[過去ログ] 南京大虐殺は史実 (1002レス)
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961(1): 08/27(火)12:11 ID:l+RLrkZu0(2/2) AAS
>>911
>しかも小宅曹長が指揮していたのは平沢中隊長代理が指揮する第2小隊を除く第一小隊、第三小隊、指揮班の計六、七十人なのだから、平沢中隊長代理の第2小隊は最初から大隊本部にいて小宅曹長とは別行動を取っていたと考えられるw
12月7日から第4中隊は手塚中尉から平沢少尉へ中隊長を引き継いでいます。中隊長がなぜ自身の部隊を指揮せず、大隊本部にいるのか作戦行動として理解できませんし、戦闘詳報を見てもその様な配置を示す記述はありません。
そもそも小宅証言に関しては、同時期の証言として『城塁』と『野州兵団奮戦記』とで内容が決定的に違う点をK-K氏は指摘しています。
高橋文雄『野州兵団奮戦記』p.268
そのとき、第四中隊は第三中隊の右翼に進出せよとの大隊命令を受けた。攻撃前進を始めたとたん、中隊は乱戦にまき込まれ、うちの小隊は中隊主力から孤立した。
973(1): 08/28(水)15:24 ID:Vd0zW+6H0(2/6) AAS
>>961
KKの指摘は小宅曹長が孤立した後、中隊と合流出来なかった事が前提でなければ成立せず的外れw
実際には小宅曹長が孤立したのは一時的なものでその後中隊主力と合流して指揮を取っているw
KKの主張では小宅曹長が孤立したのは第三中隊の右翼に進出せよとの大隊命令によるもので12時30分前後w
その後小宅曹長は中隊主力と合流し、15時30分前後に中国兵が投降してくるまで指揮を取っているw
兵士廠の建物の前にある陸橋で指揮を取っていたが、やがて中国軍が後退し、その中に白布を振っている兵も見えたので射撃を禁止し、彼らに対して手招きをした。すると、城壁上から私を狙って撃ってきて、五、六発が私の近くに当たった。
それでも中国兵は三三五五降伏してきたので、私のところで検問して後に送った。検問している途中、中国軍の逆襲にそなえたり、井上戦車隊長との打ち合わせ等があり、どのくらい捕虜がいたのか正確には分からない。あとで千二百の捕虜がいて、他の隊が捕まえた捕虜二、三百も合わせると千五百人になると聞いた記憶がある。
丸MARU 1990年7月号 通算528号 連載第19回
中隊主力とはぐれていたら何で小隊でしかない小宅曹長が中国兵を検問したり、他部隊の井上戦車隊長と打ち合わせをしたりするんですかねえw
KKは自説に固執して小宅曹長は中隊主力から孤立したままだった事にしたのだろうなあw
省3
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