[過去ログ] 【Y-DNA】新日本古代氏族とハプログループPart30 (1002レス)
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766: 11/19(火)22:24 AAS
Rグループは北イラクで牛の家畜化、ポントスで馬の家畜化に成功しているからね。
767: マリタ・ビュレット 11/19(火)23:11 AAS
>>749
>>このスレの住人のレベルは高くて、そんなことは常識中の常識

ここの住民のレベルは低い
高いと感じてるなら君のレベルも低い
アイヌ語の方言関する説明は珍しいので常識になってないと思う、俺は知らなかったし
768
(1): マリタ・ビュレット 11/19(火)23:15 AAS
>>763
見てないけどジャレドの銃 鉄 病源菌ベース?
あれ面白かった、日本版書籍は日本に関する部分カットしたらしいけど
769
(1): マリタ・ビュレット 11/19(火)23:22 AAS
>>755
2016年時に何を根拠にチベットと関連付けたのか?それはそれで興味深いけど

>>762
機械翻訳のまま解釈してるんだろうけどパプアの共通祖先を強調するのは変、君や俺の共通祖先でもあるんだし
770: 11/20(水)00:09 AAS
>>769
外部リンク:en.wikipedia.org

ウシム人はIUP移動に入って、これには田園洞人やパプア人も含まれる。

その他の移動はUP移動と言われる。

外部リンク:en.wikipedia.org

この二つは中東を出発する時点で異なったグループだったという説だ。
771: 11/20(水)00:19 AAS
The southern route dispersal is primarily linked to the Initial Upper Paleolithic expansion of modern humans
and "ascribed to a population movement with uniform genetic features and material culture" (Ancient East Eurasians),
which was the major source for the peopling of the Asia–Pacific region. While certain Initial Upper Paleolithic populations
represented by specimens found in Central Asia and Europe, such as the Ust'-Ishim man, Bacho Kiro cave or Oase 2, are inferred
to have used inland routes, the ancestors of all modern East Eurasian populations are inferred to have used the Southern dispersal
route through South Asia, where they subsequently diverged rapidly and gave rise to modern populations in Eastern Eurasia, Oceania,
and the Americas

IUP拡大は南ルートで東アジアに向かったが、イシム人は内陸を北上したと書いてある。
そして、現生アジア人は全員南ルートでアジアに到達した。

と書いてある。ここでもイシム人はアジア人とは関係ないと出ている。
772: 11/20(水)00:21 AAS
中国北部の古代人は遺伝子的に現代の東アジア人と最も似ており、一方、中国南部の古代人は現代のオーストロネシア人と類似点がある。新石器時代に北部の祖先集団が南方に拡散して中国南部のオーストロネシアの遺伝的祖先を変え、現代人集団の遺伝的特徴が生じたのである。
773: 11/20(水)00:23 AAS
古代エジプトのミイラが古代の中東の人々と密接な関係にあったことが明らかになり、北部アフリカの人々はサハラ以南の人々とは異なる遺伝的ルーツを持つことが示唆された。彼らと最も近縁なのは、新石器時代から青銅器時代にかけてレバントという名で知られた地中海東岸地方に住んでいた人々だった。意外なことに、古代エジプトのミイラは、現代エジプト人よりも古代の欧州人やアナトリア人と密接な関係にあった。
774
(1): 11/20(水)00:24 AAS
インダス文明を導いた人々の祖先は、今のイラン地域に住んでいた古代イラン人であることが分かった。古代イラン人の祖先は、それより西に位置した今のトルコの北東部に住んでいた人類と確認された。

一方、インダス文明の崩壊後、インダス人は東南アジア人と混ざった。ロシア・モスクワ南付近の草原地帯(ステップ)に住んでいたと推定される青銅器遊牧民のヤムナ族とも混ざった。このように形成された混血インダス人が、今のインドなどの南アジア人になったことが分かった。
775: 11/20(水)00:29 AAS
ドラヴィダ語ですな
776
(1): 11/20(水)00:33 AAS
>>774
コピペっぽい文章だがソースは?
777: 11/20(水)00:35 AAS
タリム盆地で初めてミイラ化した遺体が発見されたのは、20世紀初頭のことだ。最初の発見者はヨーロッパの探検家たちだった。その後、盆地の様々な古代墓地で見事な文化的遺物とともにミイラが続々と発掘された。これまでに数百体が見つかっており、最も古いもので紀元前2100年頃、最も新しいものは紀元前500年頃のものと測定されている。

ミイラは、金髪、茶髪、または赤毛で、大きな鼻を持ち、羊毛、毛皮、牛の皮で作られた明るくて精巧な服を身に着けていた。魔女の帽子のような先のとがった帽子、フェルトや織物で作られた服なども、西ヨーロッパ文化とのつながりを示唆していた。

ところが意外なことに、DNA分析の結果、この集団はタリム盆地に元から住んでいた人々で、周辺地域のほかの集団からは遺伝的に隔離されていたことが明らかになった。
778
(1): 11/20(水)00:51 AAS
ふむ。そういえば裵李崗文化というのは中原における、非N系統の集団なのかねえ
仰韶文化や紅山文化までがN系統で、中華文明の面目がまるで無いのだけどな

全身がチベット人だったシーマオ人の文化には人身供具があって
これは商にも受け継がれている、というか
伝承の通りなら羌と名付けるに相応しい
元シーマオ人が商では人身供具の憂き目に遭っていた
シーマオの建物に刻まれたレリーフはまるで後の饕餮のようだよ

この意匠は良渚文化に受け継がれニ里頭文化が青銅器の製錬を本格化させると
商がこの工人を使って饕餮を青銅に刻ませた
三星堆にあるような異様な頭部の意匠もこの伝統の延長上にある
省2
779: 11/20(水)01:05 AAS
Oはイシム人と関係ないと判明したので、Oの発祥地は色白遺伝子が発祥した

南中国と考えるべきだ。
780: 11/20(水)01:55 AAS
それだと3万年前に分岐したO主要系統がとっくに混ざってたはずっしょ
781: 紀州人 [D1a2−D4] 11/20(水)06:15 AAS
>>751
まぁ知っててチャチャ入れてんのは、認めるよ。
撲滅隊は以前から単発で嫌味を入れてくるんで、ちょっと趣旨返しただけなんやけど。
不快なら止めるよ。
782: 11/20(水)06:40 AAS
>>776
外部リンク:www.donga.com
783: 11/20(水)06:45 AAS
>>778
Nは遼河文明でBC2200年の砂漠化に伴って南下して龍山文化に影響を及ぼした
中国では黄帝が遼河出身と想定される
Oはその時期には既に黄河では一般的だった
784
(1): 11/20(水)06:53 AAS
チャチャのレベルが低かったな
アホウヨと同レベルだったぞ
一昔の2重構造モデルでさえ日本人=縄文(アイヌ)+弥生(渡来)を述べているのだから逸脱する意見は非主流だということを認識しつつ記載するべきだ
785: 11/20(水)07:04 AAS
甲骨文字は原楔形文字から誕生した
殷墟で甲骨文字が発見されている
どこかで西側の文化と接触しているが、集団が移動してきたのか、交易によるものか、わからない
ギリシャ、エジプト、メソポタミアの神話が伝わっている
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