[過去ログ] 安濃豊の戦勝国は日本だったについて (1002レス)
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864(2): 2024/10/12(土)23:28 ID:zt583bA00(3/4) AAS
ここからは、釈迦に説法なのですが、自分の理解度の為、他の方への説明のために記載します。
なぜ、対日経済制裁されたのか?
→(いろいろな理由はあるかと思いますが)仏印進駐による対抗措置
なぜ、仏印進駐したのか?
→援蒋ルートの遮断が目的
援蒋ルートとは?
→「(国民政府指導者の)蒋介石を援助するためのルート」。主にイギリス、アメリカ、
ソ連が国民政府を軍事援助するために用いた輸送路のことである。
主に、仏印ルート・ビルマルート。
(ウィキペディア:援蒋ルートより)
省14
865(3): 2024/10/12(土)23:28 ID:zt583bA00(4/4) AAS
〉交渉の議題にも争点にもなっていないのが「アジア解放」である。なんでこれが開戦理由や
目的に該当するのかさっぱりわからない。
とありますが、日米交渉の長い期間の中で、
※1.に、付録第三十一 日米「原則協定」案 というのがあります。見てみると、
日米「原則協定案」昭和16年3月17日 日米私人作成 と題名にあります。
※2.民間外交から日米交渉の開始へ 二人の聖職者の来日と井川忠雄の活躍 から
「日米交渉は民間外交を起点として、その後に正規の外交ルートに乗せられたという経緯を持つ。」
とあり、当初は日米私人が交渉していて、そのときに作成されたもののようです。
原則協定案の「西南太平洋自主連邦」という項目があります。※1.P345(本のページでは655)
1.日本は西南太平洋に存在する特定国及び属領に対し、安定を確保し且つ非侵略的意図の所作として
省7
866: 2024/10/12(土)23:59 ID:BXIDhkC20(1) AAS
>>864
仏印進駐の目的は
北部が援蒋ルート遮断
南部がシンガポール、インドネシア侵略の為の拠点構築
広東総領事 高津富雄が松岡外相に宛てた報告
蘭印に最後通牒を突き付け、シンガポール攻略には海軍が、と。
外部リンク[html]:www.jacar.go.jp
「昭和十六年七月十四日高津総領事発松岡外務大臣第二五五号(館長符号扱、外機密)(写)」
867: 2024/10/13(日)01:21 ID:vJgJODmZ0(1/5) AAS
>>865
>当初、「アジア解放」に関しての議題はされていたようです。
????
質問。その私人作成の「日米原則協定」案は政府間の日米交渉の中で取り上げられたのかね?
それと
>>864の末部分 の >援蒋ルートの遮断→欧米植民地への侵攻 のくだりを詳しく解説願いたい。 論理が飛躍していている。援蒋ルートの遮断だけならビルマと仏印(開戦前に実行済み)であるが、その他の東南アジア地域侵攻の説明にならない。
さらに言うと
>支那事変を収束させる→(省略)→植民地の独立
わらしべ長者 風が吹けば桶屋が 的な結論誘導の感があるね。回答を聞いてから863〜865の感想を述べる。
868: 824 867 2024/10/13(日)17:37 ID:vJgJODmZ0(2/5) AAS
回答を待ってからレスしようと思ったが、もったいぶるほどの内容でもないのでレスする。
>>863
>日米交渉は、議題は多岐にわたるので、対日経済制裁問題もあるのでしょうが、自分としては、
支那事変を終わらせるための交渉だったと思います。
岩畔課長の感想はご指摘の通り。日米交渉の大きな議題としては「日米関係の改善」ということだね。ここは俺の筆の走りすぎを認めます。 少し俺の認識を言うと、日米交渉は1941年8月以降の日本側の主目的は当初のざっくりした「日米関係の改善」から、対日経済制裁の解除に一点集中している。これは石油禁輸を受けて9月には対米開戦にシフトしたからである。(帝国国策遂行要領の決定) 日本側の最後通告である乙案の内容は「南部仏印進駐前に戻るから経済制裁やめて」というものである。日本側のこの状況を指して言ったのが「日米交渉は対日経済制裁(禁輸)問題なので (略)」のくだりで正確さに欠けたレスだったね。
まあ、自慰史観では「アメリカが乙案を飲めば開戦は回避できた」らしいしねえ。
という認識の上で次レスに続く。
869(1): 2024/10/13(日)17:42 ID:vJgJODmZ0(3/5) AAS
>>864
君のレスには重要な2つの視点が完全に欠けている。
・ 日米交渉の最大の争点はシナ駐兵問題である。
