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南京大虐殺は史実 (1002レス)
南京大虐殺は史実 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/
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970: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2024/08/28(水) 13:36:56.56 ID:S4+BUqae0 >>969 > 殺害までの1時間半の間に照明設備を用意したり使用した記述もありません ↑ そんなことを書く必要がどこにあるんだ? お前の国では夜間照明はそんなに珍しいのか 随分な土人国家にお住まいなことで http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/970
971: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2024/08/28(水) 13:58:00.70 ID:JEy7NqnY0 >>969 >あった派の主張通り殺害が実行されたなら「第一大隊は日没後暗闇の中で午後7時半まで殺害を実行していた」という事になりますw 普通に考えて敵の砲撃射程内で「照明設備」を使えるはずもなく、作業に必要な最低限度の明かりを使用したのでしょうが、わざわざ、その様な瑣末な事情を戦闘詳報に書く必要もないでしょう。 そもそも日没後にまったく行動不能になるという設定も非現実的で、その設定であるならば夜間の攻撃などまったく不可能となり、日本軍の得意の夜襲も行えないということになるでしょう。 議論として意味がないのではないでしょうか。 >そもそも現存する資料とオリジナルが比較できないのに、どのような「具体的根拠」で「同一だ!」と判断出来るのですかねえw 具体的根拠はないということを認めるのであれば議論は終了しているということです。 >というシロモノであるだけで偽物である根拠になりますよw それらを踏まえた板倉氏の感想文に対しては、すでにK-K氏により反論が提示されています。 >戦後の証言に意味がないなら殺害を実行した証言にも意味は無いという事になるw 「戦後の証言に意味がない」のではなく史料価値について述べています。 >日本軍は毎日朝昼晩3回食事を取っていたとでも思っていませんかねえw >日本軍でさえ満足に食事出来なかったのに、捕虜に食事を与えているだけで充分ですよw 第一大隊は一部を残して13日午後9時に城内に移動しておりその時点で捕虜はいないのだから、12日(および13日)に捕獲して二晩というのはありえません。 >問題なのは「命令の日時」ではなく、KKが自分のHPで【十二、午後11時左の連隊命令を受く】の部分を意図的に削除している事ですよw >自分に都合の良い様に自論を展開する為に不要な箇所を削除する姿勢を問題視しているのですがw >議論に必要な資料を提示するなら「自分に都合の良い物も都合の悪い物もまとめて提示する」必要がありますw 単に戦史史料に不案内なあなたが未熟な知識に基いて「議論」化としただけで、普通に戦史史料に接していれば「議論」とならないと思います。 おそらくK-K氏も予想外の主張だと思いますよ。 >そもそも連隊命令の発令時間と大隊の受領時間が同じなのは宿営中の23時なので掃討中の命令である14時の命令とは状況が異なりますw 「そもそも…」と言われても、甲87号命令をもって「信頼性が完全にゼロ」と主張したのはあなたなのですけどね。 それが否定されたから論点をずらしたいのでしょうけど、誤魔化し方として如何なものでしょう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/971
972: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2024/08/28(水) 13:59:27.41 ID:JEy7NqnY0 アレ?改行が変になっている… http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/972
