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南京大虐殺は史実 (1002レス)
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996
(1)
: 08/30(金)13:57
ID:lg/z1clj0(2/4)
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996: [sage] 2024/08/30(金) 13:57:06.11 ID:lg/z1clj0 『城塁』 連載第19回(『丸』1990年7月号) p.212-213 兵士廠の建物の前にある陸橋で指揮を取っていたが、やがて中国軍が後退し、その中に白布を振っている兵も見えたので射撃を禁止し、彼らに対して手招きをした。すると、城壁上から私を狙って撃ってきて、五、六発が私の近くに当たった。 それでも中国兵は三三五五降伏してきたので、私のところで検問して後に送った。検問している途中、中国軍の逆襲にそなえたり、井上戦車隊長との打ち合わせ等があり、どのくらい捕虜がいたのか正確には分からない。あとで千二百の捕虜がいて、他の隊が捕まえた捕虜二、三百も合わせると千五百人になると聞いた記憶がある。 高橋文雄『野州兵団奮戦記』 (昭和58年4月10日発行) p272 擲弾筒と手榴弾で敵を制圧していたら、軽装甲車隊長の井上中尉殿が私のところに「敵の対戦車砲で動きがとれない。宇都宮さんでこれを攻撃してくれ」といってきた。豪胆な田波希平分隊長(元小山市農業協同組合長)と山形徳治分隊長(西方村)に乏しい兵力のなかから二個分隊をさき、奇襲攻撃を命じた。田波分隊は敵将校が死守する対戦車砲陣地にひそかに近づき、石川寛軽機関銃手(真岡市)の発射を合図にこれを不意急襲し、敵を撃退したばかりでなく、砲二門を分捕って意気揚々と引き揚げてきた。このため、軽装甲車隊の行動が容易になったので、精強を誇る敵兵のなかにも白旗を立て投降するものが続出した。これを見た敵将校は城壁上や後方から投降せんとする味方の兵を有無もなく射殺した。戦争とはむごいものだと思った。 『城塁』と『野州兵団奮戦記』を比較してみればわかるが『城塁』には井上戦車隊長と共闘した記載はない。 しかし小宅曹長が井上戦車隊長と共闘していないのならば何故井上戦車隊長との打ち合わせが必要だったのか? 小宅曹長が第1小隊単独で捕虜を得たのであれば、既に中国兵は投降してきているのだから井上戦車隊長と打ち合わせを行う必要は無いw 実際は『城塁』に記載されていないだけで、戦闘では井上戦車隊長と共闘した結果中国兵を投降させる事ができたと判断できるw つまり『城塁」で行われた打ち合わせとは「小宅曹長の第4中隊」と「井上戦車隊長の軽装甲車第6中隊」の得た「投降した中国兵」という戦果に対するものと判断できるw 時系列がおかしいのではなく「中国兵が投降してきたのに井上戦車隊長との共闘が発生する」という考え方がおかしいw http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1716100104/996
城塁 連載第回丸年月号 兵士廠の建物の前にある陸橋で指揮を取っていたがやがて中国軍が後退しその中に白布を振っている兵も見えたので射撃を禁止し彼らに対して手招きをしたすると城壁上から私を狙って撃ってきて五六発が私の近くに当たった それでも中国兵は三三五五降伏してきたので私のところで検問して後に送った検問している途中中国軍の逆襲にそなえたり井上戦車隊長との打ち合わせ等がありどのくらい捕虜がいたのか正確には分からないあとで千二百の捕虜がいて他の隊が捕まえた捕虜二三百も合わせると千五百人になると聞いた記憶がある 高橋文雄野州兵団奮戦記 昭和年月日発行 弾筒と手弾で敵を制圧していたら軽装甲車隊長の井上中尉殿が私のところに敵の対戦車砲で動きがとれない宇都宮さんでこれを攻撃してくれといってきた豪胆な田波希平分隊長元小山市農業協同組合長と山形徳治分隊長西方村に乏しい兵力のなかから二個分隊をさき奇襲攻撃を命じた田波分隊は敵将校が死守する対戦車砲陣地にひそかに近づき石川寛軽機関銃手真岡市の発射を合図にこれを不意急襲し敵を撃退したばかりでなく砲二門を分捕って意気揚と引き揚げてきたこのため軽装甲車隊の行動が容易になったので精強を誇る敵兵のなかにも白旗を立て投降するものが続出したこれを見た敵将校は城壁上や後方から投降せんとする味方の兵を有無もなく射殺した戦争とはむごいものだと思った 城塁と野州兵団奮戦記を比較してみればわかるが城塁には井上戦車隊長と共闘した記載はない しかし小宅曹長が井上戦車隊長と共闘していないのならば何故井上戦車隊長との打ち合わせが必要だったのか? 小宅曹長が第1小隊単独で捕虜を得たのであれば既に中国兵は投降してきているのだから井上戦車隊長と打ち合わせを行う必要は無い 実際は城塁に記載されていないだけで戦闘では井上戦車隊長と共闘した結果中国兵を投降させる事ができたと判断できる つまり城塁で行われた打ち合わせとは小宅曹長の第4中隊と井上戦車隊長の軽装甲車第6中隊の得た投降した中国兵という戦果に対するものと判断できる 時系列がおかしいのではなく中国兵が投降してきたのに井上戦車隊長との共闘が発生するという考え方がおかしい
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