[過去ログ] 南京大虐殺は史実 (1002レス)
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930: 08/22(木)20:22 ID:FUvwOpeb0(1) AAS
< .com/kozohys2002/status/1693111533805633919
|kozohys2002
国際法(陸戦条約)はそもそも侵略戦争には適応されないのだよ。しかも×本帝国は第一次世界大戦後に戦争放棄を宣言したパリ和平条約に加盟していた。
戦争そのものが違法であるとする条約だ(正当防衛戦争以外)。にもかかわらず×本帝国は満州を自作自演で侵略した。
中国の便衣兵はナチの侵略化で地下組織を作って戦っていたパルチザンと同じで、これは国を守る正当な防衛戦なので国際法は適応されない。
省2
931(1): 08/23(金)19:51 ID:sl1ZPvL90(1) AAS
>>929
殺害場所が軍の露営地だなんてどこに書いてあるんですか?
戦闘詳報には殺害場所は第一中隊は露営地南方谷地、第三中隊は露営地西南方凹地、第四中隊は露営地東南谷地附近とあなたの主張とは逆に露営地ではなく露営地から離れた場所になっていますよ。
少なくとも戦闘詳報には「1500人を50人毎に3中隊に分けて連行して午後5時から午後7時半の間に殺害した」と書かれています。
それを実行するには捕虜の収容場所から徒歩5分以上離れた場所でなければ戦闘詳報の内容と一致しません。
徒歩5分以内の場所では戦闘詳報の「但し監禁室の周囲は厳重に警戒兵を配置し連れ出す際絶対に感知させさる如く注意す」というのと矛盾しますし、徒歩5分以上の場所では時間内に殺害は不可能です。
それにそれぞれ50名の捕虜を殺害できる場所に照明設備もしくは松明が必要です。
各中隊長を集め殺害場所と殺害方法が決定されたのが3時30分なので午後5時の殺害開始までの1時間30分で各場所に照明設備の設置を完了させなければなりません。
「軍隊の露営地」には明かりはあるでしょう。
しかしそれと「露営地から離れた殺害場所に照明設備が設置されている事」は別の話です。
省1
932: 08/23(金)20:12 ID:p/oL/A+u0(1) AAS
ちょっと引っかかったんだけど月齢カレンダーによれば1937年12月13日は満月の74.7%
天気が悪くなければ夜でも見えるんじゃね?と思ったり
ほら、夜襲は皇軍の十八番だしね
当日の天候はどうだったんだろう?
外部リンク:www.arachne.jp
933: 08/23(金)21:11 ID:wIMSU9pV0(1) AAS
>>931
馬鹿「露営地には証明設備はあるが殺害場所に証明設備を設置するわけがない!」
うーん、馬鹿
934: 08/24(土)03:43 ID:pjr/Hsxc0(1) AAS
< //manapedia.jp/text/454
> 高校 > 日本史 > 両世界大戦期の日本と世界 > 国内情勢・第二次世界大戦・太平洋戦争 > 満州事変から国際連盟の脱退へ
▼満州事変
1931年、中華民国の柳条湖付近の鉄道で爆発騒ぎがおきました。
※本はこれを※※※国の仕業であるとして満州に侵略し、満州全土を占領します。そして清の最後の皇帝であった溥儀(ふぎ)を擁立して満州国を築きました。
省3
935(2): 08/24(土)13:11 ID:BUDeFKIs0(1/3) AAS
「日本軍は月明かりの中で50人ずつの殺害を10回2時間半も繰り返しました」
「連行は1回5分以内、1回の殺害は5分以内、収容所に戻るのに5分以内、これを毎回遅延なく実行しました」
どれだけあった派に都合の良い話なんだよw
結局あった派は「日本軍が露営地から離れた殺害場所に照明設備を設置していた根拠」を出せないわけだw
いつもの事だなw
936: 08/24(土)13:33 ID:BUDeFKIs0(2/3) AAS
人間の目は暗順応に30分前後かかるw
つまりたとえ満月でも「日没後の明るさに慣れるまで」30分はかかるw
残り2時間で捕虜の殺害が可能なのかなあw
その場合「連行4分以内、殺害4分以内、収容所へ戻るのに4分以内」となり時間のハードルがもっと高くなるがw
