[過去ログ] 南京大虐殺は史実 (1002レス)
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416
(1): 2024/06/14(金)00:09 ID:/kYXKd2z0(1/4) AAS
>>414
無知に程があるな
続きの文も貼ってやろう

戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、指揮統率者の責任は固よりのことだが、 わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた。
皇軍々々と叫ばれていたが、これでは皇軍が聞いてあきれる状態であったので、憲兵は山地を占領する都度、その都市村落の入口や要所に露骨な字句や、故に逆用される虞れある文句を避けて、婉曲に日本兵に告ぐと題し、 火災予防、盗難排除、住民愛護の三項を大きく書いて掲示した。
417
(1): 2024/06/14(金)00:15 ID:G3fjuvxa0(2/6) AAS
支那事変勃発より昭和14年末に至る間の「目に余る者」を全て合計しても730件程度。

当然「南京陥落から6週間」の間の犯罪件数はさらに少ない。

そしてこれらは単なる「兵士の個人的犯罪」であって「日本軍による組織的な不法行為」では無い。

つまりあった派が南京事件の論点を「日本軍による組織的な不法行為」と証明出来なくなったので「兵士の個人的犯罪」に逸らそうと必死に悪足掻きをしていると。

哀れだねえ。
418
(1): 2024/06/14(金)00:18 ID:/kYXKd2z0(2/4) AAS
>>417
俺が貼った第十軍は南京で軍法会議を開いてないんだが?
なーんも取り締まってないんだよ
419
(1): 2024/06/14(金)00:20 ID:G3fjuvxa0(3/6) AAS
>>416
で?
それが南京と何の関係が?
南京で「具体的に」どのような事例が行われたのか提示してみろよ。
少なくとも兵士の不法行為が「日本軍の命令で」「組織的に」行われたと証明出来なければ南京事件とは言わねーよ。
420: 2024/06/14(金)00:25 ID:/kYXKd2z0(3/4) AAS
>>419
南京で具体的に軍法会議が開かれませんでした

続き

上砂勝七「憲兵三十一年」
成る部隊長が憲兵に向い、「今度附いて来た憲兵は日本軍の憲兵か支那軍の憲兵か。取締りがやかまし過ぎるぞ」と詰問するのに、憲兵が答えて「皇軍らしさに欠けるところがなければ、日本の憲兵となり、さもなくば支那の憲兵と思われるでしょう」といったことがある。皇軍が皇軍らしい行動に、些かの欠けるところがなかったなら、数万の金品を使って宣撫したり、百万言を用いて演説するよりも、住民は自ら軍を信頼し皇威に服したであろうに、遺憾なことであった。
柳川軍は南京入城式が終ると、上海の西南方杭州の占領に転進を命ぜられ、十二月十五日南京を出発して二十八日杭州に無血入城し、ここに初めて軍法会議を開き、拘禁所を設けた。
421
(1): 2024/06/14(金)00:29 ID:G3fjuvxa0(4/6) AAS
>>418
だから?
軍法会議が開かれていないからどうした?
憲兵がいなかったから犯罪行為が多発したのかよ?
それならお前が言う「南京事件」とは「具体的に」どのような犯罪行為が「どこで」「何件」起きたのか証明してみろよ。

それともお前の言う南京事件とは「よくわからないけどにほんへいはなんきんでいっぱいわるいことをした」程度のものなのかよ。

アホらしい。
422: 2024/06/14(金)00:33 ID:/kYXKd2z0(4/4) AAS
>>421
非違行為だらけだったのは憲兵自身の手記で立証済み
しかしそれでも第十軍は12月28日杭州に入るまで軍法会議を開かなかった
>>411のような軍法会議の取り締まり数の合計なんて全く意味がないんだよお馬鹿さん
423: 2024/06/14(金)00:54 ID:G3fjuvxa0(5/6) AAS
南京陥落前に杭州や上海で10万人死のうが50万人死のうが南京事件とは無関係ですので南京事件とは言いません。

軍紀の乱れは南京事件とは言いません。
掠奪は南京事件とは言いません。
強姦は南京事件とは言いません。

上海で軍紀が乱れても南京事件とは言いません。
南京への進路上で掠奪があっても南京事件とは言いません。

さて、軍紀が乱れていたからなんだって?
424
(15): 2024/06/14(金)01:02 ID:G3fjuvxa0(6/6) AAS
バカには「南京事件と軍法会議が開かれなかった事の関係を証明出来なければ何の意味も無い」という事も理解出来ないのだろうなあ。

