南京大虐殺は史実★2 (519レス)
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25
(2): 08/30(金)22:34 ID:lg/z1clj0(5/8) AAS
ハイハイ、その中で実名の日記がいくつあるんですかねえw
そして殺害理由が書かれているのがいくつあるんですかねえw

ちなみに死体を片付けるのは虐殺ではありませんw

板倉由明氏はこう判断していますw

捕虜を江岸に連行した目的
「両角日記」(註39)は「捕虜を開放」と記すが、《《《小野資料集には、確実な「虐殺目的の連行」の証拠は記されていない》》》。捕虜を江岸に連行した真の目的が何であったかは、上級幹部しか分からない事項に属するから、上級幹部の日記を検討してみなくてはならない。
「本当はこうだった南京事件」p140

あった派は「スレが変わったら過去に書き込んだ事は全てリセットされて無かった事になる」とでも思っていないか?
省1
26: 08/30(金)22:34 ID:f9DBl6Gn0(1) AAS
>>14
当時は国際連合の国府追放・北京招聘の流れで台湾が日本政府からも外交断絶喰ってたから産経新聞社が歴史的実証性より反共ビジネス優先で編集進めたんじゃないの。

今のところは戦後に出た蒋介石回顧録が一次出典みたいだけどまあ、台湾政庁も大陸時代の資料整理進めてきたっていうからいずれ本人の日記原本まで開示されるかもしれないけど
27
(1): 08/30(金)22:39 ID:lg/z1clj0(6/8) AAS
ちなみに小野の日記からw

宮本省吾 陣中日記
十二月十四日
夜半又々衛生隊が二百余の捕虜を引率し来る、巡警二百余もあり隊長もあり相当訓練的にて人員をしらべる等、面白き事である、少佐とか参謀とか云ふ者もあり通訳より
「「「日本軍は皆に対し危害を与へず唯逃ぐる事暴れる様なる事あれば直ちに射殺する」」」
との事を通じ支那捕虜全員に対し言達せし為一般に平穏であった、唯水と食料の不足で、全く閉口した様である。

その後放火と脱走騒ぎが起こりましたw
結果日本軍は事前の警告に従い「最後の取るべき手段」が選択されましたw

唯の自業自得だwwwwww
28: 08/30(金)22:41 ID:60idtr+D0(6/7) AAS
>>25
清水潔のような一見でも正式に申し込んだら原本を見せてもらえたんだよ
何故仮名でも他の研究者から批判が出ないのか良くわかるだろ?
お前も原本を見せて欲しいと申し込んでみろよ
29: 08/30(金)22:42 ID:60idtr+D0(7/7) AAS
>>27
放火はお前の妄想な
放火があったという証拠を出してみ?
30: 08/30(金)22:47 ID:kIAMAkhf0(4/5) AAS
>>25
板倉由明氏は「本当はこうだった南京事件」に、このように書いている
南京事件では「虐殺即ち不法殺害の数は、およそ一万から二万であった、と結論する」と書いている
はい、論破w というより大自爆w
31
(1): 08/30(金)22:51 ID:lg/z1clj0(7/8) AAS
>>24
で?
14時の命令の記録は見つかったの?
旅団命令は?
連隊命令は?
肝心の大隊命令は?

12月13日の第一大隊の命令は全て連隊も大隊も「発令日時」「発令場所」「命令者」が記録されているんだけど?

14時の命令の「発令日時」は?
14時の命令の「発令場所」は?
14時の命令の「命令者」は?
省7
32: 08/30(金)22:52 ID:IvGkjAxV0(1) AAS
 
<  .com/fukuchin6666/status/1678397359602925568

  |fukuchin6666

たしかにネトウヨにかかったら林健太郎や半藤一利や秦郁彦あたりも左翼にされちゃうかもしれませんね。 アホは櫻井とか八木とか百田とか竹田みたいなのを保守言論人だと思ってますから。

     ―――

  LHqK83CIm2Y8AGf
省8
33
(1): 08/30(金)23:04 ID:lg/z1clj0(8/8) AAS
なんで板倉氏の考察のひとつを引用したら板倉説を全面肯定した事になるんだ?
それならお前らも肯定説のひとつを引用したらその肯定説を全面肯定する事になるがw

