邪馬台国畿内説 Part1071 (262レス)
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1 ◆ondZSOlfxeS6 ハンター[Lv.47][苗]
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20: 1 ◆ondZSOlfxeS6 ハンター[Lv.47][苗] [sage] 2024/11/19(火) 17:27:36.03 ID:2GxKPloM0 ◆FAQ 15 Q:鉄器の乏しい畿内の政権が覇権を握るのは無理だ! A:倭人伝の描かれた卑弥呼の政権は覇権的でない。 宗教的権威者を核に、各地の首長が自主的姿勢で政治力を求心的に集約(共立)したものであり、考古学が解明した3世紀の状況とよく整合する。 一方、伐採用石斧の減少状況から鉄器の普及状態を推測すると、九州と畿内でも極端な格差が無い。準構造船(久宝寺南:庄内新)をはじめとする木製品の加工痕からみても、一定量の鉄器が普及していたと推定できる。 他に、使用痕跡では加美遺跡Y1号周溝墓の鉄斧による伐採痕や唐古鍵SD-C107鉄斧柄など、遺存例には大竹西遺跡の鉄剣(弥生後期初頭)や唐古鍵40次調査の板状鉄斧とがある。 鍛冶を伴う遺構は纒向石塚の北東200m近辺出土の鞴羽口や鉄滓等(3世紀後半)、淀川・桂川圏で中臣遺跡(京都山科,弥生後〜古墳初)、西京極遺跡(京都市内,弥生後前)、和泉式部町遺跡(右京区,弥生後〜古墳初)、 南条遺跡(向日市,弥生後前)、小曽部芝谷遺跡(高槻,弥生後)、美濃山廃寺下層遺跡(八幡,弥生後後)、星ヶ丘遺跡(枚方,弥生後後)、鷹塚山遺跡(枚方,弥生後後)、木津川圏で田辺天神山遺跡(京田辺,弥生後〜古墳初)など。 纒向での鉄利用状況については、遺跡建設当初の庄内0期遺物から鉄器による加工痕が認められる。 大型建物D隣の大型祭祀土壙SK-3001より出土したヒノキ材(庄内3)の分析では、その加工痕及び周辺で植生上少ないヒノキの多用という状況から 「集落を包括した工人専業集団の発達がなされ、鉄器が一般使用または使用できる集落」(金原 2011) と結論されている。 弥生終末期(庄内新相)の畿内中枢に於て遺物が直接土壌と接触しにくい墓制が普及し始めると同時に俄かに豊富な鉄器が登場するという状況を鑑みると、畿内の土壌の特性が鉄器の遺存状態に大きく影響していたことには疑問の余地が無い。事実、鉄製品の腐食に最も影響力の強い硫化物が海成粘土層が畿内中枢部の深層に分布している。 また併せて、纒向遺跡で脱炭鋼を製造していた布留0期の鍛冶遺構に於て鉃滓は共伴するが成品が発見されない状況は、官製工房的な管理の強化・貫徹を想定するに足る。 古墳時代に入ると「鉄器が普及したと同時に、首長層へ鉄器が集中した」(橋口2002) という視点に立てば、首長級墳墓への集中と生活遺構での不在という鉄器の偏在は理解しやすい。 ひとたび古墳への副葬が開始すると、畿内大和の鉄剣・鉄刀出土量は隔絶的である。 https://i.imgur.com/S93qy2b.png 首長権力の有りようが窺われる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1732004140/20
鉄器の乏しい畿内の政権が覇権を握るのは無理だ! 倭人伝の描かれた卑弥呼の政権は覇権的でない 宗教的権威者を核に各地の首長が自主的姿勢で政治力を求心的に集約共立したものであり考古学が解明した3世紀の状況とよく整合する 一方伐採用石斧の減少状況から鉄器の普及状態を推測すると九州と畿内でも極端な格差が無い準構造船久宝寺南庄内新をはじめとする木製品の加工痕からみても一定量の鉄器が普及していたと推定できる 他に使用痕跡では加美遺跡号周溝墓の鉄斧による伐採痕や唐古鍵鉄斧柄など遺存例には大竹西遺跡の鉄剣弥生後期初頭や唐古鍵次調査の板状鉄斧とがある 鍛冶を伴う遺構は向石塚の北東近辺出土の羽口や鉄等3世紀後半淀川桂川圏で中臣遺跡京都山科弥生後古墳初西京極遺跡京都市内弥生後前和泉式部町遺跡右京区弥生後古墳初 南条遺跡向日市弥生後前小曽部芝谷遺跡高槻弥生後美濃山廃寺下層遺跡八幡弥生後後星ヶ丘遺跡枚方弥生後後鷹塚山遺跡枚方弥生後後木津川圏で田辺天神山遺跡京田辺弥生後古墳初など 向での鉄利用状況については遺跡建設当初の庄内0期遺物から鉄器による加工痕が認められる 大型建物隣の大型祭土より出土したヒノキ材庄内3の分析ではその加工痕及び周辺で植生上少ないヒノキの多用という状況から 集落を包括した工人専業集団の発達がなされ鉄器が一般使用または使用できる集落金原 と結論されている 弥生終末期庄内新相の畿内中枢に於て遺物が直接土壌と接触しにくい墓制が普及し始めると同時に俄かに豊富な鉄器が登場するという状況を鑑みると畿内の土壌の特性が鉄器の遺存状態に大きく影響していたことには疑問の余地が無い事実鉄製品の腐食に最も影響力の強い硫化物が海成粘土層が畿内中枢部の深層に分布している また併せて向遺跡で脱炭鋼を製造していた布留0期の鍛冶遺構に於ては共伴するが成品が発見されない状況は官製工房的な管理の強化貫徹を想定するに足る 古墳時代に入ると鉄器が普及したと同時に首長層へ鉄器が集中した橋口 という視点に立てば首長級墳墓への集中と生活遺構での不在という鉄器の偏在は理解しやすい ひとたび古墳への副葬が開始すると畿内大和の鉄剣鉄刀出土量は隔絶的である 首長権力の有りようが窺われる
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