安濃豊の戦勝国は日本だったについて (944レス)
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(1): 10/07(月)19:55 ID:LTYlrlHZ0(3/3) AAS
>>0796
南洋局。自分もよくわからないのでヤフーで調べたら、
検索トップにアジア歴史資料センターの解説が出てきました。
要約すると、「1940年(昭和15年)南洋局の設置は、北部仏印に伴う
新事態に対応するためであった。」とのことです。

>仏印3国の「独立」経緯とその後の実際も要検証だね。
「インドネシアにおける日本軍政の功罪」から独立前後の背景を抜粋(P4)すると、
「、第二次世界大戦まで、インドネシアは停滞的な社会であり、インドネシア人は民
族意識が稀薄であると考えられてきたが、同大戦後は、4 年余の対蘭独立戦争、「西イリア
ン問題(解放闘争)」におけるオランダ資産の接収、第 1 回アジア・アフリカ会議におけ
る「平和 10 原則」の採択などによって、インドネシアはいわゆる第三世界の中でナショ
ナリズムが高揚した「新興国家」であるかの印象を与えている。戦前の「静的、停滞的」
な蘭印のイメージと戦後の「動的、激情的」なインドネシアとのギャップが植民地体制の
枠内でインドネシアを理解しようとした欧米人を驚愕させた。その結果、欧米研究者の眼
を戦時期の日本占領(軍政)へと向けさせ、インドネシアにそのような変化を起こさせた
大きな要因が日本軍政(期)にある、という評価につながっているのではないか。 」

から、
開戦前は、一部の独立活動家以外は、民族意識が希薄な民族だったところから、
日本の終戦後は、4 年余の対蘭独立戦争を行う、ナショナリズムが高揚した「新興国家」
に変わっています。なぜ変わったかは、大きな要因が「日本軍政(期)」に理由があると
あります。

日本の軍政期とは何をやったのか?(P7〜P12長いので要点だけ。細かいのは読んでください)
a 独立準備組織の設置
b 軍事・準軍事組織の創設と教育訓練等
c 行政能力等の向上
d インドネシア語の普及等
です。これらを通じて、一般民衆へ、「独立への意識」を芽生えさせていたようです。
※自分は肯定派なので、資料の「功」の部分だけを書いていますが、「罪」の部分も
たくさん書かれていますので、否定派の方はそちらを読んでいただければと思います。
「罪」の部分で、
a 経済体制(構造)の破壊 (P12)があるのですが、ただ破壊しただけでなく、
いろいろなことして防ごうとしたことがわかるのが、もう一つの資料の
「南方軍政における民心安定策」を見ていただければと思います。

あとは、「その後」ですね。以前のスレを見ると、「終戦前に独立させなかったから
日本は解放させていない」・「アメリカのオランダへの介入があったから、アメリカが
独立をさせた」という意見がありました。自分はここら辺は知見がないので、資料で
説明はできませんが、例えば、日本が現地住民の住むための家を建てていました。
現地住民にも作り方を教えていました。家を建てたところで、自分の家に原爆が
落とされたので帰ることになりました。
「材料(武器)と職人(残留日本兵)を置いていくので、上下水道とガスは自分で
引いてね(独立戦争)」と親方(日本軍)は帰ってしまいました。
さて、上下水道は現地住民が引いて、ガスはアメリカの援助で引いた場合、
アメリカが家を建てたことになるのでしょうか? 日本が家を建てた事実は変わりません。
としか言えません。
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