[過去ログ] 【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart30 (1002レス)
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(1): 2024/11/13(水)10:06 AAS
ヤナ人は田園洞人のラインに乗る
マルタ人は乗らない

田園洞人とホアビニアンは年代が
3万年離れているのにどうしてこんなに近いんだろうな
ホアビニアンは先住のオセアニアとほとんど交わっていない
13: 2024/11/13(水)10:08 AAS
北上しているからだろ
田園洞人はブラジル人にまで痕跡を残しているらしいな
14: 2024/11/13(水)10:58 AAS
南支那ブタセロウお疲れ様

北上した考古痕跡は一切なし

何もかも何もかも北回りで南下しただけ
15: 2024/11/13(水)11:39 AAS
それにしても元はアフリカやんか
マサイ人達に追い出されてここに来たわけだろう
大差ないと思うがな
16: 2024/11/13(水)12:19 AAS
しかもさあ、普通に因果律を無視していると思うんだが
ここで幾ら言ったところで真実は変わらんだろう?

仮にお前らの先祖に朝鮮人なり中国人なり居たとしても今更幾ら言ってみてもどうにもできんわけだ

だったら言うだけ無駄じゃね?
と思うんだが。

例え今の学説が合ってようが間違っていようが真実は変わらんわけだ

だったら連呼する内容っておまじないと同じだと思うんよ
毎日毎日「俺はイケメン」みたいなことを呟いてる訳よ
それは学問じゃなくて宗教だろうと考えるが
17: 2024/11/13(水)12:26 AAS
私的には「3重構造で良くね?」と考える
そこには朝鮮人も中国人も居らず朝鮮半島に住んでいた先祖、中国に住んでいた先祖が流入し混血したわけだ
妥当に考えれば島嶼化した日本で1000年も混血したら必ず皆同祖を持つ
隣の家の人も別の県にいる人も皆、先祖に同じ人がいる
朝鮮人とも中国人とも「関係あるけど関係ない」のだろう
それらとの付き合いは現代の問題だ、このスレや宗教とは関係ない
18: 2024/11/13(水)12:33 AAS
日本列島最古の弓矢の痕跡は16000年前の青森の大平山本遺跡から出土した石鏃

同時に出土した遺物にはバイカル地方系の細石刃や日本列島最古の土器や丸ノミ石斧など
があり、それらの出土物がアムール地方と共通するため、弓矢はアムール地方から
樺太経由で細石刃や土器や丸ノミ石斧とともに日本列島に伝播してきたと考えられる

外部リンク[pdf]:sitereports.nabunken.go.jp
19: 2024/11/13(水)13:29 AAS
インド洋沿岸のI類弓 熱帯地域と長弓。
弓のうち「長さ2m 位のもの」を長弓という。フィリピンから東へ向かっては,
分布の希薄なインドシナ半島を跨ぐようにして,インド洋東岸へI類弓の分布が広がる。

インドネシアのメンタワイ族,スリランカのヴェッダ族などの弓が代表的なものである。
南太平洋の島嶼群と同様,180cm〜190cm台以上の長さに達する長大なI類弓が主体である。

 なお,アンダマン諸島のグレート・アンダマン族は,彼らの身長をはるかに越える,
180cm以上の長大な木製の弓を用いることで知られる(Brown1906)。
20: 2024/11/13(水)13:30 AAS
魏志倭人伝の世界は南方的だ
外部リンク:blog.goo.ne.jp

「倭人は長弓を用いていた」
 倭人伝は「木弓は下を短くし上を長くし【これは長弓を表す】、
竹箭は或は鉄鏃、或いは骨鏃なり、有無する所は、儋耳朱崖(海南島)と同じ。」
と記している。つまり海南島は長弓で倭人が用いる長弓と同じであると云っている。
21: 2024/11/13(水)13:31 AAS
 下の写真は、奈良・唐子鍵遺跡(倭人伝と同時代)出土の弥生時代の長弓で、
復元推定長さ2.0〜2.3mと云われている。
このような長弓の分布は江南の呉越からインドシナ半島東部、フィリピン諸島、
インドネシア諸島に分布している。

 その一例として浙江省杭州市の跨湖橋遺蹟(新石器時代)の漆塗の丸木弓である。
太平洋諸島の長大弓の祖型と考えられている。
つまり倭人が用いる弓は長弓で、決して朝鮮半島北部の短弓ではなかった。
22: 2024/11/13(水)13:31 AAS
>>出るわ出るわ縄文時代の漆塗り丸木弓。短弓は火起し用と思われる。

