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707: ブログ転載 01/29(水)22:15 ID:Gv5xmQ3K0(3/4) AA×

708: ブログ転載 01/29(水)22:16 ID:Gv5xmQ3K0(4/4) AA×

709: ブログ転載 01/30(木)08:04 ID:axGfd1+Q0(1) AAS
p1 付言
長慶天皇を忍び奉って

本問題に関して特に看過いたしがたい事は、長慶天皇の御事であります。長慶天皇は大正十五年十月二十日の御詔書をもって御登譜の御宣示があったけれども、御陵は未だに決定されず、ついに十五年の歳月を過ぎつつあるのであります。
万世一系の皇統の連綿をもって誇りとする我が国において、歴代の天皇の中に長慶天皇の御陵が未だにない事は、金甌無欠【※完全】な国体の上に一大欠陥というべきもので、恐惶措くところを知らない次第でございます。
該古文書の傍証第二巻は南朝帝の吉野御落後の、御潜幸、御遭難、崩御、御遺言、御陵、御祭礼などの事を足利の暴政に葬られた結果、南朝忠臣が止みがたい念願を、子々孫々に伝えたもので、後醍醐天皇は、常陸の国石岡足洗で御遭難、興国二年九月十六日、御壽五十四歳で崩御なしなさり、実に吉野御落後一年と一ヶ月の御事でその間の御難行は、何度か御箱の中に入りなさり、ある時は御菰に包み申し上げて難を逃れなさった御有り様は御傷(いた)くもおそれ多い極みであります。
長慶天皇におかせられては、南朝の末期の御降誕でいらっしゃいますので御一生を御潜幸の中でお過ごしなさった御模様で、御身代わりを立てられあるいは崩御を装われた事は数度であるので御足蹟もとりどりで御陵の選定にも困難をきたしている事の様に存じますので左に古文書の一部を記載して御参考に共することにいたしましょう。

原文写しのまま【※現代語訳済】
(1)『謹恐伎南朝寛成九十八代帝御降誕興国四年二月七日、文中四年九月六日寛成帝法名覚理同年月日に帝敵によって御身を隠し、御殿を出立し落ちて行き、元中八年十月二十九日夜零時に寛成帝の供二人源徳、西玄を連れて越中婦見郡神明皇祖皇太神宮神主職武内宿禰三十三代目竹内紀氏、惟真宅へ帝は御臨幸、元中九年三月七日まで寛成帝を御隠し申し上げ一面の敵によって同年月日朝六時に帝は御出立、御供惟真、信治、宗義は妻子と別れの盃をし、帝の前後十五里の間御方の一族百五十名連れて敵の様子を探り河内国交野郡私市獅々窟山寺同年八月十三日、御□僧始め敵によって元中九年十月十二日大難に合い、同月十五日夜六時に帝御壽四十九歳御崩、帝の御供惟真、信治は自害する。宗義は帝始め父惟真、信治を火葬、同月二十一日夜丑の刻に大秘密で窟山寺北東近くに葬墓天皇王の墓標榊松植えて帝墓近くに惟真、信治葬る。河内交野郡私市師《??》窟寺百重原葬所重宮北東と言う。長慶寛成天皇墓標は松榊植えて元中九年閏十月十五日御壽四十九歳御崩。天皇御遺言葬る所を百重原と名付ける。
御供自害する。正五位紀氏竹内越中守惟真の墓元中九年同日月壽七十三歳艮方【※北東】天皇の塚を百重原と名付ける。乾方【※南西】惟真、信治の墓を敵を欺くために王の墓と言う。御供自害する。竹内信治墓同日壽六十一歳『後亀山?X(ノリ)成帝分骨堂と言う。本当は寛成天皇実陵』
以上は竹内宿禰三十四代目紀氏竹内宗義「後醍醐天皇御孫」の遺言書。
省3
710: 01/30(木)09:48 ID:Jwb3++5E0(1/2) AAS
後醍醐天皇は茨城県の足洗で困難に遭い崩御、交野市の獅子窟寺で長慶天皇崩御、竹内がお供して自害。
獅子窟寺近辺は長慶天皇の関係者という家が多いそう(井上姓)
711: ブログ転載 01/30(木)16:21 ID:2FghEQdY0(1/3) AAS
p3
(2)寛成天皇に付き添い河内国交野郡私市獅々窟山寺、元中九年十月十五日夜、ああ残念残念寛成天皇は、畠山右ヱ門尉基国に関係する寺僧持元坊都に殺され天皇御壽四十九歳御崩。一間【※約1.8m】下り、お供惟真、信治、自害。大将宗義殿は天皇火葬。骨を天皇の御遺言「我が骨を葬る所を百重原と名付けるべし」と御遺言おありになり、骨を葬る塚の上に松榊を植える。御供惟真、信治を天皇塚近くに葬る。御方百五十名の内、五十三名天皇の御代討ち死にする。九十七名に宗義殿の命令で敵を欺くために百重原御陵は御亀山天皇分骨堂という近くの村に言っておくのがよいと命じて、その夜寺の悪僧持元はじめことごとく殺して、山々峰々を通り越中国の我が家に帰京する。一族必ず必ず方々の子孫に棟梁皇祖皇太神宮、神功皇后、また尊治天皇御陵、寛成天皇御陵、再興遺言また遺言書を必ず伝えるべし』
右は福島県岩城郡勿来(なこそ)町安島久吉氏所蔵「安島藤左ヱ門の遺言書」の一部でありますが、古文書中の河内国交野郡私市獅々窟山寺は現在の大阪府北河内郡盤船村私市獅々窟山寺は消失廃寺となっておりますが、境内には後亀山天皇の御陵があって直径約三尺、高さ四尺くらいの円形石造の王塚が二個並んであります。
後亀山天皇の御陵は京都市右東区嵯峨鳥居本小阪町にあるので、獅々窟山寺の御陵は古文書に拝する長慶天皇の御陵に相違なく、円形の王塚二個は、御供自害を行った惟真、信治兄弟の墓で、その後ろの枯れ木の残根こそお印として植えた松榊ではないかと拝察いたす次第でございます。