人間は水の上を歩けないし、呼吸しなければ生きられないし、暗闇になったら瞬時に視力を回復して動く事はできないw
日本兵が人間の生物的限界を超越して「日没直後でも瞬時に視力を回復して月明かりでも昼間と同じように行動できた」と主張するなら別だがw
どこの日本兵最強伝説だよw
937: 08/24(土)14:06 ID:BUDeFKIs0(3/3) AAS
結局、
14時の命令は日本軍の命令系統に従い「連隊長から」「旅団命令」を受けているにもかかわらず、捕虜を殺害する為の「連隊命令」が発令された記録も「大隊命令」が発令された記録も存在しないw
12月13日の連隊命令と大隊命令は全て「発令日時」と「発令場所」と「命令者」が記載されているが「14時の命令だけ」が「発令日時」も、「発令場所」も、「命令者」も、記録が一切存在しないw
12月13日に城内にいた第3中隊が、「中隊長が城外に集まって打ち合わせ」したり、「城外で捕虜を連行して殺害」など不可能w
1500人の捕虜を3中隊に分割して50人毎に殺害した場合、1回当たりの行動(連行、殺害、収容所に戻る)は15分で完了させ、これを10回繰り返さなければならないw
殺害場所が徒歩5分以上の場所では時間的に実行不可能になり、徒歩5分以内より近くの場所では戦闘詳報の「但し監禁室の周囲は厳重に警戒兵を配置し連れ出す際絶対に感知させさる如く注意す」という命令は実行できなくなるw
省3
938(2): 08/24(土)14:26 ID:uFTMUtG50(1/2) AAS
>>935
馬鹿「日本軍が露営地から徒歩5分の場所に証明設備を持っていけるはずがない!証明設備があったなら証拠を出せ!!」
これもう境界知能だろ
どんだけ日本軍を未開の野蛮人扱いしてんだよ
939: 08/24(土)14:34 ID:uFTMUtG50(2/2) AAS
>>938
おっと
証明→照明
940(1): 08/24(土)14:45 ID:BI0VE+8g0(1) AAS
>>935
ほーんwww
じゃ、南方戦線の夜襲ってどうやったんだ?
皇軍にはナイトビジョンゴーグルでも配備されんかw
941: 08/24(土)16:32 ID:CAQu2UuA0(1) AAS
イチャモン派とはいい得て妙だなw
942(1): 08/26(月)04:37 ID:8zww4Iov0(1) AAS
>>739
>それらが一切不明なのに「南京と関係がある」とでもw
>よくそんな事が言えますねw
あなたが、南京戦の部分が空いている金栗氏の経歴を挙げて、「南京とは全く関係ありません」と主張したので、そのデタラメさを指摘しているにすぎません。
また、入手していた史料から考えれば、南京戦に関与していたと考えるのが普通ですよ。
ちなみに、金栗氏は昭和11年9月には、独立守備第六大隊(鞍山)の隊付将校であり、歩兵中尉だったので、戦争が始まり転出した可能性は十分あるでしょう。
>当然空いた経歴の部分で115連隊、150連隊の戦闘詳報を入手した経緯を明確にする必要があるのはそちらですよw
私は入手経路を問題にしたことはありません。論点は、「秘」「極秘」の入っていない戦闘詳報が、国立公文書館で運営するデータベースに掲載されているということです。
そして、何もそれは金栗史料だけではなく、アジ歴に掲載されている戦闘詳報の一定数には「極秘」等の表記がないという事実の指摘であり、あなたが主張する藤沢史料が偽造である根拠の一つ「軍機の印も無(い)」は否定されたということです。
>その理屈だと内地で藤沢氏が入手した戦闘詳報に軍機の印が無い理由が説明出来ませんねw
省14
943(1): 08/26(月)20:29 ID:My8ELrlE0(1/4) AAS
>>938
つまり「日本軍が殺害場所に照明設備を設置していた根拠は提示できない」という事ですね。
その場合「日本兵は日没直後から昼間と同等に行動出来た」と証明出来なければ意味がありませんよ。
そんな例がありましたか?
>>940
日本軍は夜襲の時にあらかじめ暗闇に目を慣らしておく様な準備もしていなかったのですか?
それとも日本軍の夜襲は常に日没直後に行われていたのですか?
