邪馬台国畿内説 Part1071 (308レス)
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7: 1 ◆ondZSOlfxeS6 ハンター[Lv.46][苗] 11/19(火)17:19:39.56 ID:2GxKPloM0(7/90) AAS
◆6(自然環境と下部構造からみた国家形成期社会の動態)
 これより先、寒冷化に対応する生産力確保という社会的必要性が、開墾や治水・灌漑の分野で大規模開発行為を行うに足る労働力を大量に徴発できるような強権的な地縁型首長を誕生させつつあった。
 これは、墳丘墓の急速な巨大化・高塚化から窺知できる。換言すれば、高塚化の加速した地域には急速な脱弥生の社会構造変動が起こっている。
 先駆的な具体例としては、寒冷期に向かう不安定な気候が卓越する時期、吉備中南部で体系的な用水施設を備えた大規模な水田開発が、高塚化された大規模で入念な埋葬に見る威信や地位を付託された特定の人々の析出と共時的に生起(松木2014)している。

 析出された特定者への威信付託の象徴として、モニュメントである墳丘墓に付帯するものとして、本源的に個人が身体に装着する物品に由来する威信財には親和性がある反面、個人所有に馴染まない楽器型青銅製祭器は前途を分かつたものと推察される。
 後期に入って既に退潮となっていた大型の武器型及び楽器型青銅器祭祀は、より広範な地域統合を象徴する社会的ニーズの高まりから、その役割をより可視性の高い高塚墳丘墓によって代襲され、その社会的使命が終焉に向かう。

 やがて地域間統合の阻害要因となりうる祭器の性格の差異を捨象する必要から、武器型の持つ金属光沢属性を鏡面に、楽器型の鋳造文様の造形的属性を鏡背に統合して引き継がれ、古墳祭祀の付帯要素に落着(吉田2014)した。
 分節化した統合性の象徴として、小型で可搬性のある銅鏃のみが儀器化して古墳時代に引き継がれる。
(本項 続く)
21: 1 ◆ondZSOlfxeS6 ハンター[Lv.47][苗] 11/19(火)17:28:13.56 ID:2GxKPloM0(21/90) AAS
◆FAQ 15−2
 纒向大溝建築材実測図
画像リンク[png]:i.imgur.com
矢板列支柱(左)に角の明瞭な貫穴、矢板(右)に鱗状手斧痕。倶に鉄器による加工の特徴を示す。
30: 1 ◆ondZSOlfxeS6 ハンター[Lv.47][苗] 11/19(火)17:34:03.56 ID:2GxKPloM0(30/90) AAS
◆FAQ 23−1
Q:卑弥呼の冢は円墳なのだから箸墓ではありえない!

A:「径」は円形以外のものにも用いられる表現である(ex.典韋の斧の刃:魏書18)ので、円墳と特定する根拠はない。
(河南省南陽市出土『武器庫図』より斧 魏晋代) 
画像リンク[png]:imgur.com
 また、築造過程で箸中山古墳は円丘と基壇部のみの前方部から成っていた時期がある。
 基壇部は水平方向から見ると隆起していない。
 よって、基壇部の築造企画が当初より前方後円型である事実は、方丘後付説を否定できる材料ではない。

箸中山古墳は以下の過程で築造されたと推定される。
1)地山周囲を馬蹄形に掘り込み基壇部と周堤、渡り堤等を削り出しで整形構築
省15
129: 警備員[Lv.22] 11/20(水)10:37:05.56 ID:hsd+4lRR0(3/5) AAS
40ヘクタールで水田跡も見つからない吉野ヶ里の何処に7万戸(約30万人)住んでたの
132
(1): 警備員[Lv.22] 11/20(水)10:41:52.56 ID:hsd+4lRR0(4/5) AAS
明治時代でも人口約5万人の筑紫平野の何処に、古代に約30万人も住んでたの
175: 警備員[Lv.32] 11/21(木)09:53:16.56 ID:1/X3Ewn00(1/16) AAS
對馬
都斯麻
投馬
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