前に示した主要議題のうち、最大のネックはこれ。君のレスで少し違和感があるのは「支那事変の収束」とあるが、国際的に最も納得得られる解決策は「事変勃発前に戻る」ことである。ウクライナ戦争も含めて戦争勃発前に国際社会が求めることは大抵これである。甲案乙案すべて日本は事変前の状態に戻すことを拒否している。拒否したから米英は蒋介石を支援している。君のレスは立論が逆である。
・石油禁輸と対米開戦の関係
対米戦を覚悟した帝国国策要領の決定はその前月の対日石油禁輸を受けてのものであるのでこの2つは直接の因果関係にある。対米開戦決意のトリガーだった事実が抜けている。
経済制裁が無ければ開戦は無かった。絶対にないとは言わんが史実の因果関係から見れば起こりようがなかった。
対米英蘭開戦の目的はABCD包囲網の打破である。
ゆえに、
>支那事変を収束させる→援蒋ルートの遮断→欧米植民地への侵攻→植民地の独立→東亜共栄圏の確立が目的
省7
870: 2024/10/13(日)17:46 ID:vJgJODmZ0(4/5) AAS
>>865
ここは俺の不勉強による知識不足のため867の回答を読んでから再度答える。このスレで俺が問題にしているのは国策と国会の意志である。
元ブラジル大使沢田節蔵と、井川忠雄は政府要人と接触をしているのでこの「原則協定」案が全く両名の妄想とは言わないし、現に日米諒解案の素案にもなっているのだが、君が紹介した東南アジア処理案がその後の政府交渉に取り上げられたとは俺は聞かないので
俺のレス文中の「交渉の議題にも争点にもなっていないのが「アジア解放」である。」の反証になっていないので考えは全く変わらない。
間違っていたら指摘してほしい。
871(1): 2024/10/13(日)18:21 ID:vJgJODmZ0(5/5) AAS
あー 868も言うてるうちから筆の走りすぎがあるなw 訂正
>対日経済制裁の解除に一点集中している。
「一点集中」はしてないなw 対日経済制裁の解除を最大眼目にした。
だな。石油禁輸が戦争のトリガーだからねえ。
連投ついでに もいっちょ。
>日本側としては、これではいつまでたっても支那事変が終息させられないために、交渉は決裂したと自分は考えます。
多分君も承知の上で上を書いたと思うが、対日石油禁輸のあとに日本は急激に早期アメリカは
開戦へ舵を切った理由は、?石油の備蓄が2年しかなかったこと ?米国は1938年より日本をはるかに凌駕する海軍大軍拡をはじめており、日数を経るほど彼我の海軍力の差が広がること。?12月以降は太平洋は荒天が続き、開戦は来年春以降になること。
である。だから9月の帝国国策遂行要領では開戦は10月下旬である。ちなみに要綱では開戦理由は「自存自衛を全うする為」である。
何度も書くが、そもそも日本がシナから撤兵し1937年7月以前の状態に回帰しておれば
省1
872: 2024/10/13(日)19:07 ID:+aipX3N30(1) AAS
金曜日の動画だけど あのう氏はなかなか いいこと言ったね。
873: 2024/10/14(月)10:14 ID:Mh+t8MVi0(1) AAS
東南アジア9カ国の歴史教育って
どうなっているの?
歴史の教科書にはなんて書かれているんだ?
874(1): 2024/10/14(月)19:51 ID:ibaAns0C0(1/3) AAS
>>0867
>質問。その私人作成の「日米原則協定」案は政府間の日米交渉の中で取り上げられたのかね?
「日米原則協定案」近衛首相に送達さる
※1.大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<3>P270(本のページでは505)
から、米国側から日本側へ送られた記述があります。
その後、日米了解案へと変わっていったようです。ここでは、
七.太平洋の政治的安定に関する両国の方針
A.日米両国政府は欧州諸国が将来東亜及び南西太平洋に於いて、領土の割譲を受け又は現存国家の
併合等をなすことを、容認せさるへし。
B.日米両国政府は比島の独立を共同に保証し、之か挑戦なくして第三国の攻撃を受くる場合の救援
省5
875: 2024/10/14(月)19:53 ID:ibaAns0C0(2/3) AAS
>援蒋ルートの遮断→欧米植民地への侵攻 のくだりを詳しく解説願いたい。
>論理が飛躍していている。援蒋ルートの遮断だけならビルマと仏印(開戦前に実行済み)であるが、
>その他の東南アジア地域侵攻の説明にならない。
「支那事変を収束させる→援蒋ルートの遮断→欧米植民地への侵攻→植民地の独立
→東亜共栄圏の確立が目的で、それを説明しているのが帝国政府声明文と考えます。」
の部分ですね。→としましたが、=(イコール)の方がよかったかなと。
「支那事変を収束させる=援蒋ルートの遮断=欧米植民地への侵攻=植民地の独立
→大東亜共栄圏の確立が目的」
ですね。大東亜共栄圏(アジア解放)が目的で、その他が手段とすればいいのでしょうか?