「事前に夜間に行動する準備をしている作戦行動」と「事前準備も無い場当たり的な殺害」を同一視する意見は異常としか思えません。
第一日本軍の夜襲は単に物資が欠乏して銃剣突撃しか選択肢がなかっただけです。
少数の兵士で効果的に敵を混乱させる方法が夜襲だっただけで夜目が効いたかどうかは関係ありません。
944(1): 08/26(月)20:45 ID:My8ELrlE0(2/4) AAS
>>942
防衛省がコピーした理由は「防衛省にオリジナルが存在しないから」ですよ。
そして藤沢氏本人が「戦闘詳報は同じものが二部か何部かあり、そのうちの一部を貰った」と言っています。
つまりこの戦闘詳報は最初から「上層部に提出されたオリジナルではなくコピー」だという事です。
藤沢氏の所有していた戦闘詳報がオリジナルと同一だと証明してください。
945(1): 08/26(月)21:00 ID:My8ELrlE0(3/4) AAS
藤沢氏自身が「同じものが二部か何部かあり、そのうちの一部を貰った」と言っている事から、この戦闘詳報のオリジナルは既に上層部に提出済である事がわかる。
つまり藤沢氏の所有する戦闘詳報は「オリジナルとは別のもの」です。
そして藤沢氏は「戦闘詳報は全部読んだわけではなく、自分の戦ったところだけを見た」と言っていますので内容がオリジナルと同一であるかどうかは確認していません。
そしてオリジナルは存在せず、藤沢氏が所有する戦闘詳報の内容は
「隣接部隊等の戦況の進捗状況とチグハグ」
「軍事的慣例と異なる記述」
「全文を通じてその表現は極めて異様」
『南京戦史』 (p317)
これらを考慮すれば板倉氏の主張に充分説得力があると言える。
?が戦闘詳報に、自分の部隊の武勇伝を創作して書き込んだものとしか思えない。
省2
946: 08/26(月)22:16 ID:e8ZHAIlZ0(1) AAS
>>943
> つまり「日本軍が殺害場所に照明設備を設置していた根拠は提示できない」という事ですね
↑
これ凄い馬鹿だよな
じゃあ日本軍は上海から南京まで照明設備も無しに行軍してきたのかと
お馬鹿なお前に照明設備を設置した根拠を教えてやろうか?
暗くなったからだよ
> その場合「日本兵は日没直後から昼間と同等に行動出来た」と証明出来なければ意味がありませんよ。
↑
日没してすぐ暗くなるわけないだろ阿呆
省3
947(1): 08/26(月)23:36 ID:My8ELrlE0(4/4) AAS
夜間行軍には5分単位で時間制限があるわけではありませんが。
夜間行軍に1時間かかろうが、10時間かかろうが別に不都合はありませんよ。
当たり前の事ですが暗くなれば無灯火での行動には昼間より時間がかかります。
そもそも日本軍は夜間行軍で灯火を使用していなかったとでも?
「灯火を使用しない徒歩での夜間行軍で昼間と同じ時間で移動出来た具体例」がなければ意味がありませんね。
そのような具体例があればあなたの言っている事にある程度の説得力を持たせる事が出来るでしょうね。
あるなら出してみてください。
少なくとも戦闘詳報に記載されている殺害を実行するには日没直後で目が暗がりに慣れていない状態で「5分で連行、5分で殺害、5分で戻る事」を10回連続で遅延なく実行しなければ不可能なんですが。
「日没してすぐ暗くなるわけではない事」と「昼間と同じ様に行動できる事」は全くの別の事です。
そして中隊の人数的に「5分で50人を刺殺する事」など不可能です。
948: 08/26(月)23:48 ID:wqSubHI60(1) AAS
>>947
馬鹿としか表現のしようがない
歩いて連れて行くのに照明設備があれば大して苦じゃないだろ
日本軍は照明設備も無しに上海から南京まで行軍したのか?
それに日没直後の「市民薄明」は「灯火なしで屋外の活動ができる」目安を表している
日没即暗くなるとか外に出たことがない引き篭もりか?
こんな馬鹿げた話を何度も繰り返すとかコイツは日本人かどうかも怪しい
949(1): 08/27(火)00:07 ID:MfGXSwjW0(1/2) AAS
KKは板倉説に意味不明なイチャモンを付けているけど結局この証言があるから無意味なんだよね。
久保田和三郎 歩兵第66連隊第3中隊
証言
「南京城を見たときは感動しました。
十二日ごろ、城壁を前にしていたとき、くすんだ白旗を揚げた丸腰の中国兵が来た。線路上に腰をおろしていたのを覚えている。【その日と翌日の二晩】、近くの校舎のようなものに泊め、【二回食事を与えた】。城外の濠には相当死体があって、そこを超えて南京城に向かったが、私は入城式には参加しなかった」
阿羅健一「兵士たちの「南京事件」 城壘」第19回 『丸』1990年7月 p.211
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