[過去ログ] 南京大虐殺は史実 (1002レス)
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713: 07/06(土)22:53 ID:Q8PYhMm30(1) AAS
>>712
画像リンク[jpeg]:i.imgur.com
714(1): 07/06(土)22:53 ID:sNTZDCmu0(5/5) AAS
>>711
「1500余の10分の一以下の15人で監視をしていた」という珍論が前提の計算に何か意味がありますかw
ついでに現実には「監視が120人程度いた第4中隊でも暴動が起きた」という事実は認めましょうね~w
それなのに捕虜の10分の一以下の15人程度の監視にどの程度意味があるのかは不明ですがw
せめて最低でも小学生と同レベル程度の「距離」と「時間」と「速度」の知識を身に着けてから書き込んでもらえないですかねえw
715(1): 07/07(日)02:39 ID:H9NyCL+I0(1/2) AAS
>>712
>丸MARUの検証でも処刑された人数は最大合計しても200人前後で一致w
その阿羅の見解は「何人かの話をまとめたもの」というが、肝心のその部分の証言がないのだから、根拠無しと評さざるを得ませんね。
>つまりこの差は「暴動による処刑」と判断できるw
既に聞いたと思いますが、なぜ「「暴動による処刑」と判断できる」のか、根拠をもって説明しないと、その様な「判断」には何の意味もないのですよ。
>>714
>「1500余の10分の一以下の15人で監視をしていた」という珍論が前提の計算に何か意味がありますかw
省1
716(2): 07/07(日)10:31 ID:kR8OZZtm0(1/4) AAS
>>715
「捕虜を殺害した」という証言は精々第4中隊の100人前後で、そもそも第3中隊は「ほとんど城内にいた」という証言がありますw
戦闘詳報を所有していた第3中隊藤沢藤一郎氏の証言w
「第三中隊は十三日からずっと城内に入っていましたから」
渡辺紋蔵小隊長の証言w
「第三中隊は十三日、十四日と城内にいたので捕虜を捕らえるということはありませんでした」
第3中隊は西沢中隊長以下が 13日に中華門から東よりの城壁にかけられた縄梯子から城内に侵入w
城壁上で万歳しそのまま城壁内に入って進みそのまま城内にとどまり十七日の入城式に参加していますw
つまり第一大隊は第2中隊と第3中隊を欠いた状態であり、城内にいた第3中隊が捕虜を殺害するなどありえませんw
第一大隊には他に140人いた?
省13
717: 07/07(日)16:09 ID:H9NyCL+I0(2/2) AAS
>>716
>「捕虜を殺害した」という証言は精々第4中隊の100人前後で、そもそも第3中隊は「ほとんど城内にいた」という証言がありますw
で?「精々第4中隊の100人前後」という証言はどこにあるのですか?
誰が証言したのか、具体的にどう証言したのか提示してくださいね。
>つまり第一大隊は第2中隊と第3中隊を欠いた状態であり、城内にいた第3中隊が捕虜を殺害するなどありえませんw
自分で「?【収容所からの連れ出し(※三中隊合計約150人)】」とか書いていますが、この「三中隊合計約150人」に第三中隊は含まれていないというのでしょうか?
なお、第三中隊 水沼兼吉の証言では、「中隊の幹部の人」「指揮班の人あたり」が「捕虜をやる、といって希望者を募っていました」と言っていますので、第三中隊でも捕虜を殺害していますね。
これは戦闘詳報「第三中隊は露営地西南方凹地…に於て刺殺せしむることゝとせり…各隊午後五時準備終り刺殺を開始し概ね午後七時三十分刺殺を終り」と一致します。
省4
718(1): 07/07(日)16:50 ID:zEmA3fpe0(1) AAS
>>716
>そもそも戦場で「暴動を起こした捕虜」はどうなりますか?