重要文化財に指定された、
東村山市内の下宅部(しもやけべ)遺跡から出土した
漆塗りの丸木弓から、縄文時代の狩猟儀礼を考える内容。

秋田県立博物館 中山遺跡出土の漆塗り丸木弓(縄文時代晩期)
23: 2024/11/13(水)13:32 AAS
縄文晩期、青森県是川遺跡・奈良県橿原公苑遺跡に漆塗りの長弓がある。
弥生時代 唐古遺跡、登呂遺跡、の出土例では、長短2種の丸木弓がみられる。

埼玉県大木戸遺跡 縄文時代後期の黒漆塗りと赤漆塗り飾り弓が出土しました。
長弓の中には桜皮を巻いて漆を塗装したものなどの製作技術の違いがわかっている。

(国指定)金沢市中屋サワ遺跡(縄文後・晩期)弓本体の握りの部分に細い糸を丹念に
 幾重にも巻き、幾何学模様を編みだして、漆塗りの飾り弓が多数出土しています。
24: 2024/11/13(水)13:33 AAS
富山県、桜町遺跡は、今から約8000年前の縄文時代早期から約2300年前の
晩期まで縄文時代長期間にわたる遺跡であることがわかっています。

高床建物の柱材と考えられるホゾ穴や桟穴と呼ばれる加工をした木柱の発見は
高床建物が定説より2000年も古い縄文時代にすでにあったことを証明しました。
25: 2024/11/13(水)13:34 AAS
富山県、北代遺跡は縄文中期後葉(約4,000年前)を中心に営まれた
高床式倉庫を持つ大集落跡で、旧石器時代に始まり縄文早期・中期・後期・晩期・
弥生中期・奈良・平安時代へと長い間断続を繰返した複合遺跡。
26: 2024/11/13(水)13:36 AAS
竪穴式住居、無事だった 能登町の国史跡「真脇遺跡」
2024/01/13 — 能登町の国史跡「真脇遺跡」で、竪穴式住居を再現した
「縄文小屋」が能登半島地震でも無傷だったことが分かった。

「真脇遺跡」竪穴式住居、能登半島地震に耐える。
古代神話に地震があまり出てこないのも納得?

> 一方、現代建築は壊滅状態、縄文人のザマーッ見ろが聞こえる。
27: 2024/11/13(水)13:38 AAS
「木骨泥墻」なんて、
地方によくある土壁作りの家の事で地震が来たらバッタバッタと倒れる、

そんなの縄文人が見たら腹抱えて笑うよ。 死にたいのかーと!!
28: 2024/11/13(水)13:39 AAS
しばしば「農耕の始まりは弥生時代」 という思い込みも見られましたが、

現在の通説は、縄文時代の中期(4〜5000年前)には根茎作物(サトイモなど)の栽培、
続いてミレット(陸稲を含む雑穀類)が栽培されていたことが分かってきました。

縄文時代中後期遺跡からは、農耕用の石器や調理・保管用の土器、
土器に付着した食用作物の種子が発掘されました。
日本各地に細々と残る「焼畑農業」をたどって当時のことを推測することも可能です。
29: 2024/11/13(水)13:40 AAS
KAKEN
kaken.nii.ac.jp › KAKENHI-PROJECT-22320166
日韓内陸地域における雑穀農耕の起源に関する科学的研究

日本では、縄文時代中期以降ダイズやアズキなどが栽培され、
縄文晩期末に稲と雑穀による複合的な農耕文化が成立したことが判明した。

また、植物栽培の開始に伴う石器の利用法について使用痕分析などを用いて検討を行うと同時に、
水田跡や畠跡の生産遺構を基に、農耕の技術史的な変化についても併せて論究を行った。
30: 2024/11/13(水)13:41 AAS
縄文時代の農耕用石器

長野・富士見の「井戸尻・縄文遺跡」から高度に発達した農耕用石器が発掘されました。
ここは4〜5,000年前の遺跡です。
「縄文式土器」のみが注目されますが、この遺跡出土品で、
「縄文は木の実を採集して生活していた時代」という先入観を吹き飛ばしました。
「中耕除草用の石器」までがあったのです。

石器づくりには固い研磨用の道具が必要なのですが、その役割を果たしていたのが
姫川流域特産の「翡翠(ひすい)」だともいわれますから不思議です。
31: 2024/11/13(水)13:45 AAS
澱粉の形
いろいろな食品のデンプン粒を観察しました
外部リンク[pdf]:ikyouko.jp

コメやトウモロコシは大きいものでも5μmと小さいデンプン粒です。
さといも でん粉粒の大きさは1μm以下。 植物中では最小。
でん粉粒同士が接着しやすいため、ねっとりとし た食感を示す。
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