長慶天皇御製

鳴ゆたなり諸国巡り
父を追って合して帰る
河内の口ち寺
ゆたなり    花押

惟真へ
省6
712: ブログ転載 01/30(木)16:22 ID:2FghEQdY0(2/3) AAS
△△△・・宗教界動向と統一平定の必要

挙国一致新体制確立の途上において、最も憂慮すべき事は迷信的予言を弄して国民の思惑を撹乱しつつある宗教界の動向であります。
(一)天理教は教祖中山みき女の御筆先によって世の立て替え立て直しを空想しておそれ多くも不敬の言動をなしつつある。
(二)大本教は、かつて不敬の行動があって、解散を命じられ、ついに本部を失ったといえども、御神示的中の時であるとして奇想天外な神政の復興を夢想して、この準備に余念なき者さえあるように見えるのであります。
(三)キリスト教は黙示録によって審判の日近きにあり、キリストの再臨によってユダヤ王国の実現云々を説いて、反戦、反国体的思想を信者に植えつけ、あまつさえ売国奴的諜報行為を行った事は周知の事実であります。
このような宗教界の迷信的動向は、根拠なき予言の盲信に災いされ、挙国一致聖業達成の途上における内部的思想の撹乱は思想国防上由々しき問題であります。
(四)さらに問題となりつつある事は最近における国体研究者の動向でありまして、いずれも神代の消息を極めようとして献身的労力を払いつつあったけれども、甲論乙駁して当を得ず、かえって複雑迷宮に入るだろう恐れさえある事は誠に惜しむべき事態であります。
考えるとこれらの人々は、より清く正しい神国の本質を極めようとし、あるいは神秘的、奇蹟的神の威力を要求する信仰的熱動から生じる動向でありますので、宗教的、思想的、統一平定の対策を考究されることこそ緊急の問題かと考えるのであります。
幸いにして本問題はこれら学徒に歴史的実証を与え宗教界の予言的妄動を統一平定するのに最も重要な資料と存じますので神皇御記録ならびに古文書中に拝する地理、古跡、御遺物の品々などを神国日本の国体的立場から比較対照して御研究あるだろう事こそ過渡期における神国日本の使命ではないかと存じ、水戸裁判所に提出いたしました書類を複写して御参考に供する次第、御研究の一助ともなれば幸甚の至りと存じ上げます。

昭和十五年十月十五日
省1
713: ブログ転載 01/30(木)21:31 ID:2FghEQdY0(3/3) AAS
>>1『自由と正義』7(1),日本弁護士連合会,1956-01. 外部リンク:dl.ndl.go.jp

