[過去ログ] 原爆投下は、真珠湾での背信的攻撃への懲罰だろ? [無断転載禁止]©2ch.net (311レス)
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106(3): 2018/08/10(金)16:04 ID:4qaK1jSN0(4/6) AAS
>>99
2018/08/10
【第二次大戦】米国による日本への原爆投下、チャーチル英首相が7月1日に最終同意署名 1945年の秘密文書★2
2chスレ:newsplus
同館所蔵ファイル(CAB126/146)によると、原爆開発の「マンハッタン計画」責任者、グローブス米陸軍少将が45年6月初め、
英国側代表のウィルソン陸軍元帥を通じて英政府に日本に対する原爆使用を許可するよう求めた。
打診は、米国が核兵器開発に成功しても英国が同意しなければ使用できないなどと定めた43年8月の「ケベック協定」に基づく。
また別のファイル(PREM3/139/9)によると、7月24日のポツダム会談でチャーチルは、44年9月にトルーマンの前任の
フランクリン・ルーズベルトと日本への原爆使用を密約した「ハイドパーク協定」を持ち出し、「警告なしで使用すべきだ」
とトルーマンに迫った。
トルーマンは翌25日、原爆投下指令を承認、投下命令が出された。その結果8月6日、人類史上初のウラン原爆が広島に、
9日にはプルトニウム原爆が長崎にそれぞれ投下された。
チャーチルが最終容認した背景には、英国が米国に先行し原爆開発に積極的に関与してきたことがある。
30年代から亡命ユダヤ人科学者によって核分裂や核融合反応で放出されるエネルギーを利用した新兵器研究が進められ、
40年にウラン235単独で爆弾が製造可能という理論をまとめた。41年10月、英独自の原爆開発計画「チューブ・アロイズ」が始動。
米国に開発推進を訴え、42年8月、「マンハッタン計画」が始まった経緯がある。
さらにファイル(PREM3/139/9)によると、チャーチルが44年9月、米国内のルーズベルトの別荘を訪れた際に結んだ
ハイドパーク協定で、2人は「原爆が完成すれば、熟慮後、おそらく日本に使用される」などと合意した。
原爆完成後はドイツではなく日本へ投下することが米英で密約され、翌10月、米国は原爆投下の最終準備に入った。
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