973: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/08/28(水) 15:24:50.46 ID:Vd0zW+6H0 >>961 KKの指摘は小宅曹長が孤立した後、中隊と合流出来なかった事が前提でなければ成立せず的外れw 実際には小宅曹長が孤立したのは一時的なものでその後中隊主力と合流して指揮を取っているw KKの主張では小宅曹長が孤立したのは第三中隊の右翼に進出せよとの大隊命令によるもので12時30分前後w その後小宅曹長は中隊主力と合流し、15時30分前後に中国兵が投降してくるまで指揮を取っているw 兵士廠の建物の前にある陸橋で指揮を取っていたが、やがて中国軍が後退し、その中に白布を振っている兵も見えたので射撃を禁止し、彼らに対して手招きをした。すると、城壁上から私を狙って撃ってきて、五、六発が私の近くに当たった。 それでも中国兵は三三五五降伏してきたので、私のところで検問して後に送った。検問している途中、中国軍の逆襲にそなえたり、井上戦車隊長との打ち合わせ等があり、どのくらい捕虜がいたのか正確には分からない。あとで千二百の捕虜がいて、他の隊が捕まえた捕虜二、三百も合わせると千五百人になると聞いた記憶がある。 丸MARU 1990年7月号 通算528号 連載第19回 中隊主力とはぐれていたら何で小隊でしかない小宅曹長が中国兵を検問したり、他部隊の井上戦車隊長と打ち合わせをしたりするんですかねえw KKは自説に固執して小宅曹長は中隊主力から孤立したままだった事にしたのだろうなあw 「自分に都合の悪いものは見なかった事にする」www やり方がワンパターンw アホ過ぎるだろwww http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/973
974: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/08/28(水) 15:34:22.06 ID:Vd0zW+6H0 だれが「日没後に全く行動不能になる」なんて主張しているんですかねえw また「書かれていない文字が見える肯定派特有の症状」が発症しているのですかw こちらの主張は「日没後の暗闇では「連行5分、殺害5分、収容所に戻るのに5分」を実行するのは困難」という事ですよw 「連行、殺害、戻る」のに各6分かかるだけで180分かかりますので「17時殺害開始19:30終了」という戦闘詳報を否定する事になるんですがw こちらが主張していない事に対して藁人形叩きをやりたいならご自由にドウゾとしか言えないですがw http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/974
975: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/08/28(水) 16:00:41.08 ID:Vd0zW+6H0 いくらあった派でも「主張を行なっている側が具体的根拠を出す必要がある」という議論の根本は理解していると思いたいのですがw 「オリジナルと同一である」という主張を行なっているのはどちらなのでしょうw 具体的根拠が無いならそれで終了ですねw http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/975
976: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/08/28(水) 16:11:35.92 ID:TMtHUO7W0 < com/TxG_Kingo/status/1731005596730789945 TxG_Kingo このツイ主は南京大虐殺を否定する為に用いただけかもしれないけど、南京大虐殺があろうがなかろうが似たような侵略があったことは紛れもない事実とは自分は思ってるし否定派は正直狂ってると思う・・・ > http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/976
977: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2024/08/28(水) 17:55:32.34 ID:JEy7NqnY0 >>973 >KKの指摘は小宅曹長が孤立した後、中隊と合流出来なかった事が前提でなければ成立せず的外れw >実際には小宅曹長が孤立したのは一時的なものでその後中隊主力と合流して指揮を取っているw >KKの主張では小宅曹長が孤立したのは第三中隊の右翼に進出せよとの大隊命令によるもので12時30分前後w >その後小宅曹長は中隊主力と合流し、15時30分前後に中国兵が投降してくるまで指揮を取っているw … >中隊主力とはぐれていたら何で小隊でしかない小宅曹長が中国兵を検問したり、他部隊の井上戦車隊長と打ち合わせをしたりするんですかねえw しかし『野州兵団奮戦記』では、軽装甲車中隊の井上中尉からの依頼で奇襲攻撃をしたのは、小隊から抽出した二個分隊(山形、田波分隊)を宛てたことになっており、中隊行動ではありません。 その後、中国兵の投降があったことになっているのだから、捕虜の検閲も小隊の為だったことになります。 つまり、『野州兵団奮戦記』では、この間、中隊主力とはぐれた小宅小隊は独力で戦闘を行っていたことになっています。 そもそも、阿羅インタビューで不思議なのは、小宅曹長は「第一小隊、第三小隊、指揮班の計六、七十人を指揮して」と述べた上で、「我々の中隊長がどこにいるのか…分かりませんでした」とも述べています。中隊の中核である指揮班に中隊長がいないというのは非現実的です。 