p28 三種の神器解説 田多井四郎治

自由と正義第十一号において石橋忠男氏は真の三種の神器は度量衡であると断言しその論拠として一、国権の所在が国家にあると言うのも国民全体にあると言うのも要するに国家とは一定の国民が一定の国土において一定の国権の下に結合する団体であるという観念に基づきこれを観察し、度量衡の根本理念が地球の両極及び赤道と地球の引力に基づく関係から成立し、度器、量器、衡器に分類されることが国権の作用を立法、司法、行政に分別されることに照応し、度器は立法の作用、量器は行政の作用、衡器は司法の作用を表徴することに鑑み、度量衡の三器を真の三種の神器と称するのだと説明されている。
しかし天照皇大神が瓊々杵尊に八坂瓊の勾玉、八咫鏡、叢雲剣を授けられた三種の神器は大御神が日本統治中御首に巻かれた頸飾、胸にかけられた神鏡、腰に吊るされた神剣であり、この三器を皇位継承の象徴として後世代々の天皇の地位を継がせられた尊が所持すべき神器と定め、皇位継承を万世一系にさせる御叡慮の結果であると解釈できる。よって漢字渡来後、この神器に三種の神器という名称を付したために、後世の文献中に三種の神器という名称を記載したものが少ないとしても、この事実に基づいて八坂瓊の勾玉、八咫鏡、叢雲の剣が皇位継承の象徴として瓊々杵尊に授けられたものだとの歴史を否定できないことと解釈する。現に度量衡についてはウエツブミと呼ばれる象形神代文字で書かれた文献に物質の長さ、重さ、量を計るため神代時代に天津彦根之尊、天之眼一つの尊、手置穂火之尊、彦狭後之尊の四人により考案され発明されたとのことで、この事実が具体的に記されているから度量衡が三種の神器の本体である神霊や霊魂の活動に全然関係ないことを明らかに認識できる。
多数学者は原始日本語、神代文字、神代史すら研究しないで日本の国体、日本民族性につき予断を下しているが、このような有り様では日本は将来亡国に一歩一歩近づくものと理解する。換言すると日本の神代文化は逆に世界文化の淵源をなしたものであり、その中心をなしたものは神霊科学とも名付けるべき文化であった。しかし蘇我以後の日本の権力政治家は日本のこの文化を破壊した。そうしてこの事実は蘇我氏政権獲得後の権力政治家が、その獲得した政権をそのまま維持する目的の下に、日本の建国は神武天皇御即位の時でありそれ以前は文化はなかった、少なくとも文化が幼稚であったと極言し、これを国民に強引に押しつけ、神代文字で書かれた歴史書を焼き、文化物を破壊し、神社を破壊して寺を建て、最後に国分寺を建設したことは、古事記、日本書紀に記載されてある事実だけでも明白な事実である。
それだけではなく、日本には神代から太宣詞言と称され、ヒフミヨとのような順序で四十七音からなる神代文字をもって綴られた道徳五原則があったことは平田篤胤が編述した神学日文伝により明白に認められる。しかし弘法大師はこのヒフミ四十七音の音の配列を代えて仏に捧げる御詠歌に作りかえて、かつ神代文字を抹殺してこれに代えるのに漢字の草書をもってした。それが今日のいろは四十七音である。換言すると、弘法大師は仏教宣伝の目的の下に神霊科学から生まれた日本民族独特の準則である道徳五原則を抹殺し、逆にその音譜の順序配列を代え、かつ神代文字に代えるのに漢字の草書をもってし、もって日本民族が神道を捨てて仏教に帰依するよう工作したものと理解する。
元来ヒラカナとは平仮名の意味でなく、霊族神学(ヒラカナ)との意味であり、片仮名は漢字の片や作りを取って創作されたものではなく、物の形を象った神字であり、現にこの形の文字で書かれた神代史が、大分県立図書館に保存されており、大分県竹田町祖母ヶ嶽神社に写本があり、この文字を刻み入れた石が
宮崎県天岩戸神社の拝殿の下から出土し、また、茨城県多賀郡磯原町竹内巨麿家には、この系統の神字で書かれた文献、刻入された石器、鉄器など相当多数保蔵されているので、日本の神霊科学を否定している従来の学説は措信できない。思うに、石橋忠男氏の三種の神器否定説もまた、このような従来の学説に誤られたものではあるまいか。果たしてその通りであるとするならば私は石橋氏に対し、旦白紙に還り、日本の神代文化を原始日本語、その記号化した神代文字、この時代における日本文化の内容を考古学上から、さらに日本国土の生成発展の経過を地質学上から研究し、しかる後、三種の神器が皇位継承の象徴として天照皇大神から瓊々杵尊に授けられたものであるか、ないかにつき断定を下されるだろうことを希望する。よって左に三種の神器の意義につき私の研究した内容を参考のため記して置く。
714: ブログ転載 01/30(木)22:14 ID:Jwb3++5E0(2/2) AAS
そもそも八坂瓊の勾玉、八咫鏡、叢雲の剣という字句は漢字であるから、漢字渡来後従前の日本語に漢字を充当したものであるから、逆に三種の神器を漢字で表現した字句が正しいと保証できるか否かが問題である。よって私はまず玉(タマ)、鏡(カガミ)、剣(ツルギ)という言葉の意味を明らかにする。すなわちタマという言葉に意味が通じる漢字を充当すると霊(ヒまたはタマ)であり、魂であり玉という文字はこの霊や魂を物質である玉で表現象徴したものであることに留意すべきである。またカカミという言葉に意味が通じる漢字を充当すると耀体(カガミ)であり、現在はこの言葉に鏡という文字を用いているが、これは太陽を表現象徴したものであることに留意すべきである。現に岩手県姫神山の頂上に八咫鏡を象った石を墓標とした墳墓が存在している事実に基づくとき、この事実だけを根拠としてでも度量衡が真の三種の神器であるとの説が誤りであることは明瞭であろうと思う。
次にツルキという言葉に意味の通じる漢字を充当すると吊気(ツルギ)であり、日本人の意気(正義感)を腰に吊るしたことを表現象徴し、現在はこの言葉に剣という漢字を充当しているに過ぎないことに留意すべきである。

そうして宇宙間には名称のいかんを問わず、万物を生成、化育、死滅させ、もしくは結成、解体させつつある力(宇宙創造霊、自然力、絶対力、神霊(ミタマ)、ゴッド、エホバ、アルラー、天、仏と各民族その表現の言葉を異にしている)の存在する事はこれまた否定できない。日本民族はこの力に神霊(ミタマ)という名称を付し、その霊が分かれたものが生命として人間の体内に宿っているとの信念の下にこれをワケミタマと称し、現在日本の神社で御分霊勧請という式次を行っているが、これが魂であることに留意すべきである。
それだけではなく、ワケミタマとは神霊から分かれた霊との意味であるが、日本の古い神社の神符からは神代草体文字で書かれたものが発見され、このワケミタマを原始的に表現象徴した石が、秋田県鹿角郡大湯町の高原地帯に構築されており、地質学上十万年前噴出したと説明されている十和田湖の噴火灰により埋没された巨石文化跡の下にある墳墓中の壺に納められてあり、それが今日各神社に奉安してある神鏡に代えられたことを慎重に考慮すべきではあるまいか。また、叢雲の剣については、神代象形文字で記されたウエツブミと称する文献の第五の綴りの中に、叢雲剣は天照大御神が天津真浦之尊に命じ、鋼鉄で作らせた剣であることが記されている。
以上解説したように三種の神器と呼ばれた八坂瓊の勾玉、八咫鏡、叢雲の剣はどれも神霊またはその分霊、またはその活動を象徴したものであって、人間の考案した度量衡を象徴したものではないと確信する。
よって私は皇位継承の神器有無ならびにその内容につき私の解説に納得できない点がありましたら改めてその方々から啓蒙指導があるだろうことを求める。石橋忠男氏の三種の神器に付いての解説を読みこの機会に三種の神器の有無内容に付き私見を述べたのである。(甲府弁護士会所属)

