[過去ログ] 朝鮮への植民地支配は本当に残酷だったのか rigel2 (957レス)
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940(1): 2010/09/04(土)03:25 ID:Yti95u9Z0(1) AAS
>>938
植民地への国庫支出など欧米列強も当たり前のようにやってるんだがw
相変わらず欧米のことは勉強しないまま、日本は欧米とは違う!というインチキ「学者」を持て囃して恐れいる
現実には統一的な理論はないとはいえ、思想の流れは大きく三つある。各々の相対的な
重要性は定まったものではないが、次の三つの言葉にまとめられる。つまり開発、同化、
協同である。
開発というのは、実業界における概念で、おもにジュール・フェリーの言葉を通して表
明された。つまり植民地化を資本投下の、一つの手段と位置づけるものである。フェリー
の保護領の理論は、本国財政に配慮しながら植民地の経済開発をするのが可能であるとい
う主張であり、開発という概念から導かれる必然の帰結である。(中略)
同化については、これが第三共和政の公式の教義としてとらえられることが多かった、
といってよい。とはいえ民族的に同化することは論外である。主眼は政治的および行政的
同化であり、「共通の祖国への愛」に言及されることもあった。もっとも、なかには黒ア
フリカも含めて、すべての植民地をフランスの県として本国の行政に組み込みたいと夢見
る者もいた。こうした傾向は、植民地帝国の末期まで根強く残っていく。(中略)
協同は、開発と同化の中間に位置づけることができる。ギュスタヴ・ル・ボンやレオポ
ルド・ド=ソシュールのような心理学者は、異なる民族の同化が不可能であると繰り返し
説いていたし、先に指摘した一八九三年創設の植民地連合を着想したジョゼフ・シャイェ
=べールは、重要なのは現地住民にも繁栄を約束することだと考えていた。さらに植民地
と本国との関係が緊密になれば、それだけ経費はかさむと計算していた者もいた。事実一
八九五年からフランスの国庫負担は毎年二億フランに上っている。
グザヴィエ・ヤコノ『フランス植民地帝国の歴史』pp.78-79
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