また時系列もおかしく、阿羅インタビューでは投降兵捕獲後に軽装甲車中隊と打ち合わせをしたことになっていますが、『野州兵団奮戦記』や戦闘詳報では軽装甲車中隊と共同作戦の結果、投降兵を捕獲したことになっています。 阿羅インタビューは明らかに混乱が見られます。 実態は、『野州兵団奮戦記』で証言しているように小宅小隊は中隊主力とはぐれて戦闘し、軽装甲車隊と共同で戦闘を行い、その結果、投降兵の捕獲をしたと見るべきでしょう。 >>974 >こちらの主張は「日没後の暗闇では「連行5分、殺害5分、収容所に戻るのに5分」を実行するのは困難」という事ですよw あなたが単に「困難」と言っているだけなので、日没で暗いから行動不能になる程度ぐらいしか根拠はありませんよね。それ以外に根拠があるのですか? http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/977
978: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2024/08/28(水) 17:58:19.50 ID:JEy7NqnY0 >>975 >「オリジナルと同一である」という主張を行なっているのはどちらなのでしょうw オリジナルと違うという主張を行っているのはどちらでしょう? いくら無かった派でも…ry http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/978
979: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2024/08/28(水) 18:27:26.93 ID:IkGreEB90 < //www.guidoor.jp/media/sugihara-chiune-story-japanese-schindler/4/ 「日本のシンドラー」 /「杉原千畝物語」(1) ▼杉原千畝 失意の中、満洲国外交部退官 ・・・しかし杉原千畝は、日本外交きっての「ロシア通」という評価を得てまもなく、1935年(昭和10年)には満洲国外交部を退官。 その理由として、ロシア語が堪能だった杉原に対し、関※軍から破格の金銭的条件と引き換えに軍部のスパイになるよう強要されたことや、満州での軍人たちの目に余る暴挙への憤慨があったとされており、 「驕慢、無責任、出世主義、一匹狼の年若い職業軍人の充満する満洲国への出向三年の宮仕えが、ホトホト厭」になり外交部を辞任したという。 杉原の手記には 「当時の※本では、既に軍人が各所に進出して横暴を極めていたのであります。私は元々こうした軍人のやり方には批判的であり、職業軍人に利用されることは不本意ではあったが、※本の軍国主義の陰りは、その後のヨーロッパ勤務にもついて回りました」 と激しい言葉で記されており、この頃から杉原は※本の軍国主義を冷ややかな目で見るようになる。 杉原にスパイになることを拒絶された関※軍は、報復として最初の妻であるロシア人のクラウディアが「ソ連側のスパイである」という風説を流布し、結果としてこれが離婚の決定的理由になった。 満洲国は建前上は独立国だったが、実質上の支配者は関※軍であったため、関※軍からの要請を断り同時に満洲国の官吏として勤務し続けることは、事実上不可能だったのだ・・・ > http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/979
980: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/08/28(水) 20:42:06.14 ID:Vd0zW+6H0 >>977 >そもそも、阿羅インタビューで不思議なのは、小宅曹長は「第一小隊、第三小隊、指揮班の計六、七十人を指揮して」と述べた上で、「我々の中隊長がどこにいるのか…分かりませんでした」とも述べています。中隊の中核である指揮班に中隊長がいないというのは非現実的です。 南京ではその非現実的な事が頻繁していたようですがw 中隊本部所属の森尾市太郎の証言では中隊本部に所属する者でさえ攻撃時に「中隊長と一緒だったかどうかは記憶に無い」と言っていますよw そして入城後どこにいたかと言えば「城内の中隊本部」ですよw つまり中隊長が所在不明な事は戦場では珍しい事ではないという事ですよw 森尾市太郎 歩兵第66連隊第3中隊 中隊本部 上等兵 証言 「 十三日朝、城壁の前の高台で中隊長と一緒だったことは記憶していますが、私は昼前、中華門から入り、そのとき中隊長も一緒だったかどうか記憶にありません。 城内では煉瓦作りの建物を中隊本部にして、中隊長もここにいました。」 直接部隊を指揮する現場指揮官と後方の本部から指示を出す部隊長が別々の場所にいるのが「非現実的」なのですかねw >あなたが単に「困難」と言っているだけなので、日没で暗いから行動不能になる程度ぐらいしか根拠はありませんよね。それ以外に根拠があるのですか? 連行時に暗がりに足を取られる、殺害時に暗闇で手元が狂う、戻る時に道を間違える、どれかひとつでもトラブルによって時間を浪費すれば次の行動が遅れるのですがw 連行に6分、戻るのに6分かかっただけで時間内での殺害は不可能になりますw 「暗いから行動不能」どころか「暗いから行動が遅延する」だけで戦闘詳報が否定されるのですがw どのようにして連行したのか、どこで殺害したのか、収容所ではどのように監視していたのか、逃亡を防ぐのに何人ぐらいで監視していたのか、あった派は全く具体的根拠を出さず一切不明ですよねw そもそも日没後の暗い中で移動して「連行、殺害、戻る」を各5分以内に実行出来なければ戦闘詳報に書かれた事は破綻するんですがw どうやって実行したのでしょうねw http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/980
