[過去ログ] 南京大虐殺は史実 (1002レス)
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(1): 07/04(木)21:57 ID:1l8O8if20(1/3) AAS
>>676
K-K氏の見解を要約すると以下の通りとなります。

>>642で示された小宅曹長による66i?戦闘詳報に対する疑義の根拠は、小宅曹長が一時的に中隊を率いていたから言えることです。
「ですから、当時の第四中隊は私が指揮していたことになります」(「城壘 兵士たちの南京事件」第19回 p.213)

ところが、小宅曹長は阿羅氏のインタビューに答える以前は、次のように証言しています。
「中隊は乱戦にまき込まれ、うちの小隊は中隊主力から孤立した。」(高橋文雄『野州兵団奮戦記』p.268)
当初は、小宅曹長の小隊は中隊から孤立したと語っていたにも関わらず、後にその中隊を率いていたと証言を翻したのです。

そうなると、この二つの小宅証言のうちどちからが正確で、どちらかが不正確ということになります。

阿羅インタビューによる小宅証言には、さらに12月12日1200以降の戦闘経過には疑義があります。小宅曹長は12日1200に中隊長とはぐれて一時的に中隊を率いてから、中隊長代理が中隊に復帰したのが翌13日夜だと証言します。
「城内の大隊本部に行ったとき、外国の新聞記者二人が城内と雨花台を見たいといっているので失礼のないようにと言われ、(平沢)中隊長代理にそのことを言ったことがあります。中隊長代理とはそのとき久し振りに会ったくらいです。中隊といっても第一線ですからそれほど命令系統は混乱していました。」(「城壘 兵士たちの南京事件」第19回 p.213)

しかし、12日は1530に中国兵の投降がはじまり、1630には66i?が担当する城外地域の掃討戦は終息を迎えており、それ以降に中隊長代理が中隊が復帰できない理由がありません。
しかも、13日に中隊長代理と再会できたときは大隊本部にいたというのですから、その間、中隊の指揮を放棄していたとしか読めません。

この様に阿羅氏インタビューの小宅証言は『戦況の進捗状況とチグハグ』『了解し難い部分』が多いことから信憑性が低く、おそらくは『野州兵団奮戦記』での証言の方が信憑性が高いと言えるようです。

以上、「歩66捕虜殺害事件 東中野説批判[03]捕虜捕獲状況・捕獲数」より
外部リンク:kk-nanking.main.jp
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