太平洋戦争は日本なら誰が悪かったの? (764レス)
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249: 08/08(木)22:33 ID:KDSMBcsG0(8/10) AAS
近代史研究家の保阪正康は「乙案を一言で言えば日米関係を当面、
南部仏印進駐(資産凍結)以前の段階まで引き戻そうという提案」と言っている。
乙案のネックは援蔣停止の要求だが、その困難を話し合うのが外交交渉だと思う。
その交渉をせずにハルノートが回答では東郷外相が
「目も暗むばかり失望に撃たれた」と述べる気持ちがよくわかる。
250: 08/08(木)22:43 ID:QLM47ff50(3/6) AAS
>その困難を話し合うのが外交交渉だと思う
その話し合いの期限を12月1日午前0時に設定し、そこまでにアメリカが呑まなければ開戦と決定したのが、東條で首相になって2週間後である。
また、交渉期限は乙案提示から1週間もなかった。東條がいかに開戦へ突進していたかよくわかる。一方、ハルノートには交渉期限が無く、いくらでも交渉期間は有った。だが、東條は11月2日の連絡会議の決定どおり、アメリカに宣戦布告した。
これが史実。これに反論できるバカはいないだろう。
251(2): 08/08(木)22:58 ID:KDSMBcsG0(9/10) AAS
ちなみに日本の高等学校用の日本史教科書(山川出版社『詳説日本史B』、
2007年版)には以下のように記載されている。
「(略)新内閣は9月6日の決定を再検討して、当面日米交渉を継続させた。しかし、11月26日のアメリカ側の提案(ハル=ノート)は、中国・仏印からの全面的無条件撤退、満州国・汪兆銘政権の否認、日独伊三国同盟の実質的廃棄など、満州事変以前の状態への復帰を要求する最後通告に等しいものだったので、交渉成立は絶望的になった。12月1日の御前会議は対米交渉を不成功と判断し、米英に対する開戦を最終的に決定した(略)」Wikipediaより
252: 08/08(木)23:05 ID:XYEznzBv0(1) AAS
>> 249
>「乙案を一言で言えば日米関係を当面、南部仏印進駐(資産凍結)以前の段階まで引き戻そうという提案」
それでも奪ったものの一部は認めろという無法な要求に変わりはない。
アメリカの「満州事変前に戻れ」と言う、九カ国条約や不戦条約、ヴェルサイユ条約と言う裏付けを持つ主張に優ろうはずもない。
正論に対し無法な要求をして拒絶されただけの話で、当然の結果だ。
失望すべきはそんな主張しかできない日本の無法振りであろう。
外相ですらこんな有様だとしたら、日米交渉など成立しようもない。
253(1): 08/08(木)23:07 ID:QLM47ff50(4/6) AAS
12月の御前会議は11月の御前会議の最終確認だったことは誰でも知ってる史実。
大体、日米交渉は日本から打ち切った。
>>251
お前は前スレから全く成長せんなあw 毎回自爆しとるな
254: 08/08(木)23:12 ID:KDSMBcsG0(10/10) AAS
>>253
クレームは山川出版社にね、ポンスケwww
255(1): 08/08(木)23:20 ID:QLM47ff50(5/6) AAS
ポン介はお前w
教科書はそのとおりだよ。俺のレスに矛盾しない記述だから、それを持ってきたところで全然反論になっていない。だからお前は毎回馬鹿をさらす。で、大好きなウィキから引用をひとつ。
10月17日、東条英機を首班とした組閣にあたり、条件として白紙還元の御諚が発せられ、9月6日の決定が白紙に戻された。だが、東條は昭和天皇の眼前で、自らも参加して決定した帝国国策遂行要領を覆すことは不忠にあたるとの信念から、実際には白紙化は行われず、再検討という名目で、そのまま方針が引き継がれることとなった。11月5日、11月末日を交渉期限として引き続き外交交渉を行うとともに戦争の決意が盛り込まれた帝国国策遂行要領が御前会議で決定された。(「御前会議」より一文)
256: 08/08(木)23:25 ID:fa0Oh5Zd0(9/9) AAS
やっぱりサンドバッグのおじーちゃんがいると活気づくなぁ
257: 08/08(木)23:41 ID:QLM47ff50(6/6) AAS
基礎知識が無く、スカ本を論拠にレス書くから毎回玉砕するわけだw
258: 08/09(金)10:21 ID:GL6BzP6E0(1/4) AAS
>251
受験ではこういう解答しなければ間違いになるわけか
259(1): 08/09(金)10:44 ID:GL6BzP6E0(2/4) AAS
>255
ウィキで確認すると参考資料が不明だな
ちょい疑問が残る
260: 08/09(金)15:27 ID:2IsMhrcc0(1) AAS
>>242
戦争は相手がいる 双方が講和の条件で合意しない限り戦争は終わらない
そして開戦後の双方の講和条件の差は開戦前に比べてより広がるのが一般的である 犠牲を出しているからには、条件は緩和できないのである
開戦前の日米のそれぞれの条件は甲案とハルノートでこの乖離を10とする