他人にそれを強要するならもちろん自分がそうされる事も認めるよなw

自爆とはこういう事を言うのだよw
34: 08/30(金)23:11 ID:kIAMAkhf0(5/5) AAS
>>31
>「悪魔の証明」を相手に要求するのは議論からの逃亡以外の何物でも無いw

あほw 
悪魔の証明の意味を知ってるか?
南京事件はあった証拠があるから、悪魔の証明なんて関係ない
何が議論からの逃亡だ? 逃亡するのは証拠がない、おまえだ

>>33
この場合の肯定説は南京事件はあったという説だ
ちなみに、犠牲者数は不明だ
じゃあ、おまえは板倉の本を使うなよ
35
(1): 08/31(土)02:13 ID:0Xva1vcV0(1/4) AAS
前スレ
>>999
>さて、「郷土部隊奮戦記」が正しいのであれば、「115i配属の軽装甲車中隊(小倉第五大隊)wと共闘した」と書かれた「第一大隊戦闘詳報(偽)w」の唯でさえゼロに等しい信頼性が更に地に堕ちてマイナスレベルまで落ち込むわけだがw

相変わらず、意味不明の主張を述べているようですが…

戦後証言と一次史料である戦闘詳報を比較すれば、戦闘詳報の方が真実性が高いと考えるのが普通です。

一一四師作命第四十九号(十二月二日午後七時/於宜興)でも、戦車第五大隊が第百四師団に配属されていることが確認できます。
そもそも115i【第三大隊】(←部隊名は正確に)戦闘詳報に記述されている「戦車隊(戦車第二聯隊長細見中佐指揮)」こそが不正確で、この戦車隊は戦車第五大隊(長・細見中佐)です。
独立軽装甲車第六中隊(長・井上中尉)は正確な記録はないようですが、井上中尉の記述によれば、当時は第六師団右翼に配属されており、中華門正面を中心に布陣していたとのこと(このときの模様は写真撮影され、報道されている)です(『戦車第十三聯隊史』)。

これらの史料から判断すれば、共闘した軽装甲車隊を独立軽装甲車第六中隊とした小宅曹長の証言こそが誤っており、66i戦闘詳報の方が正しいと考えるのが普通です。
小宅曹長の証言は戦後の証言ということもあり、戦闘詳報と比較すれば『奮戦記』にしても『城壘』にしても史料価値は低く、特に『城壘』は記憶の変質が見られる上、南京事件否定論者である阿羅氏のインタビューであることから、否定論に有利に証言している(もしくは誘導されている)可能性も考慮する必要があるでしょう。
省8
36: 08/31(土)02:15 ID:0Xva1vcV0(2/4) AAS
一応、これも張っておきましょう。

>>995
>>田波分隊長の場合は、所属小隊は記載がなく、単に「分隊長」となっています。にも関わらず「田波分隊長は第3小隊の分隊長」としたわけですから、K-K氏のサイトは根拠になりません。
>とうとうKKのHPはあった派にも否定され、根拠にならないと認められましたw

K-K氏のサイトが、田波伍長を単に「分隊長」としかしていないから、K-K氏のサイトは根拠にならないのですよ。やり直しですね。

>隊長クラスが戦死して分隊長も所属小隊をコロコロと変わったとでもw

田波伍長は小宅曹長と同様に本来は中隊指揮班所属なのですから、そもそもが第3小隊の所属ではないのですよ。
田波伍長が所属小隊を変わらずに12月12日・13日にいたという根拠はみあたりませんが、あなたにはそのことを示す根拠はないのですね?
省22
37: 08/31(土)02:16 ID:0Xva1vcV0(3/4) AAS
もう一つ。

>>996
>実際は『城塁』に記載されていないだけで、戦闘では井上戦車隊長と共闘した結果中国兵を投降させる事ができたと判断できるw
>つまり『城塁」で行われた打ち合わせとは「小宅曹長の第4中隊」と「井上戦車隊長の軽装甲車第6中隊」の得た「投降した中国兵」という戦果に対するものと判断できるw
>時系列がおかしいのではなく「中国兵が投降してきたのに井上戦車隊長との共闘が発生する」という考え方がおかしいw

