[過去ログ] 南京大虐殺は史実 (1002レス)
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411(2): 06/13(木)20:21 ID:xXGrwFHV0(1/2) AAS
「軍紀の乱れ」を南京事件とは言いません。
憲兵が少ない事は犯罪の多発を意味しません。
20万人の日本兵が20万件の犯罪を犯したなら大量の憲兵が必要でしょうが、実際の犯罪は極少数でした。
安全区委員会に記録された日本軍の不法行為は1937年12月14日の第1号から翌年2月19日の第69号までの全てを事実確認せず合計しても400件程度。
「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」昭和15年(1940)陸軍省
によると
「支那事変勃発より昭和14年末に至る間に軍法会議に於いて処刑せられし者は掠奪、
同強姦致死傷420、強姦、同致死傷312、賭博494に達しあり」
とある。
つまり
「1937年7月から1939年(昭和14)末まで」の間に『日本軍全体』で掠奪、同強姦致死傷で処刑された数は420人。
強姦、同致死傷で処刑された数は312人。
計732人(420+312)。
期間を無視してこれが全て「南京での犯罪」だと仮定しても僅か732件。
17人の憲兵が1日1件6週間処理すれば17人x7日x6週間=714件で十分対応可能。
そして1月初めに定員約400名の中支那方面軍憲兵隊が編成され、監視網も強化された(秦:「南京事件」,P178)。
日本兵による犯罪行為が多発したとすれば南京陥落 の12月13日から憲兵が増員される1月初めまでの間しかない。
しかし南京陥落後に日本兵の犯罪行為が多発したという記録は無く、憲兵増員後に日本兵の犯罪行為が減少したという記録も無い。
これらより憲兵の数の多寡は犯罪の多発を意味しない。
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