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▼▼日本近代史フリーメーソン▼▼ (815レス)
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516: ブログ転載 [sage] 2025/01/08(水) 14:51:13.59 ID:IEKY3PeO0 >>441続き p355 このことは血生臭い肉体的な復讐の思想を示唆するもので、フリー・メーソンの敵に向かって、政治的及び文化的な闘争、王座及び教会の権力との政治的、文化的な対決などが、この階位のもつ意義として、儀礼的に含まれています。 『カドシュ騎士』の教義に基づいて、メーソン結社員が『良心の自由』のために、自由主義、マルクス主義、共和主義、反国家主義、反カトリック主義の闘争をどのように行ったかということを、各国の重大事件を例にとって証拠立てて見せましょう。 (中略) p363 最高会議と最高評議会 フリー・メーソン結社で第三十一階位と第三十二階位の職場は『長老会』と呼ばれ、第三十三階位の職場は『最高会議』と呼ばれています。そして、終局の会議である第三十三階位に達した会員には職標としての金の指輪が与えられます。第三十一階位以上は、ほとんど昇給についての儀礼がないので全部を引っくるめて一名『行政階位』とも呼ばれています。第三十三階位に達すると全部の結社員が『最高会議』と呼ばれるのですが、これは、結社員間における『最高評議会』とは、全く別のものであります。 『最高評議会』というのは『最高会議』の結社員のうちから、最後の選抜によって結社の幹部すなわち『最高評議者』が選ばれるものでありまして、これが、一国の結社の指導や行政の中心機関をなすのであります。それゆえに、第三十三階位の結社員全部が結社の最高指導機関の一員となるのではなくて『最高評議会』の会員に選ばれた結社員だけが、指導機関の一員として、最高の枢機に参画するのであります。ですから、判りやすく言えば『最高評議者』は第三十三階位のもう一つ上にある『第三十四階位』とも言うべきものと解釈してよいのであります。 『最高評議会』は字の示すように、最高かつ最後の審級でありますから、第一階位から第三十三階位までのあらゆる結社員が『最高評議会』の決定に基づく指導、命令に絶対服従の義務を負わされているのであります。ルーズヴェルトもチャーチルも、メイソン結社員としては、この『最高評議会』の命令によって進退しなければならないのであります。 絶対の権能を持つこの『最高評議会』は大体、三十三名くらいの委員を持つことしか許されていません。 『最高評議会』の議長は『全能独裁大司令』と呼ばれ、この大司令のもとに、一名の代理者と結社外部関係の事務を取り扱うところの『総書記長』と結社内部関係の事務を取り扱うところの『大宰相』という役があります。その他『大講演係』『大尚書』『両大監督』『大主計頭』などの役が置かれています。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/516
517: ブログ転載 [sage] 2025/01/08(水) 16:06:01.13 ID:IEKY3PeO0 北条清一 編『思想戦と国際秘密結社』,晴南社,昭和17. https://dl.ndl.go.jp/pid/1062864 冒頭 武力戦で敗れた敵は、思想謀略の二の矢をもって猛攻してくる。第一線の皇軍将兵が、武力戦においてどんなに輝かしい戦果をあげても、銃後(※後方の)国民が思想戦で敵に敗けては申し訳ない。我ら一億の銃後国民は、その一人一人が『防衛戦士』として、敵の仕掛ける思想戦の矢面に起って、敵の思想謀略を撃滅しなければならない。 大東亜戦争は長期戦だ。戦いが長くなれば、敵は死に物狂いで思想戦を演じてくる。それは、彼らの得意な手だ。 思想戦に敗けられない。敗けるものか、きっと勝ってみせる。思想戦に勝つために、我らは、日本精神! 厳かな国体観念を把握しよう。 敵の思想謀略を暴露しよう。 p1 思想戦 支那事変から大東亜戦争へ 大東亜戦の完遂ということは、言葉を換えて言えば、八紘為宇の大精神を顕現して、大東亜の天地に、共栄圏を建設するということであります。