土佐藩&土佐勤皇党 (349レス)
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133: 03/26(火)12:56:51.89 ID:fgubz2hC0(1) AAS
別に嫌いな作家ではないが
平成新選組ブームの火付け役は浅田次郎の小説でしょ?

幕末=新選組の風潮になってしまったのは史上初めての珍事だがね
208: 05/01(水)02:18:34.89 ID:rKloKQdo0(1) AAS
お〜い竜馬
258
(2): 06/02(日)07:49:35.89 ID:zlF2QVyp0(1/2) AAS
龍馬伝でちょっと触れられてたが、武市が開国主義なら吉田東洋はおそらくためらいなく武市を採用してただろう
河田小龍も岩崎弥太郎も下士なのに東洋に引き立てられた人物
決しておーい竜馬とかで描かれたような差別主義者で頭の古いわからずやではない

水戸と土佐の不幸は、外国とのガチンコ戦争を体験しなかったこと
一度でも体験すれば薩摩長州みたいに攘夷の愚を肌身で悟れる
287
(1): 06/27(木)09:18:32.89 ID:1F+UqTwr0(2/3) AAS
>>286
土佐勤王党と宿毛の侍

武市瑞山は文久元年(1861年)に再び江戸へ出て、長州の久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎らと交流し、勤王の志をさらに固めました。そして同年9月、高知へ帰国すると土佐勤王党を結成し、その盟主となりました。

この土佐勤王党に入党したのは、坂本龍馬、中岡慎太郎、間崎滄浪ら192名でしたが、幡多地方からは佐井松次郎(中村)、矢野川龍右衛門(三崎)、田辺豪次郎(十川)、佐井寅次郎(中村)の4名のみでした。

瑞山と親交のあった岩村通俊なども入党していませんが、『維新土佐勤王史』には「血盟簿以外の勤王党同志人名録」として、以下のように幡多地方の人士が紹介されています。

「血盟者の名簿に列せざる勤王党同志は、或は遠隔の地に住し、或は其の地位の利害より、或は血盟をなす暇なく、或はその血盟中止後に蹶起せる人々にして、要するに、其の精神の血盟者と異なる所なきは、現に左に列記する人の中にて数十名の殉職者を出したる事実、之を証し得て余りありといふべし、故にその血盟書の名簿に列すると否とは、もとより敢てその間に軽重する所なきなり。」
省13
340: 10/09(水)05:51:59.89 ID:knqKFd4C0(1) AAS
人斬り以蔵
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