安濃豊の戦勝国は日本だったについて (941レス)
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867: 10/13(日)01:21 ID:vJgJODmZ0(1/5) AAS
>>865
>当初、「アジア解放」に関しての議題はされていたようです。
????
質問。その私人作成の「日米原則協定」案は政府間の日米交渉の中で取り上げられたのかね?
それと
>>864の末部分 の >援蒋ルートの遮断→欧米植民地への侵攻 のくだりを詳しく解説願いたい。 論理が飛躍していている。援蒋ルートの遮断だけならビルマと仏印(開戦前に実行済み)であるが、その他の東南アジア地域侵攻の説明にならない。
さらに言うと
>支那事変を収束させる→(省略)→植民地の独立
わらしべ長者 風が吹けば桶屋が 的な結論誘導の感があるね。回答を聞いてから863〜865の感想を述べる。
868: 824 867 10/13(日)17:37 ID:vJgJODmZ0(2/5) AAS
回答を待ってからレスしようと思ったが、もったいぶるほどの内容でもないのでレスする。
>>863
>日米交渉は、議題は多岐にわたるので、対日経済制裁問題もあるのでしょうが、自分としては、
支那事変を終わらせるための交渉だったと思います。
岩畔課長の感想はご指摘の通り。日米交渉の大きな議題としては「日米関係の改善」ということだね。ここは俺の筆の走りすぎを認めます。 少し俺の認識を言うと、日米交渉は1941年8月以降の日本側の主目的は当初のざっくりした「日米関係の改善」から、対日経済制裁の解除に一点集中している。これは石油禁輸を受けて9月には対米開戦にシフトしたからである。(帝国国策遂行要領の決定) 日本側の最後通告である乙案の内容は「南部仏印進駐前に戻るから経済制裁やめて」というものである。日本側のこの状況を指して言ったのが「日米交渉は対日経済制裁(禁輸)問題なので (略)」のくだりで正確さに欠けたレスだったね。
まあ、自慰史観では「アメリカが乙案を飲めば開戦は回避できた」らしいしねえ。
という認識の上で次レスに続く。
869(1): 10/13(日)17:42 ID:vJgJODmZ0(3/5) AAS
>>864
君のレスには重要な2つの視点が完全に欠けている。
・ 日米交渉の最大の争点はシナ駐兵問題である。
前に示した主要議題のうち、最大のネックはこれ。君のレスで少し違和感があるのは「支那事変の収束」とあるが、国際的に最も納得得られる解決策は「事変勃発前に戻る」ことである。ウクライナ戦争も含めて戦争勃発前に国際社会が求めることは大抵これである。甲案乙案すべて日本は事変前の状態に戻すことを拒否している。拒否したから米英は蒋介石を支援している。君のレスは立論が逆である。
・石油禁輸と対米開戦の関係
対米戦を覚悟した帝国国策要領の決定はその前月の対日石油禁輸を受けてのものであるのでこの2つは直接の因果関係にある。対米開戦決意のトリガーだった事実が抜けている。
経済制裁が無ければ開戦は無かった。絶対にないとは言わんが史実の因果関係から見れば起こりようがなかった。
対米英蘭開戦の目的はABCD包囲網の打破である。
ゆえに、
>支那事変を収束させる→援蒋ルートの遮断→欧米植民地への侵攻→植民地の独立→東亜共栄圏の確立が目的
省7
870: 10/13(日)17:46 ID:vJgJODmZ0(4/5) AAS
>>865
ここは俺の不勉強による知識不足のため867の回答を読んでから再度答える。このスレで俺が問題にしているのは国策と国会の意志である。
元ブラジル大使沢田節蔵と、井川忠雄は政府要人と接触をしているのでこの「原則協定」案が全く両名の妄想とは言わないし、現に日米諒解案の素案にもなっているのだが、君が紹介した東南アジア処理案がその後の政府交渉に取り上げられたとは俺は聞かないので
俺のレス文中の「交渉の議題にも争点にもなっていないのが「アジア解放」である。」の反証になっていないので考えは全く変わらない。
間違っていたら指摘してほしい。
871(1): 10/13(日)18:21 ID:vJgJODmZ0(5/5) AAS
あー 868も言うてるうちから筆の走りすぎがあるなw 訂正
>対日経済制裁の解除に一点集中している。
「一点集中」はしてないなw 対日経済制裁の解除を最大眼目にした。
だな。石油禁輸が戦争のトリガーだからねえ。
連投ついでに もいっちょ。
>日本側としては、これではいつまでたっても支那事変が終息させられないために、交渉は決裂したと自分は考えます。
多分君も承知の上で上を書いたと思うが、対日石油禁輸のあとに日本は急激に早期アメリカは
開戦へ舵を切った理由は、?石油の備蓄が2年しかなかったこと ?米国は1938年より日本をはるかに凌駕する海軍大軍拡をはじめており、日数を経るほど彼我の海軍力の差が広がること。?12月以降は太平洋は荒天が続き、開戦は来年春以降になること。
である。だから9月の帝国国策遂行要領では開戦は10月下旬である。ちなみに要綱では開戦理由は「自存自衛を全うする為」である。
何度も書くが、そもそも日本がシナから撤兵し1937年7月以前の状態に回帰しておれば
省1
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