こども・思春期メンタルクリニック (112レス)
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: 2022/05/05(木)23:53
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48: [sage] 2022/05/05(木) 23:53:12.17 ID:95hX1zYz 今や、怪物的な狂気は「自由意思」を伴わないという理由で「法」の外部に放逐される(刑罰免除)ことはない。 精神鑑定の導入は、法の対象を行為から行動様式へ、犯罪から存在様式へと移行させることを可能にし、 そしてその存在様式をまさしく犯罪そのものとして出現させる[13]。 リストによって、「刑罰の目的は法益保護にあり、犯罪予防機能にある」と主張されるとき、 また医学的知と司法的知が折り重なる制度的混成が形成されるとき、そこにおいて差し向けられるもの、 それこそが「危険」、そして「倒錯」である。 そうした制度の全体は、危険人物という、正確には病人でもなければ文字通りの犯罪者でもないようなものに対して差し向けられます。 精神鑑定において、鑑定医が診断を下すべき対象、すなわち、その尋問、分析、診断において鑑定医が対決する相手とされるのは、危険となりうるような人物です。 したがって、互いに向かい合い、互いに極めて近接した二つの概念があるということになります。 すなわち、一つは「倒錯」という、医学的な諸概念の系列と法的な諸概念の系列とを縫い合わせる概念であり、 もう一つは、「危険」ないし「危険人物」という、医学的かつ司法的な諸制度の間断なき連鎖の存在を正当化し理論づける概念です。危険と倒錯。 これらの概念こそまさしく、法医学鑑定のいわば本質的な核であり、理論的な核である、と私は思います。[14] 治療という医学的審級から監獄そして極限においては死刑という刑罰制度へと至る連続体が社会全体を貫いたときに現れるカテゴリー、 それこそが「危険人物」なのである。前々回で述べたことの繰り返しになるが、非行者は、リスクという観点から、 すなわち社会にとって「危険」な人間であるか否かという観点から分析と解釈の対象となるのである。 社会は異常者たちから防衛されなければならない http://s-scrap.com/3697 https://archive.ph/YzXm2 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/hosp/1641903605/48
今や怪物的な狂気は自由意思を伴わないという理由で法の外部に放逐される刑罰免除ことはない 精神鑑定の導入は法の対象を行為から行動様式へ犯罪から存在様式へと移行させることを可能にし そしてその存在様式をまさしく犯罪そのものとして出現させる リストによって刑罰の目的は法益保護にあり犯罪予防機能にあると主張されるとき また医学的知と司法的知が折り重なる制度的混成が形成されるときそこにおいて差し向けられるもの それこそが危険そして倒錯である そうした制度の全体は危険人物という正確には病人でもなければ文字通りの犯罪者でもないようなものに対して差し向けられます 精神鑑定において鑑定医が診断を下すべき対象すなわちその尋問分析診断において鑑定医が対決する相手とされるのは危険となりうるような人物です したがって互いに向かい合い互いに極めて近接した二つの概念があるということになります すなわち一つは倒錯という医学的な諸概念の系列と法的な諸概念の系列とを縫い合わせる概念であり もう一つは危険ないし危険人物という医学的かつ司法的な諸制度の間断なき連鎖の存在を正当化し理論づける概念です危険と倒錯 これらの概念こそまさしく法医学鑑定のいわば本質的な核であり理論的な核であると私は思います 治療という医学的審級から監獄そして極限においては死刑という刑罰制度へと至る連続体が社会全体を貫いたときに現れるカテゴリー それこそが危険人物なのである前回で述べたことの繰り返しになるが非行者はリスクという観点から すなわち社会にとって危険な人間であるか否かという観点から分析と解釈の対象となるのである 社会は異常者たちから防衛されなければならない
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