981: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/08/28(水) 22:00:54.81 ID:Vd0zW+6H0 >>977 >しかし『野州兵団奮戦記』では、軽装甲車中隊の井上中尉からの依頼で奇襲攻撃をしたのは、小隊から抽出した二個分隊(山形、田波分隊)を宛てたことになっており、中隊行動ではありません。 ??? 何で小隊から分隊を抽出したら中隊行動ではなくなるんですかね? 指揮班長の小宅曹長が奇襲部隊を抽出するなら第一小隊、第三小隊からになりますし、小隊から部隊を抽出するなら分隊規模になるのは当然ですが? 小隊規模で奇襲部隊を抽出すれば第四中隊の約半数を奇襲部隊に回す事になって本隊の攻撃力が低下して奇襲の意味がなくなりますし、中隊規模なら指揮下の全部隊が奇襲参加する事になるんですが? 奇襲攻撃とは「奇襲で相手を混乱させる事で本隊からの攻撃を容易にする為」に行うものですw まさか「軍事行動は全部隊が参加するものだ!」なんて思っていませんよね? そもそも小宅曹長は指揮班長で第1小隊長代理ですw 田波分隊長は第3小隊の分隊長、山形徳治は第3小隊の第2分隊長ですw 小宅曹長が小隊規模で行動していたのなら指揮下の小宅小隊は「第1小隊のみ」になりますw 「第1小隊のみ」の小宅小隊を指揮している小宅曹長がどうやったら第3小隊から分隊を抽出出来るのですか?wwwww 一時的に孤立しただけでその後も小宅曹長は引き続き第1小隊と第3小隊を指揮していたという事ですねw 第4中隊の編成は第1小隊、第3小隊、指揮班ですので小宅曹長が第4中隊を指揮していたと言って良いですねw KKの妄想がまたひとつ否定されましたねwwwww ↓ >つまり、『野州兵団奮戦記』では、この間、中隊主力とはぐれた小宅小隊は独力で戦闘を行っていたことになっています。 しかもKKはHPで 「三つあった小隊の一つの小隊を指揮していただけで、しかも中隊主力(第2、第3小隊、指揮班)から離れていたというのである。」 と主張しているが、小宅曹長が指揮していたのは「第1小隊、第3小隊、指揮班」であって第2小隊は含まれていないw 中隊主力に第2小隊を含めて小宅曹長が指揮する部隊を矮小化しようとする相変わらずセコイ手口w KKのHPよりw ↓ 阿羅「城壘」の小宅証言と比較すると、「城壘」の証言では「第一小隊、第三小隊、指揮班の計六、七十人を指揮して」おり、実質的に「当時の第四中隊は私(小宅曹長)が指揮していた」と述べているが、『栃木新聞』の証言では、自身の小隊は中隊主力からはぐれてしまったと述べている。つまり、三つあった小隊の一つの小隊を指揮していただけで、しかも中隊主力(第2、第3小隊、指揮班)から離れていたというのである。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/981
982: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/08/28(水) 23:13:35.74 ID:CL3NkTUr0 kーkのサイトは本ー当ーに役に立ちますね♪ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/982
983: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2024/08/29(木) 00:00:57.15 ID:iPfyY5l+0 < 29 :名無しさん:2013/02/10(日) 19:27 ID: ※本は※の※※を立てて、※※全土を※※するのも完全に正しい。 ※※人なんぞに統治ができるわけがないんだから、※※人が導いてやるのが正しいんだよ。 31 :名無しさん:2013/02/10(日) 19:44 ID: >> 129 ↑それを主権侵害というんですがw ↑欧米の植民地支配と一緒の理論ですね。しかも16世紀レベルの。 前々から当方が言ってるとおり、関※軍の満洲支配が遅れてきた帝国主義だというのが理解いただけたようでなによりです。 > http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/983