出ましたーっ!w 東中野とその信者(似非否定派)の自己矛盾
第一大隊戦闘詳報の「捏造」と「捕虜の暴動」が矛盾することに気が付かない否定派。
捕虜の暴動があって殺害したのなら、第一大隊戦闘詳報を捏造する必要がない。
逆に第一大隊戦闘詳報を捏造するなら、いっそのこと焼却するなり証拠隠滅したほうが手っ取り早い。
第一大隊戦闘詳報を捏造したという証拠はないし、捕虜の暴動があったという証拠もない。
すべて東中野の創作だ。K-K氏が解き明かしている。
東中野の矛盾
・「第1大隊が独断で捕虜殺害したこと隠蔽する為に、戦闘詳報に旅団・連隊の発令による捕虜殺害命令を捏造した」
省1
719(1): 07/07(日)21:22 ID:kR8OZZtm0(2/4) AAS
>>718
誰が東中野説を主張しているんですかねえw
見えない相手へのシャドーボクシングですかw
また誰も主張していない事に自分の妄想で反論して勝利宣言して逃亡ですかw
つくづくあった派は成長しないねえw
> 捕虜の暴動があって殺害したのなら、第一大隊戦闘詳報を捏造する必要がない。
日本語で書かれているのに第一大隊戦闘詳報に何と書かれているか理解できないようですねえw
再掲しますw
歩兵第六十六連隊第一大隊戦闘詳報
自昭和十二年十二月十日 至昭同十二月十三日
省29
720(1): 07/07(日)21:39 ID:kR8OZZtm0(3/4) AAS
ちなみに「第一大隊戦闘詳報」が捏造と言う根拠w
宇都宮の原隊で保管されていたもの数部のうちの一部なら必ず表紙に「軍機」を示すものが有るはずだが、表紙に「軍事機密」「軍機」などの表記が全く無い
同時期の114師団関連文書にはちゃんと赤いゴム印で「軍事機密」とあったり、ガリ版で最初から「軍事機密」と刷り込んである
アメリカ軍接収のリファレンスNO.は付いていないので返還文書ではない
宇都宮での保管時に他の部隊と合本状態で保管されていて合本表紙に軍機のゴム印があり、第一大隊戦闘詳報にはゴム印が押されなかった場合が考えられるが、
この場合、藤沢氏にはわざわざ合本の和綴じを外し第一大隊戦闘詳報のみを渡した事になる
省8
721(1): 07/07(日)22:00 ID:kR8OZZtm0(4/4) AAS
それから軍隊の命令で「処断」や「処分」や「処理」というものはあっても、戦闘詳報という公文書に記載される命令で「殺せ」という命令は使用されないw
現存する戦闘詳報でこのような命令が存在するのは「第一大隊戦闘詳報」の14時の命令のみw
だからこそ板倉氏の説に説得力があるw
↓
Ⅰが戦闘詳報に、自分の部隊の武勇伝を創作して書き込んだものとしか思えない。
本当はこうだった南京事件
p129 板倉由明
722(1): 07/07(日)22:32 ID:vtA3zLD/0(1) AAS
>>721
> それから軍隊の命令で「処断」や「処分」や「処理」というものはあっても、戦闘詳報という公文書に記載される命令で「殺せ」という命令は使用されないw
↑
なるほど
「処断」「処分」「処理」は殺害のことを指すわけですね
墓穴、掘りまくってますよ
723: 07/08(月)00:28 ID:PlKNQtQQ0(1/4) AAS
>>719
>本来は「暴動を起こした捕虜」に限定されるべき対象が「捕虜は全部殺すへし」と無制限に拡大されるのが捏造で無ければなんだとw
それは単に「本来は「暴動を起こした捕虜」に限定されるべき対象」ではないということでしょう。
>実際に郷土部隊奮戦記には捕虜の暴動が書かれているけど戦闘詳報には書かれていませんよねw
「機関銃の空砲でおどしたら間もなく静まった」程度の軽微なものだったということ。
結局は、捕虜に食事を作らせて与える程度に統制が取れている状態から考えて、軽微な状況で、戦闘詳報に記述するほどの問題ではなかったということでしょう。
要するに、捉え方による違いでしかないということです。事実、その程度を小宅氏は「騒然としていた」と程度にしか捉えていません。
>つまり「珍しくもない捕虜の暴動はわざわざ戦闘詳報に書かなかったが、空白部分に14時の命令を創作して書き加えた」という事ですよw
省20
724(2): 07/08(月)00:28 ID:PlKNQtQQ0(2/4) AAS
>>720
>宇都宮の原隊で保管されていたもの数部のうちの一部なら必ず表紙に「軍機」を示すものが有るはずだが、表紙に「軍事機密」「軍機」などの表記が全く無い
それは単に連隊区司令部で保管されたものには、国内法である軍機保護法の適用を受けたことを示すだけで、入手経路が戦地(外地)において個人が入手した場合はその表記がないというだけでしょう。
例えば、第114師団内の史料でも、金栗敏光少佐が保管していた史料(115i、150i)には、軍機の表記はありません。
725(2): 07/08(月)00:34 ID:SlmirmJ60(1/2) AAS
>>722
「処断」「処理」「処分」が殺害を指すものだと証明してくださいw
ちなみに「処断」とは殺害を意味しませんw
しょだん【処断】
(名)
スル
決断を下すこと。きまりをつけること。
法に照らして―する
[ 大辞林 提供: 三省堂 ]
殺害の場合でさえ日本軍に敗残兵を処刑する正当な理由があればそれは「処刑という処断を下した結果」ですので何も問題ありませんw
省6
726(1): 07/08(月)01:01 ID:SlmirmJ60(2/2) AAS
>>724
>それは単に連隊区司令部で保管されたものには、国内法である軍機保護法の適用を受けたことを示すだけで、入手経路が戦地(外地)において個人が入手した場合はその表記がないというだけでしょう。
ポカーン( ゚д゚)…
入手経路が外地なら表記が無い?