《終》
715: ブログ転載 01/31(金)07:14 ID:ai7ZQNiU0(1/2) AAS
>>305
>>304
『猶太人問題の全貌』山川直夫 著

一 驚くべき猶太人の勢力

世の中には牽強付会なことを語って、世人を惑わすものがいる。当今の言葉でいうとデマである。今、ここに述べようとするユダヤ問題も、今まで関心を持たない人々が読めば、一種のデマのように思われるかもしれない。
しかしこのユダヤ人問題は、牽強付会の話でもなければ、デマでもない欧米では知られすぎる程に知られた事である。また、日本でも、だいぶんユダヤ人問題は注意するようになり、特に最近、ドイツの駐仏大使館書記官フォン・ラート氏が、一ユダヤ青年に暗殺されてから、新聞や一部の雑誌のにも書かれ、その上に二、三の新刊本も出版されて、世人の注意を新たにしている。
ユダヤ人問題は欧米においてのみその現実にぶつかるものとし、例えば日本は国内ユダヤ人も約二千名くらいで問題にならないゆえに、我関せずとして澄ましていた。だがこれは最早時勢を認識しないものとなった。

それでごく通俗的ではあるが、一通りユダヤ人問題を語って読者の参考に供したい。
さて日支事変が起こると、日本では長年親交があった英国を、援蒋の本尊として、いたく攻撃しているが、その英国英国というのは、いったい英国の政府なのか、国民なのか、はたまた、一部の財閥なのか、この点を明白にしていない。ただ抗英、排英を語るのみである。それなのに一度目を紙背に徹して観察するならば、英国の背後に、在支那のユダヤ財閥が、自己の利権擁護のために、蒋介石を援助し抗日戦をやらせているということが解るのである。換言すると、日支事変が在支那ユダヤ財閥と日本との戦いとも言える。
ちょっと極端な言い方であるが、「日清戦争も、日露戦争も、世界大戦も、大戦後のロシア革命も、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、その他の帝制の覆滅(ふくめつ)も、国際連盟も支那事変も、皆ユダヤ人の所業である」と言う人さえいる。
省8
716: 01/31(金)07:19 ID:ai7ZQNiU0(2/2) AAS
※援蒋=蒋介石を援助すること

参考・援蒋ルート

外部リンク:ja.m.wikipedia.org

※使嗾=人に指図して、悪事などを行うように仕向けること。指図してそそのかすこと。
717: ブログ転載 01/31(金)07:25 ID:8GvpKZG80(1/4) AAS
二、最近のユダヤ人問題

最近のユダヤ人問題として取り扱われるのは、去年の十一月七日に起こったパリのドイツ大使館書記官フォン・ラート氏狙撃事件にからむドイツの反ユダヤ熱の再熱と、ドイツ・アメリカ両国国交の悪化と、同じく十一月十日のイタリア政府のユダヤ人排斥新法令の発布である。
十一月七日のフォン・ラート書記官暗殺事件というのは、既に読者が知っている通りであるが、この日の午前九時半頃、パリのドイツ大使館を訪れた一人の青年がいた。その青年はドイツ大使に伝えたい重要書類があるから、大使館の首脳部の人に会いたいとの事なので、係の者がこの青年をラート書記官の部屋へ案内すると、ドアを閉めるか、閉めない内に、五発の銃声と共に、ラート書記官が狙撃され、すぐに病院に運んだが、翌々日の九日に死亡した。そして犯人はヘルシュル・ギリンスバーンと称する、わずか十七歳のポーランド、ユダヤ人の少年で、悲惨なポーランド、ユダヤ人の境遇に憤慨して、報復的にこの暴挙をあえてしたものである。
ドイツはこの書記官の死を悼み、国葬の礼をもって葬り、ヒトラー総統以下その葬儀に列した。その上に、ドイツ国内の反ユダヤ運動に拍車をかけ、八日以来ドイツ各地に反ユダヤ人デモが行われ、ユダヤ教会の襲撃、放火、を見た、ために、ドイツ国内のユダヤ人の財産総計百億ライヒスマルクと推定される中、約十億ライヒスマルクの損害を被ったといわれ、その上に、次のような、ユダヤ人弾圧の新法令が発布された。
一、ラート書記官暗殺の罰金として、ドイツ国内のユダヤ人全体に対して十億ライヒスマルク(邦貨約十四億九千万円)課す。
二、最近ドイツ各地で起こった反ユダヤ騒乱は、ラート書記官暗殺に対する正当な憤激の表現であるから、損害を被ったユダヤ人教会、商店などは早急にユダヤ人自身の手で修理されるべきものとする。
三、一九三九年一月以降ユダヤ人が小売り商店通信販売業、商業代理店及び手工業の経営に従事することを禁止する。

