邪馬台国九州説 Part32 (258レス)
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231: 02/12(水)06:46 AAS
九州は女王国のパチモン集合地帯
232: 02/12(水)19:40 AAS
じゃあ九州以外で伊勢神宮の御桶代(みひしろ直径50cm)近い銅鏡が出る遺跡を教えてくれよ
233: 02/12(水)20:19 AAS
原爆投下は福岡にしとくべきだった
234
(1): 02/12(水)20:54 AAS
博多湾岸以外でイザナギ神話(筑紫の日向)と関わり深い地域って何処よ、南九州は論外だぞ
235: 02/12(水)20:56 AAS
>>234
ど真ん中に能古島(オノコロ)があるよね。
236: 02/12(水)21:00 AAS
国生み神話には、宮崎日向は存在しません。
白日別(しらひわけ) - 筑紫国。 豊日別(とよひわけ) - 豊国。
建日向日豊久士比泥別
(たけひむかいとよくじひねわけ、タケヒムカヒトヨクジヒネワケ) - 肥国。
建日別(たけひわけ) - 熊曽国。
237: 02/12(水)21:11 AAS
オノコロ島って小呂島(おろのしま)と能古島(のこのしま)と合わせた名だろな
238: 02/12(水)23:37 AAS
この向日が現在の宮崎地方だろうけど、古代では肥国領内の一地方だったんだろう
239: 02/13(木)00:13 AAS
だから神話時代には「日向国」なんて無かったのさ。
古代律令国家の「日向国」は西暦684年から696年までの間に成立したものと考えられています。
その日向国から702年には薩摩国が独立し、さらに713年4月3日には大隅国が分立しています。
240: 02/13(木)00:27 AAS
だから「日向ひむか」と「日向ひうか」の2種類の地名があった、
で筑紫は日向(ひむか・ひなた)、宮崎は(ひうか・ひゅうが)だったのだ。

日本書紀推古天皇20年条にみえる「譬(辟)武伽能古摩』(ひむかのこま)の「譬武伽」は日向(ひむか)
10世紀前半に成立した「和名類聚抄」は「日向比宇加国府在兒湯郡(宮崎県)」として「比宇加」(ひうか)とよんでいる。
241: 02/13(木)23:09 AAS
邪馬台国宮崎説ですか!?
242: 02/14(金)06:28 AAS
んなもん畿内説の攪乱目的しかないだろ
考古学資料を吟味して5分もすれば宮崎説なんて二度と考えなくなる
243: 02/14(金)07:30 AAS
九州説なんか1分もいらないけどな
244: 02/14(金)21:47 AAS
九州説論者はウソばかりつくから困る
245: 02/15(土)01:30 AAS
日本書紀にある「宇摩奈羅麼、譬武伽能古摩(うまならば、ひむかのこま = 馬ならば日向の駒)」
とは、糸島平野辺りに飼われてた馬の事なんだよ、筑紫の日向は(譬武伽ひむか・ひなた)と書かれ、

宮崎も日向と漢字表記するけど発音は(比宇加ひうか・ひゅうが)。
246: 02/15(土)01:39 AAS
景行天皇記にある高屋宮も糸島平野にある高屋山の麓のことで
熊襲も南九州じゃなく、九州北部を荒らしてた佐賀の悪党、川上タケルの事で
のち熊襲征伐に来た王子の小碓尊(日本武尊)がタケルの名をもらいヤマトタケルと名乗ったんだよ。
247: 02/15(土)01:53 AAS
天武天皇の皇子の舎人親王(とねりしんのう)たちが日本書紀編纂時、すでに混乱が生じてて
筑紫も宮崎も漢字表記で「日向」と書くが筑紫は「ひむか」宮崎は「ひうか」と言う全く違う場所。

ここに「八代」と表記すると普通の人なら「やしろ」と発音するだろ、でも地元民は「やっちろ」と発音する
「八代」と旅行本に地名表記されても、場所は全く違う所と言うこともある。
248
(1): 02/15(土)18:31 AAS
ひHむMかK=ひHみMこK=ひHめMこK 日向=卑弥呼=姫子
これ日(太陽)に向かって拝礼する農耕文化が稲作が始まったころより有ったんだろな。
249: 02/15(土)21:55 AAS
宮崎はたまたま「日向」の漢字を使うけども読みは「ひうか・ひゅうが」。記紀の「日向ひむか」とは関係ない。

日向 (福井県美浜町)(ひるが) - 福井県三方郡美浜町の地名。
日向 (静岡市)(ひなた) - 静岡県静岡市葵区の地名。
日向 那賀川町(ひなた) - 徳島県阿南市の地名。
日向峠(ひなたとうげ) - 福岡県道49号大野城二丈線途中の。
250: 02/15(土)22:34 AAS
>>248
よく気付いたな!その指摘は盲点だった
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