984: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2024/08/29(木) 00:22:09.54 ID:1oTt5+F90 >>980 >南京ではその非現実的な事が頻繁していたようですがw >中隊本部所属の森尾市太郎の証言では中隊本部に所属する者でさえ攻撃時に「中隊長と一緒だったかどうかは記憶に無い」と言っていますよw >そして入城後どこにいたかと言えば「城内の中隊本部」ですよw >つまり中隊長が所在不明な事は戦場では珍しい事ではないという事ですよw 森尾上等兵の証言は、森尾上等兵が本部からはぐれたということで、中隊長が指揮班にいないのと意味が違いますね。 「珍しい事ではない」と主張したいのであれば、指揮班に中隊長が居なかった明確な事例を提示する必要があるでしょう。 >直接部隊を指揮する現場指揮官と後方の本部から指示を出す部隊長が別々の場所にいるのが「非現実的」なのですかねw 部隊を指揮するというのは、中隊長が一人で出来るのではありません。本部指揮班は、戦場に散在する現地部隊へ命令を伝達し、上部組織から命令を受領する等、指揮班内は分業されているのだから、指揮すべき中隊長が指揮班から居ないなど基本的にあり得ません。 中隊長が指揮班からはぐれたという具体的な事例を提示する必要があると思いますよ。 >連行時に暗がりに足を取られる、殺害時に暗闇で手元が狂う、戻る時に道を間違える、どれかひとつでもトラブルによって時間を浪費すれば次の行動が遅れるのですがw そうならないように、明かりを取る程度のことがなぜ出来なかったのかを説明する必要があるのでは? >>981 >何で小隊から分隊を抽出したら中隊行動ではなくなるんですかね? 『野州兵団奮戦記』における小宅総長の証言では、当時の状況を中隊主力から小隊は「孤立した」としているから中隊行動ではありません。 >小隊規模で奇襲部隊を抽出すれば第四中隊の約半数を奇襲部隊に回す事になって本隊の攻撃力が低下して奇襲の意味がなくなりますし、中隊規模なら指揮下の全部隊が奇襲参加する事になるんですが? だから、「乏しい兵力のなかから二個分隊をさき」とぼやいているわけです。 >そもそも小宅曹長は指揮班長で第1小隊長代理ですw >田波分隊長は第3小隊の分隊長、山形徳治は第3小隊の第2分隊長ですw >小宅曹長が小隊規模で行動していたのなら指揮下の小宅小隊は「第1小隊のみ」になりますw >「第1小隊のみ」の小宅小隊を指揮している小宅曹長がどうやったら第3小隊から分隊を抽出出来るのですか?wwwww 田波分隊長の所属小隊が「第3小隊」だったことはどうやって確認したのでしょうか?根拠の提示をお願いします。 また、山形分隊長が第3小隊だったと確認できるのは、「似家〔土偏+「具」〕」の通称「ナマコ山」高地での戦闘について手塚清中隊長が回想している部分で確認できますが、大隊長、中隊長、小隊長、分隊長と隊長クラスの戦死・負傷後退が多く確認される中で、12月12日・13日時点で山形分隊長が第3小隊所属だったことは何で確認したのでしょうか?こちらも根拠の提示が必要ですね。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/984
985: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/08/29(木) 10:41:06.59 ID:iZqf2JNg0 「小宅曹長が孤立したままだった」という根拠のない妄想に固執しているから見当違いの頓珍漢な結論にしかならないのですよw KKのHPの日本軍の部隊編成の中に第一大隊の一覧がありますよw その中に[第3中隊]として西沢弁吉、大朏良三、大橋福次、原貫一、荒井誠寿、松島勝利、湯田芳松、森尾市太郎、渡辺紋蔵、中田実、藤沢藤一郎、川越進、高久、岩本清、武藤昇、小川真、中田金一、小川正作、高橋忠太郎、古谷武、久保田和三郎、柴田、大出清造、福富、宍戸、小林、大森、水沼兼吉、、保暁三、狐塚新衛、亀田二蔵、石川権蔵、渡辺酉二郎、塚原軍司、斎藤信吉、阿久津光、鴇田栄光、細島光、横山松太郎、高島仲一、谷中清太郎、中山勇の名前がありますw その横に中隊長、指揮班長、指揮班、本部勤務第1小隊長、第1小隊分隊長、分隊長という職務が書いてありますw もちろん「このKKのHPに書かれている事は根拠の無い出鱈目だ!」と主張されるのならばそれは自由ですよw 何も考えず脊髄反射で書き込む前にもっと「KKのHP」を良く確認する事をお勧めしますw ああ、それともKKのHPを良く確認してなお見当違いの頓珍漢な書き込みをしたのですかw やっぱり日本語が理解出来ない事を自分で証明していますねw http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/985
