[過去ログ] 朝鮮進駐軍とは (386レス)
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381: 2015/09/18(金)13:41 ID:FH77Z/q/0(1) AAS
戦後の闇市 中国、朝鮮、台湾出身者も多く日本人業者を圧倒

 終戦3日後の8月18日、新聞に「物資買い取り」の広告が掲載された。戦前から新宿に根をおろし、露店商を統率してきた関東尾津組が、闇市を開くために行ったものだった。
その後、隆盛を極めた闇市には、生きるために這い上がろうとする日本人たちの姿があった。ジャーナリスト・猪野健治氏がレポートする。

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「光は新宿より」終戦からわずか5日後の昭和20年8月20日、新宿にオープンした「尾津マーケット(新宿マーケット)」が掲げたこのスローガンは、素晴らしいキャッチフレーズだった。

 当時の新宿は空襲の爪痕もなまなましく、灯火一つなかった。しかし露店再開第一号の「尾津マーケット」をとりしきる関東尾津組の尾津喜之助親分が電灯をともし客を集めると、
それに呼応するように闇市が全東京、全国に広まり、やがて戦後日本の復興というまぎれもない「光」を招きよせた。
 
 尾津は終戦とともに仕事がなくなった軍需産業の下請け業者らを招き、日用品への転換を勧めた。軍刀の業者なら包丁を、鉄兜の業者なら鍋をという具合に。露店なら場所と品物さえあれば営業できる。
その強みを活かして、復興の原点を築いたのだ。この新宿マーケットの出現を、当時の新聞は「闇吹っ飛ぶ声、新宿に明るい商店街」と好意的に報じた。
省9
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