▼▼日本近代史フリーメーソン▼▼ (269レス)
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128: 06/23(日)10:18 ID:IoeH+/iX0(5/19) AAS
渡辺悌治の話で裏がとれる自分の知っている話は、サン・フェリペ号事件の章に書いてあるもの。
外部リンク:ja.m.wikipedia.org
サンフェリペ号事件では、バレテンは世界征服を願っていた主旨のスペイン船長の発言が大問題になった。
「スペイン国王はまず宣教師を派遣し、キリシタンが殖えると、次は軍隊を送り、信者に内応させて、その伝道地の国土を征服するから、世界中にわたって領土を占領できたのだ」
その10年前に秀吉は九州征伐の時、日本の国土長崎が教会の領土となっているのを知り、没収して直轄地として日本に取り返し、バテレンの追法令を発した。
10年前は緩やかな禁令だったが、サンフェリペ号事件があり、京・大阪のフィリピン使節を装っていたフランシスコ会バテレン6名、日本人イエスズ会士3名、匿っていたキリシタンら26名を逮捕、長崎に送致。
フランシスコ会と対立していたイエスズ会は好機到来と喜び、イエスの十字架になぞらえて見世物にしようと、長崎で処刑するよう奉行に申し出た。ローマ・カトリックが行う異教徒焼き殺しではなく、見世物の磔で間違いなく天国往きできるそう。
バテレンに領土を献上した九州大村藩主純忠は、天正5年(1577)の合戦で軍用金に窮し、銀百貫文をキリシタンバテレンから借用し、担保として長崎村・山里村・浦上村・淵村の年貢を提供したのだが、これが長崎一帯の「小ローマ化」キリシタン領となったものであった。
秀吉没収天正16年(1588)。
領土を奪われたバテレンはローマ法王に手紙を送り、日本には信仰の自由がなく、キリシタンは迫害されているから、この上はスペインの軍事力を駆使して日本を攻撃し、征服あるいは一部を占領して、日本人を改宗させるべきであると、具体的戦略と地図を付して上奏している。
重要なこととして、バテレンはローマ法王庁とキリスト教国のための対日攻略案と攻略図面海陸図を作成していたという事実。これをスペイン国王に送った。
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