つまり内地なら表記があると?
自分で何を書き込んでいるのか理解していないんだろうなあ(呆れ
丸MARU 1990年7月号 通算528号 連載第19回
第六十六連隊はこのあと中支に転戦して、昭和十四年八月に内地に戻り解散になる。
解散のとき、藤沢氏は軍曹まで進み、大隊本部に勤務していた。
解散にあたって大隊の記録は宇都宮五十九連隊留守部隊に収めたが、このとき、藤沢軍曹は記念として第一大隊戦闘詳報を貰った。
省4
727: 07/08(月)02:18 ID:wdgghR8M0(1/2) AAS
>>725
「俘虜は処断す」といえば、捕虜として収容後、殺したことを意味する。
『南京戦史』p.158
728(2): 07/08(月)03:20 ID:PlKNQtQQ0(3/4) AAS
>>726
>藤沢氏が戦闘詳報を入手したのは内地w
であるならば、連隊区司令部に収める前に入手したというだけのことで、極秘の表記がないことは捏造の根拠にはなりませんね。
もちろん、全ての戦闘詳報・陣中日誌に極秘表記が付されるわけではないことは、金栗史料で証明ずみです。
いずれにしても、現存する66i?戦闘詳報のうち、第1〜7号とは別の登録番号群である8の1、9、11号は入手経路が違うというだけのことでしょう。
729(1): 07/08(月)08:03 ID:qFvTNH4f0(1/2) AAS
>>728
>であるならば、連隊区司令部に収める前に入手したというだけのことで、極秘の表記がないことは捏造の根拠にはなりませんね。
???
「連隊区司令部に収める前」という事は事前にいくらでも捏造可能という事だが?
つまり「ぼくのかんがえたかそうせんき」を作成した者が藤沢氏に「これが第一大隊の戦闘詳報」と言って渡したとすら言えるw
そういう事を防ぐ為にも正式に司令部に収めた事を証明する「軍機」や「機密」の印があるのだろうにw
そもそも藤沢氏によると戦闘詳報を入手したのは連隊解散の時w
大隊の戦闘詳報を連隊区司令部に提出せず、一年以上経ってから解散間際になって提出したとでも?
戦闘詳報という軍隊の公式記録を何で提出するのか理解している?
戦闘詳報に基づいて作戦計画の不備の確認、戦果判定、兵器・軍需品の消耗・残存状況、戦死者の確認が行われるのだがw
省2
730(1): 07/08(月)08:23 ID:qFvTNH4f0(2/2) AAS
>>728
>もちろん、全ての戦闘詳報・陣中日誌に極秘表記が付されるわけではないことは、金栗史料で証明ずみです。
金栗敏光少佐は台湾の第139飛行場大隊所属w
第139飛行場大隊は1944年7月19日浜松で編成され台湾に展開し1946年2月復員w
経歴は
1897年4月23日生
昭和5年12月1日 陸軍士官学校入校(第11期学生)
昭和7年2月27日 任陸軍歩兵少尉
歩兵第148聯隊補充隊附
昭和19年3月1日 補仙台陸軍飛行学校附
省6
731(2): 07/08(月)09:06 ID:1ywXsWp10(1) AAS
>> 728
あのねえw
戦闘詳報というのは作成期間が自◯月◯日〜至◯月◯日という様に一括して作成されるのだよw
それがピンポイントに「◯月◯日の戦闘詳報だけ」がポンと出てくる事はあり得ないw
> 720でも述べているがその場合は「わざわざ合本の和綴じを外し第一大隊戦闘詳報の該当部分のみを渡した事になる」w
入手経路が異なるなら別の登録番号群である8の1、9、11号は捏造でしかないw
732(1): 07/08(月)09:26 ID:i0C143RL0(1/2) AAS
>>731
あのさ・・
他の時期の戦闘詳報はあったけど南京戦だけ何故か無かったんだよ・・
だけど藤沢は全部持ってたから南京戦の補完ができたわけでね・・
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