より遡ること51年、白鳳二年(674年)にこの阿波国 国府町井戸「八幡神社」は、
阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮ヨリ御分遷」とある。
よって、大分の宇佐八幡宮は、阿波国『国府町井戸 八幡神社』より51年遅れて、
神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)から勧請されたものであろう。 @阿波
163(1): 11/04(月)22:25 AAS
宇佐と阿波では歴史の深さが違う、宇佐家の居館は3世紀からある、小部遺跡がそれだ
164: 11/04(月)22:49 AAS
記紀の菟狭津彦の子孫が宇佐神宮の大宮司なんだな
165: 琪瑛教大祭酒 11/04(月)22:58 AAS
無駄無駄。
宇佐の巫女は三韓の巫女。
古くは韓伝にある巫女か、あるいは卑弥呼時代から半島で変化した巫女か、
または、313年以降列島にやって来て卑弥呼道場にお勉強に来ていた巫女。
宇佐は香春。韓神、八人の秦、八秦だろうが。
卑弥呼の影響を抑えるために韓神を卑弥呼道に合わせた、押しつけたんだよ、
それが神道。祖は天武。であろう。
166: 11/04(月)23:02 AAS
宇佐神宮が宗廟なのは応神が宇佐家の出自だからだよ
167(2): ネトウヨ撲滅隊! 11/04(月)23:05 AAS
曲学阿世の徒、これは現代ジャップの歴史家においては右翼史観に媚びる輩であろう
すなわちアイヌ民族は日本列島の先住民であって日本民族は後からやってきた移住者
邪馬台国はヤマト王権であり天皇の卑弥呼は中国に肯定に土下座した
こういった事実を否定するのが今日の曲学阿世の恥知らずの差別主義者のネトウヨである
168: 11/04(月)23:19 AAS
>>167
「三跪九叩頭の礼」は明治政府は拒否。李氏朝鮮は・・・
169: 11/04(月)23:27 AAS
>>167
ネトウヨの定義って何?
170: 琪瑛教大祭酒 11/04(月)23:43 AAS
宇佐は紫の輿に乗るんだろ。
何故紫なのか?
卑弥呼邪馬台国にはそんな痕跡はない。
いくら書物に書かれていようとも北枕前方後円墳が東枕八角朝鮮あさがお墳墓に変わったのだよ。
墓は嘘をつかない。
墓が書物を否定しているであろう。
そもそも、神武の詔勅。建国理念は記紀で初めて始められたのだよ。
その前から続いていたのならその理念の国家になっていなくてはならないのだよ。
辻褄が全くあっていない質の低い分らず屋ばかりだから本スレは飽きたんだわ。
無駄だわ。
省8
171: 11/04(月)23:47 AAS
崇神39年に中臣祖というか
タケミクラが与謝野で
アマテルとトヨケ祀ってたのか
じゃあ
モモソヒメ→タケミクラ(男)
→トヨスキ→倭姫→ヰモノ姫→イワシマ?
172: 11/04(月)23:47 AAS
宇佐は神輿発祥の地、神輿の御神体は薦神社内宮の薦で作った薦枕。
173: 11/04(月)23:50 AAS
伊勢湾台風で五百野の史料全滅は残念
174: 11/04(月)23:57 AAS
訂正
トヨスキ→タケミクラ→トヨスキ→倭姫か
一旦宮に戻ってまたやらされるのか
175: 11/05(火)00:35 AAS
ケクニ臣で中臣なら
邪馬壹のナンバー4あるな
イキマ(垂仁、立太子後)
ミマキ(崇神)
ミマカキ(皇后、大彦、武渟川別?)
ナカト(中臣)
建御倉命の親に宇佐津臣命
古代の大物主の出生にも絡んでるしな
自分の生い立ちが親達(母系剣臣)のやらかしで
ケクニ臣ミケヌシを失っていて
省2
176: 11/05(火)07:20 AAS
>>163
>宇佐と阿波では歴史の深さが違う
その通り。 奈良から遥かに遠い田舎の大分に深い歴史はない。 @阿波
177(1): 11/05(火)07:21 AAS
大分の宇佐八幡宮の開基は725年。
一方、阿波国 国府町井戸 「八幡神社」の開基は、白鳳二年(674年)。
大分の宇佐八幡宮の創建より遡ること51年、白鳳二年(674年)にこの阿波国 国府町井戸「八幡神社」は、
阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮ヨリ御分遷」とある。
よって、大分の宇佐八幡宮は、阿波国『国府町井戸 八幡神社』より51年遅れて、
神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)から勧請されたものであろう。 @阿波
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 67 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.010s