アジア解放を目的にしているのです。その他の東南アジア地域(欧米植民地)侵攻の
省15
876: 2024/10/14(月)19:54 ID:ibaAns0C0(3/3) AAS
「中華民国政府(蒋介石政府)は、日本の外交政策の基本的な方針を理解しないまま分別なく
抵抗を続け、東アジアの平和をかく乱させて日本に武力行使をさせるように至ってから
4年余りが経過した。幸いにも、国民政府(汪兆銘政府)に変わった。日本は汪兆銘政府と
善良な隣国として相互に援助し合うようになったが、重慶に残存する蒋介石政府は米国及び
英国からひそかに援助を受けてこれに頼り、同じ中国人である汪兆銘政府とまだ相互に
せめぎ合う姿勢を改善しない状況である。『米英両国は、蒋介石政府を支援して東アジアの
混乱を助長し、「平和のため」という美名に隠れて、実はひそかにアジアの覇権を握ろう
という道理に反する構想を抱いている。』それだけに飽き足らず、米英両国は同盟国を
誘発して日本の周辺において軍備を増強して我が国に挑戦的姿勢を示し、さらに日本の
平和的な通商に対してあらゆる妨害を加え、ついに経済断交を行い、日本の存立に
省24
877: 2024/10/14(月)21:24 ID:q1Xc0p4B0(1/2) AAS
>>874
違う違う。俺の質問はそういうことじゃない。このスレのテーマは「アジアの解放」(植民地からの独立)であり、君が紹介してくれた「西南太平洋自主連邦」の具体化、例にあった安南の独立とか、インドネシアの自治領化とかが、正式な政府間交渉の俎上に上がったのかどうかを確認している。 私人の交渉とかか、近衛も知っていたとかいうのは俺は何ら関心が無い。
この部分は日米諒解案に反映されていないし、「アジアの解放」が正式な政府間交渉に取り上げられた事実も俺は知らない。俺も知識不十分なのでここを確認したかったわけ。
今のところ、俺にとって新しい事実は無いな。
あと>>871に文字化けと編集ミスがあるので訂正
日本は急激に早期アメリカは開戦へ舵を切った <誤>
日本は急激に早期開戦へ舵を切った <正>
あと、「?」部分は数字が入ってる。何度もすんません。
878: 2024/10/14(月)21:58 ID:q1Xc0p4B0(2/2) AAS
877続き
「七.太平洋の政治的安定に関する両国の方針
A.日米両国政府は欧州諸国が将来東亜及び南西太平洋に於いて、領土の割譲を受け又は現存国家の併合等をなすことを、容認せさるへし。]
この部分は過去に目にしたことがあり、その時は特に深読みもせずにスルーしていたのだが、君の指摘のように日米原則協定案の中の「西南太平洋自主連邦」部分の延長と読み取るのはキツイものがあるな。仮にそう考えても 換骨奪胎・空文化だねえ俺的には。
あと874〜876にざっと目を通したが、事実関係については互いに認識の違いはないようだ。あとは互いの主観 私見の違いなのでそこについてはすでに俺は言いたいことを全開したのでこれ以上は特にないな。とにかく気になったのは>>865だけ。
また君のレスをじっくり読んで意見があればレスするよ。 今はこれだけ。
879(2): 2024/10/15(火)14:05 ID:1ehSK1yg0(1) AAS
アメリカってフィリピンに独立の約束を
与えていたけど日本って台湾とかに
独立の約束を与えているかと言うと
そうじゃないんだよな
東南アジアを日本軍の支配から解放したり
真のアジアの解放者はアメリカなんじゃないの
880: 2024/10/15(火)17:40 ID:8mpLs7uI0(1) AAS
>>879
そうだよ。アメリカが原爆を落として、オマエの親を殺したからアジアは独立できたんだ。オマエの親はマジで悪党だった。
881(1): 2024/10/16(水)08:41 ID:FKIzahBB0(1/12) AAS
ヒトラーみたいな極悪人を殺すならまだしも
パールハーバーで何の罪もない未来あるアメリカの若者を
殺した日本は本当に鬼畜だわ
882(1): 2024/10/16(水)10:01 ID:tzEyMYFZ0(1/3) AAS
>>881
パールハーバー(真珠湾)は1932年からアメリカはアメリカ本土から主力艦隊をパールハーバーに移動させ、交戦時は既に大型の軍事要塞化していた。
そしてアメリカ人の死傷者は2500人だとされている。
ほぼ軍人"だろう"人数。
原爆の方が悪。
広島原爆、約140,000人(一般人)
長崎原爆、約74,000人(一般人)
東京大空襲、約115,000人(一般人)
しかも負傷者じゃなく死者数。
未来ある若者の被害者の数がパールハーバーの135倍日本人死んでいる。
省6
883: 2024/10/16(水)10:45 ID:UNRyUJRo0(1) AAS
太平洋戦争におけるアメリカの死者数は、約29万人です。
また、アメリカの負傷者数は約23万人、合計の被害者は約32万人でした。
硫黄島戦では、米軍側の死者数は約7000人に上りました。戦死した兵士の遺体は島内で埋葬されましたが、1968年に小笠原諸島の施政権が日本側に返還される前に掘り起こされ、米国本土のアーリントン墓地などに再埋葬されたとされています
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