[過去ログ] 精神科医(とおぼしき方)に質問ですpart63くらい (730レス)
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677: 昼ライト点灯虫マニャデチLGBTQ性欲欠落アスペ300系3重障壁バセドウ綿飴箸JAL123 2023/08/21(月)21:21 ID:4ssotdMK(3/6) AAS
■店を広げても売る品が不足で知恵を絞る日々

 ここから、安売りの消耗戦が始まる。トップ1号店は、東武越生線の武州長瀬駅から歩いて10分弱。宅地開発が急速に進んでいて、けっこう売れた。そんななか、隣の家具屋が店を閉めるので借りないか、と言ってきた。床が長く80坪もあり、合わせれば100坪。当時としては、長大な売り場になる。すぐに、借りると決めた。

 でも、今度は、売るものが足りない。流行っていたファミコンのゲームソフトを仕入れてみると、単価が高いのに、すぐに売れて「すごいな」と思う。
家電製品には、いわく付きの商品を安値で取引する「バッタ屋」と呼ぶ流通経路があり、そこに目をつけた。街を歩いてよさそうな食品などを置いた店があると、飛び込んで問屋を尋ねる。いい情報があれば、取引の交渉へ向かう。そんな日々を重ね、家電製品やカーペット、飲料や菓子など様々な商品を並べた。
このころから、「ドラッグストア」というビジネスを意識して品揃えを考え始める。

 83年、埼玉県の薬の販売業者の協同組合で、理事長になる。加盟店の大半は小さく、みんなの仕入れ数を集めて価格交渉権を強め、安く買う共同仕入れが役目だ。
月2回、夜8時ごろに川越市の事務所に集まり、大学教授らを招いて勉強会も開く。終わると、会員同士で意見を交わし、さらに、飲みに出て議論を重ねる。そこで「100坪くらいの店にして、食品や菓子、飲料なども置かないと、古い薬局のビジネスモデルのままでは、やっていけないぞ」と、指摘する。

 予想は当たり、20世紀が終わるまでに古い「パパママストア」タイプの薬屋は、ほぼ淘汰された。そして、自らが進んだ安売り合戦にも、限界がくる。

 安く売るには、安く仕入れなければならない。それには、相手が歓迎する現金取引にした。でも、思ったほど安くならないから、資金繰りが厳しい。やがて、小さな商店を守るためにあった大型店の売り場面積規制が緩和され、周囲に90坪くらいの店が増えた。どこも安売りが勝負。対抗するため、酒類の販売免許も取り、売り場や売り上げの約半分が酒類になっていく。

 86年、埼玉県坂戸市浅羽野にトップ2号店を開く。近くにドラッグストア「コア」があり、のちに合併することになるが、当時は激しく安売りの競争をした。すると、「コア」の約100メートル先にもドラッグストアができて、狭い商圏に3店という激戦区。消耗戦が続く。
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