ということになって、現在すでに医師、弁護士、銀行家などの職業につくことを禁じられているユダヤ人に致命的打撃となった。
718: ブログ転載 01/31(金)07:26 ID:8GvpKZG80(2/4) AAS
このラート書記官問題は長引いて、独仏、独英の国交にも多少の波紋を及ぼしたが、幸いに大したこともなかった。イタリアはドイツと共に、反ユダヤ国であるから、十月に開かれたファシスト大評議会で、ユダヤ人排斥が議論され、去年十二月十六日のローマ電報は、イタリーにおけるユダヤ人の財産処分法は次のように決定されたと報じた。

一、ユダヤ人系イタリー人は総じてその所有不動産ならびに関係事業を放棄しなければならない。
二、一定限度以上の不動産はこれを新設処分機関に譲渡する義務を有する
他三ヶ条

しかし、以上の英仏伊の諸国の他に、このラート問題で、国交上までも影響を与えたのは独米両国の関係である。
米国における四百四十万のユダヤ人が、政界に、財界に、映画界に絶大な勢力を持っているのだから、ドイツのユダヤ人圧迫を黙視するわけはない。果然、十一月十四日に、ハル国務長官は、駐ドイツ、ウィルソン大使に対して帰還命令を発し、事実上の大使召喚を行い、翌十五日には、ルーズベルト大統領は、自ら声明書を発表して、ドイツ政府の措置に反対の意を表明した。
この米国の態度に接したドイツ政府は、対抗的態度を取り、十一月二十二日、駐米大使ディックホーフに帰還命令を発し、また、一九三九年のニューヨーク博覧会への出品を拒絶して、断固たる決意を示した。こんな状態であったのに、十二月十八日米国務長官が、クリーブラントで反ドイツ演説を行ったとして、両国の国交がさらに悪化している。
日本と、ユダヤ人との関係はどうかといえばこれは表面的にあらわれる何物もない。かえって一昨年十二月二十六日から二十八日の間にハルビンで開かれた極東ユダヤ人代表会議では、日満両国のユダヤ人に対する差別待遇がないのを感謝している。また、日本の代表者である樋口将軍も、これらの会合に出席して、
「我々はちっとも人種的偏見を有するものではない。ユダヤ人は我らの友であって、共に国際間の平和と親善のために協力しようとするものである。満洲国元から忠誠なユダヤ人の生命財産を保護するものである。」
と祝辞を述べたと言われている。だから八紘一宇の大精神の下には、まだ取り立てるほどの問題とはならない。
省1
719: ブログ転載 01/31(金)07:27 ID:8GvpKZG80(3/4) AAS
三、ユダヤ人問題とは何か?