986: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/08/29(木) 11:52:51.84 ID:FtM0Df5z0 < 16 :名無しさん:2013/02/10(日) 12:21 ID: というか満?国怒ってたのは????だけで。 ????は極東利権があるから日本と関係?くなって?しかなく??ー気味。???も??ーしてた。 チャーチルが軍事展開力あるならはよ言ってほしかった言ってたんで。??????を?本の力で追っ払させ、その後機を見て??得したのは??。 ――― 18 :名無しさん:2013/02/10(日) 21:07 ID: 何言ってんの? 明らかに反しているでしょ。 >> 16 黙認的だったのは??など中国に権益持ってた国だけ。 それも、中小国の突き上げで、結局、日本の軍事行動を自衛にあらずとし、満※国を否定したリットン方高所の採択に賛成票を投じている。 アメ?カだけがいくら工作しようと、42対1なんて結果が出るわけがない。 > http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/986
987: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/08/29(木) 12:37:18.23 ID:iZqf2JNg0 >985に補足しておきますが、同じKKのHPに[第1中隊]も[第2中隊]も[第4中隊]も書かれていますので、あくまでも「例として[第3中隊]を出した」という事は理解をお願いしますw それも理解出来ないなら、もう「日本語での意思の疎通は出来ない相手」だと判断させていただきますがw 今更ですがw http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/987
988: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/08/29(木) 19:41:56.64 ID:11cbgh1F0 >>984 >部隊を指揮するというのは、中隊長が一人で出来るのではありません。本部指揮班は、戦場に散在する現地部隊へ命令を伝達し、上部組織から命令を受領する等、指揮班内は分業されているのだから、指揮すべき中隊長が指揮班から居ないなど基本的にあり得ません。 >中隊長が指揮班からはぐれたという具体的な事例を提示する必要があると思いますよ。 KーKのサイトによれば小宅氏は指揮班です。 KーKの主張では実質的な中隊長だった小宅氏が指揮班からはぐれて中隊にいなかった事になります。 KーK自身の主張によって「指揮すべき中隊長が指揮班から居ない事」「中隊長が指揮班からはぐれたという具体的な事例」が示されていますね。 > > >>連行時に暗がりに足を取られる、殺害時に暗闇で手元が狂う、戻る時に道を間違える、どれかひとつでもトラブルによって時間を浪費すれば次の行動が遅れるのですがw > >そうならないように、明かりを取る程度のことがなぜ出来なかったのかを説明する必要があるのでは? > > >>>981 >>何で小隊から分隊を抽出したら中隊行動ではなくなるんですかね? > >『野州兵団奮戦記』における小宅総長の証言では、当時の状況を中隊主力から小隊は「孤立した」としているから中隊行動ではありません。 > > >>小隊規模で奇襲部隊を抽出すれば第四中隊の約半数を奇襲部隊に回す事になって本隊の攻撃力が低下して奇襲の意味がなくなりますし、中隊規模なら指揮下の全部隊が奇襲参加する事になるんですが? > >だから、「乏しい兵力のなかから二個分隊をさき」とぼやいているわけです。 > > >>そもそも小宅曹長は指揮班長で第1小隊長代理ですw >>田波分隊長は第3小隊の分隊長、山形徳治は第3小隊の第2分隊長ですw >>小宅曹長が小隊規模で行動していたのなら指揮下の小宅小隊は「第1小隊のみ」になりますw >>「第1小隊のみ」の小宅小隊を指揮している小宅曹長がどうやったら第3小隊から分隊を抽出出来るのですか?wwwww > >田波分隊長の所属小隊が「第3小隊」だったことはどうやって確認したのでしょうか?根拠の提示をお願いします。 >また、山形分隊長が第3小隊だったと確認できるのは、「似家〔土偏+「具」〕」の通称「ナマコ山」高地での戦闘について手塚清中隊長が回想している部分で確認できますが、大隊長、中隊長、小隊長、分隊長と隊長クラスの戦死・負傷後退が多く確認される中で、12月12日・13日時点で山形分隊長が第3小隊所属だったことは何で確認したのでしょうか?こちらも根拠の提示が必要ですね。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/988
989: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2024/08/29(木) 19:43:20.61 ID:11cbgh1F0 >>988 コピペミスです。 すみません。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/989
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