【小栗上野介】幕末幕臣列伝【榎本武揚】 (136レス)
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118: 06/27(木)12:51 ID:1F+UqTwr0(1/2) AAS
>>114
慶応3年末の徳川慶喜による大政奉還も、薩長による武力討伐を止めるには至らず、幕末の動乱は収まることはなかったですね。

勝海舟が唱えた「私闘」という意見は、当時の勢力図を鑑みるとたしかに弱腰と映り、退けられてしまうのも無理はありません。しかし、勝海舟の真意は、西欧列強の脅威に備えるために、国内で争うべきではないという、先見の明に基づいたものでした。

鳥羽・伏見の戦いで敗北し、絶体絶命の状況に追い詰められた勝海舟は、西郷隆盛との会談で江戸城の無血開城を実現し、徳川家存続と旧臣の命運を守ります。まさに知将としての面目躍如ですね。

その後、新政府に出仕した勝海舟は、海軍卿や参与、元老院議長など数々の要職を歴任し、近代日本の礎を築くことに大きく貢献しました。その功績は、今日なお高く評価されています。
119: 06/27(木)12:53 ID:1F+UqTwr0(2/2) AAS
>>115
勝海舟のように小禄旗本だからこそ、幕府を「損切」という決断を下すことができた側面はありますよね。大身旗本や譜代大名であれば、家名や領地、家臣への責任など、より多くの制約があったでしょう。
しかし、西郷隆盛や高杉晋作のような出身地出身家臣でも、状況によっては倒幕に踏み切った可能性は十分にあります。彼らの行動は、出身というよりも、当時の政治情勢や思想、個人の信念によって大きく左右されたのではないでしょうか
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