大東亜戦争は、この目的を達するまで、例え三十年かかろうと、五十年かかろうと、あるいは、百年かかろうと、戦い続けなければならない戦争であります。我々の時代において、目的を達成することができなければ、子供の時代において、子供の時代においてできなければ、孫の時代においてというように戦い続けなければならない。だからこそ、我々は大東亜戦争を長期戦と呼び、長期戦を戦い抜こう、勝ち抜こうと叫ぶのであります。 今日の戦争は、敵味方の軍隊と軍隊が戦場において雌雄を決する武力戦をもって、勝敗の決定を見るものではありません。今日の戦争は武力戦、経済戦、思想戦ーーこの三つが混然一体となって、国家の総力をあげて戦うところの国家総力戦であります。手足の一本がなくても、人間として完全な働きができないように、国家総力戦を行う場合、この三つが完全に高度の機能を発揮することができなければ、到底、戦争に勝つことはできないのであります。これを鼎に例えれば三本の足のようなものであります。どの一本が欠けても鼎はひっくり返る。それと同じであります。 前欧州大戦でドイツは、武力戦では輝かしい戦果をあげていた。ところが戦争の終局においては、武力戦で凱歌をあげていたドイツが連合国によって敗れた。負かされてしまった。一見不思議なようでありますが、不思議でもなんでもない、ドイツが経済戦で破綻を来たし、思想戦で惨敗したのであります。歴史が証明するこの事実をもってしても、近代戦における経済戦、思想戦がどんなに重要な位置を占めているかということが判りましょう。敵を徹底的に破摧する強い武力と、それに平行する経済戦力と思想戦力がなければならない。前欧州大戦から二十年以上の歳月が流れ、戦争形態、兵器はいよいよ発達し高度化されてきました。従って、今日の戦争において、経済戦、思想戦は、武力戦に次ぐ、あるいは、武力戦と同じ程度に重大なものであるということができるのであります。 日本は建国の昔から、武力戦には非常に強い国であります。三千年の光輝ある歴史を通じて、外敵の侮を受け、敵国の前に屈服したことは今だかつて一度もないのであります。明治以後においても、日清、日露の両戦役に勝ち、満州事変、支那事変と天皇陛下の大きな威光の下、皇軍将兵がいくところ、必ず輝かしい大戦果をあげています。昭和十六年十二月八日、米英に宣戦を布告するや、諸戦において素晴らしい戦果をあげましたことも、国民の記憶に生々しいところであります。このように、武力戦において、日本は極めて強い。このことは、今さら、私が申すまでもないところであります。だがしかし、一歩退いて、近代戦の三大要素の残る二つーー経済戦、思想戦に思いをいたす時、日本は残る二つの要素においても、果たして強いということができるでありましょうか。少なくとも不敗の信念をもっていられるでしょうか。 大東亜戦争が始まる前、英米は日本をどのように観ていたかーー日本は抗日支那軍と五年も戦っている。武力戦においては、いかにも日本は圧倒的に強いけれども、日本経済力は、この五年間によって、へとへとに消耗されている。昔から、『腹が減っては戦はできぬ』で、いくら、前線の将兵が強くても、兵器、食料を補給する後方の経済力が弱っているから、やがて、悲鳴を上げ参ってしまうだろうと観察していた。だから、日本をやっつけるのに武力はいらない。武力戦ではとても勝てそうもない。日本を屈服させる道は経済戦に限る。日本を経済的に苦しめれば、日本はやがて参ってしまう。日本の息の根を止めることができるーーとこんな風に考えたのであります。日本の弱点を突いてやれという考えです。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/517