そして具体的根拠は絶対に出さず、その証明からは徹底的に逃げ回るし。

あった派の目には安全区委員会の記録に20万件位の事件が書かれているように見えるのだろうなあ。

他の誰の目にも見えないけど。
425
(2): 紀州人 [D1a2-D4] 2024/06/14(金)07:08 ID:aCKL6jla0(1/6) AAS
>>410
自虐史観とオナニーになんの因果関係があるんや?
426: 2024/06/14(金)07:23 ID:7Oi2gdvm0(1/2) AAS
>>425
日本は常に正しかったという自慰史観を批判しているんだろう。そんな史観を持っていて勝てるのかという話
427
(1): 2024/06/14(金)08:03 ID:sEAUrmgP0(1) AAS
>>425
自虐史観を叩く連中が自慰史観だからだな
428: 2024/06/14(金)08:20 ID:YFE4lFT+0(1/16) AAS
>>424
1938年2月16日付駐華ドイツ大使館報告第113号
脱ぎ捨てられた多数の軍服は、日本軍に、難民区には多くの中国兵士がいると主張する格好の口実を与えた。
かれらは再三にわたって難民収容所を徹底捜索したが、兵士とおぼしき者を真剣に探す努力はせず、まずすべての若者を無差別に、次に何らかの理由で目についた者を全員連行した。
城内で中国人が日本軍に発砲したことは一度もなかったにもかかわらず、日本軍は少なくとも5,000人を射殺し、その大半は埋葬の手間を省くために川岸で実行された。
429: 2024/06/14(金)08:21 ID:YFE4lFT+0(2/16) AAS
>>424
ドイツ外務省宛 発信者-ローゼン(1938年1月20日)
一般に、兵士の印として、頭にある円形のヘルメットの跡や、銃を肩にかついだり、背嚢を背中に背負ってできる痣などが調べられた。
また、複数の外国人目撃者の証言によれば、日本軍は多くの中国兵に「危害は加えない。仕事を与えよう」と約束してかれらを安全区の外に連れ出し、殺害した。
いかなる軍事裁判も、またこれに類する手続きも一切おこなわれた形跡はなかった。
そもそもこうした手続きは、あらゆる戦時国際法の慣例と人間的な礼節をかくも嘲り笑う日本軍のやり方にふさわしくないものであったろう
(ドイツ外交官の見た南京事件:資料73)
430: 2024/06/14(金)08:22 ID:YFE4lFT+0(3/16) AAS
>>424
「熊本師団戦史」P128~P129
のみならず南京攻略戦では南京城西側・長江河岸間は敵の退路に当たり、敗兵と難民がごっちゃになって第六師団の眼前を壊走した。師団の歩砲兵は任務上当然追撃の銃砲弾を浴びせ、このため一帯の沼沢は死屍で埋められたという。
431: 2024/06/14(金)08:23 ID:YFE4lFT+0(4/16) AAS
>>424
高城守一「揚子江は哭いている」P94~P96
揚子江の流れの中に、川面に、民間人と思われる累々たる死体が浮かび、川の流れとともにゆっくりと流れていたのだ
そればかりか、波打ち際には、打ち寄せる波に、まるで流木のように死体がゆらぎ、河岸には折り重なった死体が見わたす限り、累積していた。それらのほとんどが、南京からの難民のようであり、その数は、何千、何万というおびただしい数に思えた
432: 2024/06/14(金)08:24 ID:YFE4lFT+0(5/16) AAS
>>424
高城守一「揚子江は哭いている」P94~P96
南京から逃げ出した民間人、男、女、子供に対し、機関銃、小銃によって無差別な掃射、銃撃がなされ、大殺戮がくり拡げられたことを、死骸の状況が生々しく物語っていた。道筋に延々と連なる死体は、銃撃の後、折り重なるようにして倒れている死骸に対して、重油をまき散らし、火をつけたのであろうか。焼死体となって、民間人か中国軍兵士か、男性か女性かの区別さえもつかないような状態であった。 焼死体の中には、子供に間違いないと思われる死体も、おびただしくあり、ほとんどが民間人に間違いないと思われた。
私は、これほど悲惨な状況を見たことがない。大量に殺された跡をまにあたりにして、日本軍は大変なことをしたなと思った。
433: 2024/06/14(金)08:26 ID:YFE4lFT+0(6/16) AAS
>>424
ロバート・O・ウィルソン医師(1937年12月28日)
「日本兵が彼らを登録するとき、まず結構な演説をして、兵士を探しているだけだと述べた。もし兵士だったと進み出て認めれば、命は助けて、軍の使役隊に編入されると日本兵は言った。ソーン、ベイツ、リッグズ氏らを含むみんなの前で、このことは繰り返し述べられた。二〇〇人が前に進み出て、兵士だったことを認めた。
 この患者の話によると、この数百人の男性は町の西にある丘に連行され、銃剣の練習台にさせられたそうだ。彼には何人が生き残ったか見当がつかないという。」
434: 2024/06/14(金)08:26 ID:YFE4lFT+0(7/16) AAS
>>424
エスピー報告
「十二月十三日、日本軍が城内に入ってきた。安全区の境界でアメリカ人役員が日本部隊に会い、彼らが所持する地図に安全区の印があるのを確かめた。その役員らが背をむける間もなく、この部隊による安全区への一斉射撃が行われ、二〇名の民間人が死亡した。しかしながら、総体的にみて、入城一日目と二日目は安全区は攻撃の対象からはずされていた。
 しかし、市の南東部では安全区に避難しなかった多数の民間人が虐殺された。」
435: 2024/06/14(金)08:27 ID:YFE4lFT+0(8/16) AAS
>>424
徳川義親「最後の殿様」P170~P173
『日本軍に包囲された南京城の一方から、揚子江沿いに女、子どもをまじえた市民の大群が怒涛のように逃げていく。そのなかに多数の中国兵がまぎれこんでいる。中国兵をそのまま逃がしたのでは、あとで戦力に影響する。そこで、前線で機関銃をすえている兵士に長中佐は、あれを撃て、と命令した。
中国兵がまぎれこんでいるとはいえ、逃げているのは市民であるから、さすがに兵士はちゅうちょして撃たなかった。それで長中佐は激怒して、
「人を殺すのはこうするんじゃ」
と、軍刀でその兵士を袈裟がけに切り殺した。おどろいたほかの兵隊が、いっせいに機関銃を発射し、大殺戮となったという。
長中佐が自慢気にこの話を藤田くんにしたので、藤田くんは驚いて、
「長、その話だけはだれにもするなよ」
と厳重に口どめしたという。』
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