日本民族及び日本人を研究するのには、日本の歴史、伝統、習慣をなおざりにできないのと同じように、この世界化したユダヤ問題を明らかにするには、その民族の歴史、伝統習慣を極め、そうしてから、本質を語らなければならない。次にその大体を述べることにする。
世界に住む民族は、それぞれ一国家を形成してその存在を持続しているのであるが、このユダヤ民族は早く国が滅び、移動、分散、流転して、奇しき運命をたどる民族である。
歴史的に見ると、ユダヤ民族は、今から四千年も前に、メソポタミアの地方にエホバの神を奉じつつ遊牧していた民族である。そしてその族長アブラハムに率いられユーフラット河を渡り、カナンの地である今のパレスチナに定住し、さらに西暦紀元前一五五〇年から一三二〇年まで、約二百年の間エジプトに居住したが、一三二〇年(B.C)族長モーゼに率いられてエジプトを脱出して、カナンの地に復帰した。
それなのにユダヤ民族はその後十二支族に分かれて互いに争い、民族の統制が保たれないので、時の高僧サムエルは、ソールという人をたてて国王とし、ここに初めてユダヤ王国なるものを建設した。
このユダヤ王国では、ダビデ王、(紀元前一〇五五-一〇一五)ソロモン王(紀元前一〇一五-九七五)などの英邁な君主が出て、国勢が四隣を圧したことがある。ダビデ王は三十歳で王位についたが、智あり勇あり、国都をエルサレムにさだめ、在位四十年といわれる。ソロモン王はダビデ王の子で、賢明で、父王の遺業を継ぎ、エホバの神殿王宮を造り、外国貿易によって、巨大な財貨を貯え、すこぶる豪華きわまる生活ぶりであった。
その王宮什器は金に糸目をくれず、金銀宝石を惜しげもなく使用し、さらに皇后の他に外国婦人を寵愛し、王宮には公女と称する婦人七百人、妃と称する婦人三百人は、互いに絢爛の美を競ったといわれる。いわゆる「ソロモンの栄華」とはこのことである。
だが、こんな栄華は永く続くわけなく、平家の栄華、フランス国ブルボン王朝ルイ十四世の栄華、秦の始皇帝の阿房宮の後と、類例を挙げるまでもない。このユダヤ国も、ソロモンの死後、北はイスラエル、南はユダヤ国と二つに分かれ、宗教上の争いなどから次第に国力が衰微した。この時、アッシリア国が起こり、ユダヤ国を征服し、次いで、エジプト、バビロニア、シリアなどに征服され、紀元前六三年、我が国の崇神天皇三十五年頃、ローマの将師ポンペーに攻略され、その後数百年の長い間完全にローマ帝国の治下に入った。
ここで話は少し岐路に入るが、いったいこのユダヤ民族は、建国の物語からして、苦難流離の悩みを重ねている。すなわちユダヤ人の大祖先のアブラハムの子にイザークがいて、イザークの子にヤコブがいる。ヤコブの子女は甚だ多く、特に末子ヨセフを鐘愛した。それが諸兄のにくむところとなって、ヨセフは井戸の中に投げられ、旅人に救われて奴隷に売られてエジプトに至り、賢明なため大宰相となった。
このヨセフは中興の祖である。また、紀元前五八六年にバビロニア軍に首都エルサレムが攻略された時に哀れにも、ユダヤの貴族は捕らえられて四十八年間バビロン府で苦役した。この二つの物語が、ユダヤ人の現在までの境遇を雄弁に語るもので、流浪民族の悲哀を、そぞろ涙なしには読まれないものがある。そしてこの悲哀が多民族への復讐と化するのである。
省3
720: ブログ転載 01/31(金)07:28 ID:8GvpKZG80(4/4) AAS
すなわち、彼らは、いよいよローマの治下で四分五列し、三々五々の形となって世界を流浪することとなるとユダヤの有力者は考えた。
「ユダヤ人はもはや再びパレスチナに帰り、ユダヤ国を建設することは到底おぼつかないことである。しかしこのままでいては、ユダヤ民族は次第に他国に流れ流れて、ついに消滅してしまうであろう。このような理由で、我らは、ユダヤ民族の永遠の存在のために、例え国家を失っても、精神的な国家を創設しておくことが必要である。」
ということに着眼した。そしてユダヤの賢者たちが集まり、ユダヤ精神王国を建設した。
そうであるならば、この精神王国とは何かというと、これ、すなわちユダヤの大聖典タルムードそのものである。ユダヤ人はこのタルムートによって、いかなる苦難に逢うとしても、自分はユダヤ民族であるという、堅固な意識と、団結とを保ち、他の民族の間にいても、常にその民族的純潔を維持しつつ、今日に至ったのである。
また、一方では、外国に追われ、再びローマに抵抗して、パレスチナを占領することが出来ないと考えながらも、自分の故郷に対する愛着の念はこれを捨てることはできない。そこで彼らは、至る所のユダヤ部落が、互いに連携し、一般同族に自由独立の思想と革命思想とを熱心に吹聴し、時にはローマに反乱の戦いをうかがい、時にはパレスチナに攻め入ったこともある。
こうした事態の下にいるユダヤ人は、二千年の昔、伊達や、見栄でなしに、自己の民族的生存のために、革命思想をいだくに至った。
現在、世界の恐怖となっている、赤色革命にしても、その根元は、皆ユダヤ人である。一々挙げることもあるまいが、ロシア革命にレーニン、トロツキー、ヨッフェ、ジュノウィーエフなど無数のユダヤ人、ドイツ帝制の革命はリーブクネヒト、ハンガリー、スペイン革命におけるペラ・クン、アイルランド革命におけるド・ウアレラ及びロバート、ブリスコ、青年トルコ党の革命におけるジャウイット・パシャ、学者、思想家としては、ハイネ、カールマルクス、ラサールなどのユダヤ革命家を見るのである。
今や、一方には資本と金融を握り、一方には共産主義という両様相容れない二刀を用いて、ある時は赤化に、ある時は世界の混乱に、様々なはかりごとをめぐらせているのがユダヤ人なのである。
この恐るべき革命思想を有するユダヤ人が最も華々しく活躍した舞台は、どこであるかといえばそれはロシア革命であった。そして今もなお世界赤化の戦を続けようとしているのである。ゆえに次に少しロシア革命とユダヤ人との因果関係を語る。
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(1): ブログ転載 01/31(金)07:44 ID:zP7QaAWB0(1) AAS
帝政時代に遡らなければ、ロシア国革命は語られないが、帝制ロシアは今の波乱を包含していたので、そのユダヤ人は六百万人以上で、当時世界のユダヤ人口は、約千三百五十五万人といわれたから、帝制ロシアは、世界ユダヤ人口の半数近くを保持していた。したがって、ロシアには、昔から、ユダヤ人に関する様々な問題を惹起し、また、様々な有名な人物も輩出した。これと同時に、ユダヤ人を虐待したことも有名な事実である。ロシア語の「ポグロム」というのは「ユダヤ人狩り」というので、ロシアの官憲が、ユダヤ人をゲット(ユダヤ人街)から追放することがたびたび行われた。
それならば何故に「ポグロム」が行われたかというと、一つの理由は、ロシアはキリスト教の中でも最も堅苦しいギリシャ正教国であった。したがって厳格にユダヤ教を奉じるユダヤ人との相互反感が最も激しい。
また、民族的に見て、スラブ人とユダヤ人とは氷炭相容れない。その上にユダヤ人は、他種族と相容れない持ち前の狡猾、排他的利己心が、他種族から忌み嫌われる原因の一つである。
だから、ロシア帝イワン四世が一五六三年にポロツクを攻略した時、同地のユダヤ人をいかに取り扱うべきかの問いに対して、極度にユダヤ人を嫌悪した皇帝は、「三分の一は追放し、三分の一は改宗し、三分の一は水に投じよ」と宣言したことは有名な話である。かのロシアの英邁なピョートル大帝さえユダヤ人には好感を持てなかった。
こうして歳月が進むと共に、ユダヤ人の圧迫が行われ、ニコラス一世時代(一八二五年頃)に改宗を強制し、一八五五年アレキサンダー二世の時代に至り、大いに緩和されたが、アレキサンダー三世及びその子ニコラス二世時代に入って、またまた峻烈になった。
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(1): ブログ転載 01/31(金)07:46 ID:p121PjJa0(1/9) AAS
こんな国情であったから、ユダヤ人はその虐待に耐えることができず、自由の天地を米国に求め、移住した者は、西暦一八八二年から一九〇六年に至る二十五年間に、二百万人を突破した。この米国に移住したユダヤ人が、帝制ロシアに復讐として、革命を行うに至ったのである。まず、日露の戦いには、日本に金融その他の援助をして、抗ロシアをたすけた。当時は、米国の金融界は、完全にユダヤの独占である。また、ロシア内部からは、革命の直接行動を企てた。有名な話であるが、明石中佐(後の大将)が日露戦役中、スウェーデンに隠れて、ロシアの国内革命、混乱を使嗾したが、ユダヤ人との連絡があった。また、ユダヤ人が米国にいて、いかに反ロシア的態
こう形勢が変化すると、ユダヤ人の革命運動はますます火の手を上げ、レーニンはドイツから四千万金マルクの軍資金を携えてロシアに飛び込み、続いてニューヨーク下町で、腕をおさえて待っていた所のユダヤ革命家は、陸続としてロシア革命の舞台に登場し、一週間に八百人づつも入露したといわれた。またこれと共に、軍資金として各方面のユダヤ人から寄贈された。例のユダヤ人で米国の富豪ヤコフ、シップが公開した所でも、彼がロシア革命のテロリストに提供したところの軍資金は千二百万ドルであるという。もってその全貌をうかがうことが出来る。
その後ロシア国の大革命が、皇室、貴族、富豪その他の旧帝制時代の支配者を倒して惨虐の限りを尽くしたことは、読者もすでに知ることであろうし、また、筆するにさえ忍びないのである。ある日本人が革命直後、この惨虐について、
「いかに共産主義反対者であっても、君たちのやり方はあまりにひどいではないか。」
と詰問したら、彼答えて曰く、
「我々ユダヤ民族が数百年来、ロシアの貴族らに虐待されたことを考えるならば、我々の復讐は実に微々たるものである。」
この一事が、いかに、ロシア人とユダヤ人とが反目していたかが解るのである。そして革命政府の首脳者は、大部分ユダヤ人である。レーニン、トロツキー、ヨッフェ、カーメネフ、リトウィーノフなど皆どれもこれもしかりである。
ロシア革命の他に、ハンガリー、英国アイルランド、帝制ドイツの覆滅、一つとしてユダヤ人が活動していない所はない。最近、ドイツナチス運動が勃興するや、ユダヤ人の手からドイツを取り返すためにヒットラーのユダヤ人排斥となったもので、それがイタリアに及ぼし、現に問題となりつつあるのは前に記述した通りである。
723: ブログ転載 01/31(金)07:50 ID:p121PjJa0(2/9) AAS
四、フリーメーソンとユダヤ人

