安濃豊の戦勝国は日本だったについて Leg2 (296レス)
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265: 11/23(土)08:55 ID:GSPENwh40(2/3) AAS
これを見ると、汪兆銘の南京国民政府も当てはまりそう。

Wiki汪兆銘政権
対英米参戦と主権の回復・大東亜会議

東條英機と汪兆銘(1942年12月)
1942年11月1日、日本では大東亜省が正式に発足した[6][34]。
12月25日、訪日中だった汪兆銘は総理官邸で東条英機と会談し、
日本占領下の上海や南京でいかに汪政権が民衆から
信頼されにくいかを訴え、日本側の善処を求めた[6]。

結局、汪政権も枢軸国側として参戦することとなった[6][35]。
民国32年(1943年)1月9日、汪兆銘を首班とする南京国民政府は
米英に対し宣戦布告した[6][35]。
同時に日本との間に、日本が中国で保持していた専管租界の
返還と治外法権の撤廃に関する協定を締結した[36][37]。
日本側は両国の提携拡大によって汪兆銘政権による
中国の「物心両面の総動員」が日本の戦力整備に寄与することを
期待したのである[36]。
この件について、翌日の『朝日新聞』は「中国の実質的な自主独立が
達成された」と報じた[36]。

※米英に対し宣戦布告した
※日本が中国で保持していた専管租界の返還と治外法権の撤廃に関する協定を締結した
※『朝日新聞』は「中国の実質的な自主独立が達成された」と報じた

憲法はあるのかな? あると思うけど。

ビルマも米英に対し宣戦布告してますね。
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