[過去ログ] 【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart30 (1002レス)
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789: 11/20(水)07:24 AAS
北ユーラシア人は東西ユーラシアグループの合流したものではないか
790: 11/20(水)07:31 AAS
IUPとUPの違いが言われるようになったのは2013年以降だよ。
791: 11/20(水)07:35 AAS
昔、俺もイシム人がチベット系になったので、Oは中央アジアから南下したと考えていたが、
イシム人はチベット系と関係ないとなれば話は全く違った物になる。
792: 11/20(水)07:58 AAS
考古君が本物なら、UPとIUPの違いを知っているはずなのに、70年前の議論を出してくる。
まー、労害なので、無視した方がいいな。
793: 11/20(水)08:32 AAS
ハプログループKは子孫系統がユーラシアを席巻したから50000年前にチベットペルシャインド、インドシナに長く多数が生息していたのかな
何らかの理由で大拡散したか
794(1): 11/20(水)08:33 AAS
なるほどなw
北回り集団が南支那以南に最初に入植したのはもっともっと前なんだな
おそらく3万年くらい前かもな
だから田園洞人がスンダランドから北上したとか、おかしな話になってる訳だ
795(1): 11/20(水)08:35 AAS
>>705
旧来の考古学ではゴビ砂漠とタクラマカン砂漠の遺物調査に怠慢が有りすぎ。
石でなく人骨を探す能力も低い。昔は土中の花粉は一切調べす、幼稚園保育園の砂遊びよろしく、土器や石器以外は混ぜこぜにして穴を掘ってただけ。
また、海底調査や海底堆積物の発掘調査はおろか、例えば今の長江下流域のデルタ地帯の高々5mの堆積物の下さえも調査することが出来ず。
学問というより、幼稚園保育園の砂遊びと出てきた物の形を観て似たものをわけるという小学校低学年の図画工作レベルがつい最近までおこなわれてきた分野。
冒頭に記載したゴビ砂漠とタクラマカン砂漠は、バイカル湖なぞよりよほど住みやすい、草原と低木、小さな河川、湖水が多くあった帯地帯。
省1
796(1): 11/20(水)08:38 AAS
このスレって、遺跡発掘のためにゴルフ場、土地開発が行われてるって言うアホが多そうだよな。
797(1): 11/20(水)08:50 AAS
>>761
逆だろ。
798: 11/20(水)08:52 AAS
>>796
日本の場合、宅地造成で土掘る前に、考古学者が土遊びするという失業対策法が有るからね
799: 11/20(水)09:36 AAS
>>797
逆だな
考古学がまだそこまで進んでないから、おかしな事になってると見た
おそらく、北回りの集団が南支那以南のスンダランドに最初に入植したのは
13000年前じゃなく、もっともっと前なんだよ
3万年以上前かもな
だからスンダランドから北上したという錯誤が起こっていると見た
省1
800(1): 11/20(水)09:53 AAS
日本に人骨が見られるのが36000年前なんだから13000年前とか仮定すらムダだろう
801: 11/20(水)10:30 AAS
>>800
旧来の考古学が「学」の体を成していないから、妄想でつないだ空論しかかけないってか!
802: マリタ・ビュレット 11/20(水)11:33 AAS
>>786
あとで見ときます
>>787
UP、IUPって単なる時代区分だしUPはIUP時代も含むのでそれに南北移動集団を絡めても俺的にはしっくりこない
803: 11/20(水)11:35 AAS
東西ユーラシアグループが出発したのが大体50000年前だろう?
中東やペルシャらへん
北に行って戻ってきて40000年前にまた出発か?
もうその仮定の時点で南回りだよね
804(1): マリタ・ビュレット 11/20(水)11:42 AAS
>>795
>>ゴビ砂漠とタクラマカン砂漠は、バイカル湖なぞよりよほど住みやすい、草原と低木、小さな河川、湖水が多くあった帯地帯。
この辺詳しく紹介してるHP知ってたら教えてほしい
805: 11/20(水)12:01 AAS
>>804
地質学、古気象学、植物遺伝学の土中花粉調べてる論文端か端まで読めよ
806(1): 紀州人 [D1a2−D4] 11/20(水)12:06 AAS
>>784
せやね。
だけど、日本人の祖先が超汚染民族だと言うあの輩の主張には真っ向から反対するけどね。
807: 11/20(水)12:08 AAS
朝鮮史は詳しくないが中々面白い記載
眉唾なところもあるが
金海金氏
このため駕洛金氏ともいう。一族では新羅建国の功臣・金庾信が知られる。また、金海許氏(首露王の王妃許黄玉の姓を名乗った二人の息子が祖)と仁川李氏も始祖を首露王としており、同本貫として扱われた。金海許氏の祖は、首露王の王妃許黄玉であり、そのルーツは紀元前インドのアショカ王の家系に繋がり、インドから漂流して金海にたどり着き、首露王に見初められ王妃となった。王妃の王陵にはその家系にまつわるインドの家系の写真や系図などがあり、本家の家系を引き継ぐ者のみ閲覧などが出来る。[要出典]
2004年に、許黄玉の「インド渡来説」を立証する科学的証拠が示された[2]。ソウル大学医学部の徐廷ソン教授と翰林大学医学部のキム・ジョンイル教授は、韓国遺伝体学会において「許黄玉の子孫と推定される金海市にある古墳の遺骨を分析した結果、韓民族のルーツであるモンゴル北方系とは異なり、インド南方系だった」と発表した[2]。ミトコンドリアはDNAを保持するが、許黄玉の「インド渡来説」が事実であるならば、子孫は母方の許黄玉のDNAを継承しており、インド南方系のDNAをもつことになるが、許黄玉の子孫と推定される遺骨の塩基配列を分析した結果、モンゴル北方系ではなくインド南方系の特徴を備えていた[2]。
808(5): 11/20(水)12:13 AAS
>>806
現代と混同するからそうなる
そういうレトリックを持ちだした時点で観点が鈍る
当時朝鮮半島に住んでいた人(非現朝鮮人)が弥生系渡来系なのは事実だし、後世黄河流域民も加わって日本人を形成している
「ある部分は共通だし、ある部分は共通ではない」のは当たり前
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