ユダヤ人の革命運動と関連して、見逃せないのは、フリーメーソン、一名をマッソンの秘密結社である。世間ではフリーメーソンの陰謀すなわちユダヤ人の陰謀と見なす者もいるくらいである。
フリーメーソンの存在は、もう公然の秘密で、欧米では誰もかも十分に承知している。日本では直接の関係がないせいか、よく知られていない。だが、結社員は各国にわたり、有力者を網羅し、数万ないし数百万人に及んでいる。
フリーメーソンの起源は非常に古く、判然したことは明らかでない。昔ソロモン殿堂の建築技師として有名なヒラムが創設者であるが、また、ローマ時代の建築組合がその前身だとか、あるいは十四世紀頃にあった聖堂騎士の組合がその始まりであるとも言っているが、判然たる証拠はない。
しかしウィヒテル博士の研究によると、英国における昔の石工などの職工組合から発達したものであるというのが、最も確かなようである。昔欧州各国の大建築は、王候の大殿堂を初めとして、この職工組合すなわちフリーメーソンの手にかけたものが少なくなかった。したがってこの組合は社会的に非常に勢力を有し、各国の王宮から特別な待遇を受け、組合員には一種の伝統があった。
724: ブログ転載 01/31(金)10:06 ID:p121PjJa0(3/9) AAS
その後十八世紀になって、この職工組合であるフリーメーソンは、当時の牧師ヤコブ・アンダーソンによって精神的に改造され、各国に普及された。そしてこのフリーメーソンは、たびたび国体破壊の原動力をなしたところから、ハンガリー、イタリア、及びナチスのドイツにおいては、その結社に解散を命じたが、依然として世界一大勢力には変わりがない。また最初はユダヤ人の入社を禁止したが、十八世紀の末葉ドイツのフランクフルト・アム・マインにおいてユダヤ人の入社を認めてから、ユダヤ人の有力会員が多くなって、今日ではユダヤ運動の別動隊のように見られるに至った。
フリーメーソンの目的は何であるかというと、
「自由・博愛・人道の言葉をモットーとして、世界をデモクラシー化し、ここにフリーメーソン主義による世界平和を建設する。」
と、いうのである。その今まで世界革命その他に及ぼした作用は少なくない。
米国における英国移民の革命的独立戦争を初めとして、フランス大革命、ロシア、ドイツ、ハンガリーなどの諸革命は、総じてフリーメーソンの活動であると認められている。例えば米国では、ジョージ・ワシントン以下代々の大統領のほとんどがフリーメーソンのそうそうたる人物で、ハンガリーのハプスブルグ王国転覆に活動した九十九%までは、ユダヤ人であったと同時にフリーメーソンのメンバーである。
支那帝国を崩壊させた孫文はフリーメーソンの巨頭であった。一九一四年六月二十八日にサラエボで暗殺されたハンガリー国皇太子フェルディナント大公に対する凶悪な陰謀に参加したタンコシック少佐は、チガノウィチと共にこの会員である。その他、ロシア国革命以下の諸革命、世界大戦後の平和会議もフリーメーソン式によったもので、ウィルソン大統領は結社員であり、国際連盟はメーソンの自由平等、博愛によるもので完全に、フリーメーソンによるものである。
そこでフリーメーソンの目的は、表面は、自由、平等、博愛であるが、その最後の目的は君主制体を廃止し、世界共通の共和国を建設することである。欧州大戦後、帝国の崩壊が多く、日本の他は、英、ベルギー、オランダ、満州などの諸国に過ぎないのであるから、日本としてはこの対策に、一応の考慮を払っておくべきである。
なお、フリーメーソンに加入している名士と国との事を書き加えておけば、英国はフリーメーソンの元祖だけに、皇室以下大部分は結社員であるし、米国は前記通りワシントン以来、マッキンレー、タフト、ルーズベルト、ウィルソン、現大統領ルーズベルトは会員であり、フランス国は大部分がそうであるし、支那では、故孫文のことは、前記通りで、蒋介石、宋美齢、宋子文、顔恵慶、王正廷、顧維鈞などが会員である。
725: ブログ転載 01/31(金)10:07 ID:p121PjJa0(4/9) AA×