518: ブログ転載 [sage] 2025/01/08(水) 21:20:56.61 ID:IEKY3PeO0 p4 その現れの一端として、日本に対する資金の凍結をやり、鉄、ガソリンその他戦争遂行上なくてはならない物資の輸出を止めてしまったのであります。英米は日本に対して、戦争をしかける前に、まず、経済戦の火蓋を切り、対日経済封鎖の挙に出たのであります。一方、日本と戦う蒋介石に対しては、軍需物資をどしどし送って、それやれ、やれやれと、抗日に躍る蒋介石を唆しながら、米英蘭蒋の連繋をもって、対日A・B・C・Dの包囲陣を結成して、武力敵に日本を脅かしてきたのであります。 経済封鎖の陣形整えて、さあこれでもか、これでもかと詰め寄せつつ、片手ではA・B・C・D包囲陣によって、戦争ならいつでも来いと武力を誇示して、日本と戦わず経済圧迫によって、日本をジリジリと貧乏に陥れて勝利を占めようとした。 こうした情勢の中にあって、支那事変は大東亜戦争へと展開したのであります。じり貧に陥る前に、日本は敢然として起ちあがらねばならない。食うか食われるか、全国力を上げて、乾坤一擲の戦いを宣言したのであります。正々堂々正義の剣を抜いて起ちあがったのであります。横暴な英米とそれをめぐる国々を打ち懲らしめるための聖戦を敢行したのであります。 p5 思想戦と四つに組む 今日の戦争は、戦線で攻城野戦に、空中戦に、洋上に、水底に兵器をとって勇猛果敢に武力戦争をする将兵と、この武力戦を敢闘する勇士に兵器その他必要物資を補給する銃後とはしっかりと結びついていなければならない。一台の戦闘機、一台の爆撃機、一隻の戦艦、戦車、大砲、機関銃、弾丸、高射砲など精巧な兵器を銃後国民の手によって、どしどし造り出さなければならない。戦うための食料も造らなければならない。一門の大砲、一機の飛行機を前線に送り出すには銃後に多くの人々が協力して、これが製作に当たらなければならないのであります。 そのためには英米流の自由主義経済の衣をかなぐり捨てて高度国防国家の目的にそった経済にたて直さなければならない。支那事変が大東亜戦争に発展した今日の段階においては、経済戦の領域においても、当然、時局に即応した体制がしかれなければなりません。ここにおいて、経済統制が強化され、戦時下不急と認める物資に対しては生産を制限し、その反対に、戦争遂行上必要とする物資に対しては、生産の拡充、増産の実をあげるために、各種の事業に必要な統制を加え、必要物資を計画的に生産あるいは増産するところの統制経済がしかれ、この目的を円滑に果たすために、統制団体、統制会社などが生まれて、国家総力戦の一翼としての経済戦の陣容を整備したのであります。現に、ますます必要あるものにむかっては、一層、統制を強化しつつあります。 大東亜戦争が始まってやがて、記念すべき一周年がめぐってきます。敵の英米は、開戦前、日本の経済力は五年間の支那事変によって弱りきっている。もう戦争を遂行する経済力はあるまいと見くびっていたのに、いざ戦争が始まってみると、今の今まで見くびっていた日本の経済力は、なかなかそう簡単には参らない。悲鳴も上げない。それだけか、戦争の遂行、発展に並行して経済力はいよいよ充実強化され、長期戦を戦い抜く体制が着々進められているのに、狼狽しかつ驚いています。 大戦開始当時日本にいて、第一次交換船で米国に帰った全米国駐日大使グルーは、帰国後の放送で、 『日本国民は今次の戦いを全力を傾けて最後まで戦う決意を有している。日本国民の戦意は決してくじかれないであろう。 まして、日本が経済的困難によって屈服するなど考えてはならない。日本国民は個人としても、集団としても、君国のために欣然死に赴く覚悟をもっているのだ。 従って、我々もまたあらゆる能力をふるって日本と戦わねばならないのだ』 と述べています。これは、グルーが米国民の奮起を促すための演説でありますが、これまで、日本の経済力を過小評価していたことの誤りを強く国民に訴えていることが窺われるのであります。 日本は南方占領地域で戦争遂行に必要な石油、錫、ゴムその他の重要物資を獲得し、満洲、北、中支において、石炭、鉄を、またボルネオにおいても無煙炭の埋蔵を発見するなど経済力に自信を強め、南方においては、作戦しつつ、大戦争の作戦に必要な建設を着々と堅実な足取りで進めつつあります。それに反して、英米は、これまで南方に資源を求めていたゴム、錫、キニーネなの資源が途絶し、特に戦前米国が世界生産の九割まで消化していたゴムの輸入がぱったり途絶えたために大きな痛手となって、人造ゴムや代用ゴムの研究に没頭しています。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1717059028/518
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