開戦後の日米の講和条件の差は100くらいに広がった 日本は大東亜共栄圏を要求し、アメリカは日本の勢力圏を明治維新時点に戻すことが条件である
整う訳がない 整ったのは、同盟国が全て消え、日本軍が完膚なきまでに叩き潰され、国土が焦土と化し、にっちもさっちも行かなくなった状態でようやくである
日本が最も優勢だったのは、開戦後5ヶ月くらいのドゥーリットル空襲前くらいだが、この時日本がハルノートの条件受諾で講和を申し入れてもアメリカに黙殺されただろう
真珠湾攻撃でアメリカは大激怒なんだから
省1
261: 08/09(金)16:10 ID:zxdA2FCX0(1/3) AAS
>>259
昭和十六年十一月五日御前会議決定
帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完了し大東亜の新秩序を建設する為比の際対米英蘭戦争を決意し左記処置を採る
武力発動の時期を十二月初旬と定め陸海軍は作戦準備を完整す
対米交渉は別紙(甲案、乙案)に依り之を行う
独伊との提携強化を図る
武力発動の直前泰との間に軍事的緊密関係を樹立す
対米交渉が十二月一日午前零時迄に成功せば武力発動を中止す
・・・ちゃんと、交渉期限と開戦期日を決定してるがな。12月1日の御前会議はこれを再確認したもの。 尚、この11月の御前会議の4日前の政府・大本営連絡会議で日米開戦が了承された。この程度の知識ぐらい押さてからスレに来いヌケ作。クソどうでもいい佐藤チンカスの回想録のつまみ食いしかできないからいつまでたっててもお前は成長せんのだ。
262(1): 08/09(金)21:30 ID:GL6BzP6E0(3/4) AAS
>261
対米交渉が十二月一日午前零時迄に成功せば武力発動を中止す
263: 08/09(金)22:38 ID:zxdA2FCX0(2/3) AAS
そりゃ、日本の言いたい放題我がまま甲案乙案をアメリカ様が呑めば日本は感謝感激雨あられ。
しかし、アメリカに対してゼロ回答の甲案乙案なんかアメリカは飲むわけない。
呑むわけない案を平気で持ち出す東條に全米が笑った。
>>262
おまえのアホレスは毎度毎度 なんの反論にもなっていないので100回書いて100回ダメだし喰らってるんだよヌケ作w
264(1): 08/09(金)22:54 ID:GL6BzP6E0(4/4) AAS
帝国国策遂行要領は絶対ではない。
対米開戦は元々、9月6日の帝国国策遂行要領では海軍の要望で東南アジアでの上陸作戦の
しやすい11月上旬頃に決まっていたが、天皇の白紙還元と近衛首相の辞任で延期となった。
同じように12月上旬の開戦が延期になっても問題はない
265(1): 08/09(金)23:32 ID:zxdA2FCX0(3/3) AAS
>>264
だから、12月1日の御前会議では交渉延期をせず予定どおり開戦を再確認したんだろがw
おまえのレスはどこにどう反論しているのかさっぱりわからん。オツム大丈夫か?
論点を整理せず、なんでもレス書いて「トリ」をとっても意味がないぞ。
266: 08/10(土)08:44 ID:N8FMgH2K0(1) AAS
統帥部の意気込みは11月上旬にやるやる言ってるが、実際的には11月上旬には準備が間に合ってない
真珠湾攻撃の肝である、浅深度用の改造91式航空魚雷の引き渡しが11月17日 これを積み込んで急ぎ出撃しても、11月末がやっとである 魚雷なしで真珠湾攻撃を実施することはあり得ない 爆弾では戦艦は沈まないのである
また、南方作戦に必須の南部仏印の航空基地も突貫工事で建設したが、11月上旬だとまだ25軍が必死に工事中で不十分
結局白紙還元があろうとなかろうと結局開戦は11月末以降にずれ込んだだろう
そして逆に12月の開戦を逃せばもう作戦の実施はできなかっただろう 時期は春以降にずれ込むし、一旦撤収する過程で日本の攻撃準備はまずバレる 奇襲ができなければ勝機はない
省1
267: 08/10(土)11:43 ID:xu+QRed60(1/3) AAS
>>265
だから>>251の山川出版社の日本史教科書でも、
「満州事変以前の状態への復帰を要求する最後通告に等しいものだったので、
交渉成立は絶望的になった」と記述している
11月26日のハルノートが開戦を決定させたということだ
268: 08/10(土)11:49 ID:xu+QRed60(2/3) AAS
東條内閣は対米戦争に踏み切った内閣として悪名高いが、むしろ近衛内閣よりも積極的に
対米交渉を行ったと見ることもできる。東條は非戦論に傾いており、外務大臣には平和主義で
知られた東郷茂徳を迎えた[。また、東條は大蔵大臣候補の賀屋興宣との入閣交渉では
「できるだけ日米交渉に努力して、戦争にならないように平和に解決できるように努力したい」と
述べており、東條の交渉推進への方向転換については、陸軍内部から「東條変節」と
評する声さえ聞かれたが、東條にとっては天皇の御言葉が絶対であった。wikiから引用
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