726: ブログ転載 01/31(金)10:08 ID:p121PjJa0(5/9) AAS
そしてユダヤ人は、純潔で多民族となかなか同化しないという所に、他種族と異なっている。
次に、ユダヤ人の財的勢力はどうかといえば、世界の富の六、七分通りを所有していると言われるのだから、全世界の金融界はユダヤ人の一声一笑で決定されると言っても過言ではない。
ユダヤ財閥の発達は、英国にあるロスチャイルド家から起こったと言えるが、このロスチャイルド家は、一七四二年にマイヤー・アムシェルという人が生まれてからであったというから二百年足らずであるが、その発達は全世界を風靡している。
まず英国から語るならば、英国の金融王で、世界経済界の中心人物であるモンターギュ・ノルマンがいる。彼は前大蔵大臣で、現イギリスオランダ銀行総裁である。彼はイギリス銀行総裁の椅子にいることすでに十五年、イギリス黒幕中の第一人者として、その神出鬼没の行動は有名である。
欧州大戦の大成金ユダヤ人サー・バジル・ザバロフがいる。彼が英国の重工業で儲けた利得は三百億と称される。
フランス国では、これまたユダヤ財閥に支配されている。パリのロチルド家(ロスチャイルド)の巨富は言わずもなが、ハンガリーユダヤ人オーラス・フィナリーがいる。彼はフランス国最大の事業銀行であるバリ・ペイバ銀行の総裁であると共に、フランス国の電気事業、石油事業、無線電信、ラジオなどを完全に支配し、大兵器製造会社シュナイデルを掌握し、独、英、米、仏、スイスの各化学工業会社と互いに協同している。
この他にフィチリーは、フランス国の大新聞ランデピープル、ルーブル、レコードパリ、プテイパリジアンの四紙を所有し、なおフランス国の地方新聞四百をその手中に収めて、その勢力たるや実に堂々たるもので、彼の会社の重役は、政治、外交、経済界の大人物がたくさんいる。
また、香水王コティーは、反ユダヤであるとのことで、後妻のユダヤ夫人から離婚金四億五千万フランを巻き上げられ、ユダヤ財閥の包囲攻撃に没落した恐ろしい話さえある。
米国財界がユダヤ系であることは、前にも多少触れた通りで、今さらにくどくどするまでもなく、映画界、新聞通信界に至るまで完全にユダヤ系である。
その一例として、アメリカ金融界の梟雄ヤコブ・シフの辣腕をもう少し観察してみる。一九一二年といえば、ちょっと古い話だが、アメリカユダヤ財閥の物語としては有名なものだから書く。その一九一二年にユダヤ財閥の横暴があまりにヒドイので、時の大統領ウトロー・ウィルソンが、検察のメスを入れる委員会を成立して、調査させたことがある。ところが、調査の結果判明したのは次の通りで今さらながら彼らの雄大な勢力に驚愕した。
省9
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