ちょっと何が言いたいのか意味が分かりませんが…。
軽装甲車隊という特質上、捕虜を連行するわけにも行かないのだから、投降兵の処置を歩兵部隊がするのは当然で打ち合わせるまでもありません。一体、何を打ち合わせたというのでしょうかね?
普通に考えれば、『奮戦記』(1983年)に記載された井上隊長との話し合いは共闘のためのものであり、『城壘』(1990年)にはその記憶が変質し、投降兵の検問中の出来事に入れ替わったと考えるのが自然でしょう。
38
(1): 08/31(土)09:27 ID:AtSXh1Rr0(1/3) AAS
>>35
>そもそも115i【第三大隊】(←部隊名は正確に)戦闘詳報に記述されている「戦車隊(戦車第二聯隊長細見中佐指揮)」こそが不正確で、この戦車隊は戦車第五大隊(長・細見中佐)です。

戦闘詳報が不正確だと自分でも認めているようですがw
不正確な戦闘詳報で何が判断出来るんですかねえw

>独立軽装甲車第六中隊(長・井上中尉)は正確な記録はないようですが、井上中尉の記述によれば、当時は第六師団右翼に配属されており、中華門正面を中心に布陣していたとのこと(このときの模様は写真撮影され、報道されている)です(『戦車第十三聯隊史』)。

>これらの史料から判断すれば、共闘した軽装甲車隊を独立軽装甲車第六中隊とした小宅曹長の証言こそが誤っており、66i戦闘詳報の方が正しいと考えるのが普通です。

第115連隊の戦闘詳報でさえ不正確なのですがw
「66i戦闘詳報の方が正しい」とはとても判断出来ませんよw
なにしろ第六師団右翼の中華門は正に第66連隊の攻撃箇所なんですがw
省16
39: 08/31(土)09:31 ID:AtSXh1Rr0(2/3) AAS
「KKのHPは根拠にならない」と言っているのに「根拠はKKのHP」w

あった派がやっている事はコレw

バッカじゃねーのwwwww
40
(1): 久しぶりのカキコ 08/31(土)11:41 ID:0UMrG5u60(1/3) AAS
>>23
国際法の素人判断に意味あるの?www
東京裁判ですら違法認定してないし
受諾した日本政府も戦闘員(捕虜)殺害は南京事件として扱ってないよwwwww

> 日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。
41: 紀州人 [D1a2-D4] 08/31(土)12:19 ID:OlPjkmc70(1) AAS
まだやってんのか?
42
(1): 08/31(土)12:54 ID:hu2Smjr10(1) AAS
>>40
> 国際法の素人判断に意味あるの?
何言ってるのかよく分からんけど歴史研究者の判断はお前の妄想の2億倍は意味あるよ

> 東京裁判ですら違法認定してないし
步66の戦闘詳報は東京裁判時は隠されてたのにどうやって明るみに出すんだ?

> 受諾した日本政府も戦闘員(捕虜)殺害は南京事件として扱ってないよ
捕虜殺害は戦闘詳報という公文書に記載のある公知の事実なんだから日本政府がわざわざ歴史問題Q&Aで言及する必要がないんだよ
43
(1): 08/31(土)13:23 ID:0Xva1vcV0(4/4) AAS
>>38
>戦闘詳報が不正確だと自分でも認めているようですがw
>不正確な戦闘詳報で何が判断出来るんですかねえw

史料において完全無欠で正確なものがあると思っているのでしょうか?

>第115連隊の戦闘詳報でさえ不正確なのですがw
>「66i戦闘詳報の方が正しい」とはとても判断出来ませんよw

判断根拠の「これらの史料」→一一四師作命第四十九号、115i第三大隊戦闘詳報、『戦車第十三聯隊史』

>時間的、場所的に第3中隊を援護し前進していた第4中隊が独立軽装甲車第六中隊と共闘しても不自然ではありませんねw
省6
44
(3): 久しぶりのカキコ 08/31(土)17:06 ID:0UMrG5u60(2/3) AAS
>>42
戦時の軍事行動の違法認定は戦時国際法の分野ww
歴史学者の出る幕ではないし国際法学者の違法認定の見解はこれまで見たことないんだがwww
所詮は国際法の素人の判断でしかないってことねwww

東京裁判にしても捕虜殺害全般で違法認定はしていないwwwww

政府答弁で関係者の証言、事件の史料、防衛省の戦史叢書(便衣兵掃討や幕府山事件も記載w)等の判断からの
南京事件の見解なので戦闘員(便衣兵捕虜)殺害は除外されたという事ですよwwwwwwww
ついでに日本軍の違法行為があったとも認定してないからねwwwww

【#国会中継】参議院 決算委員会 〜令和5年4月3日〜
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