[過去ログ] 陣頭指揮突貫 日大の山田顕義と慶応の福沢諭吉、早稲田の大隈重信との違いは血みどろの戦いを [無断転載禁止]©2ch.net (84レス)
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65: 2017/08/18(金)17:20 ID:iyQX01H8(1) AAS
ここからは本学の胸像が誕生した経緯について振り返ります。
ボアソナード25回忌を控えた1934年4月、パリにおいて杉山直治郎(東京帝国大学教授)、楢橋渡(弁護士。後に内閣書記官長、運輸大臣などを歴任)、城戸又一(大阪毎日・東京日日新聞〈現・毎日新聞〉特派員)ら在仏日本人の発起の下、佐藤尚武フランス大使、
エドガール・アリックスパリ法科大学長賛助によって「ボアソナード教授記念事業」
が始まりました。
日本においても直ちに広田弘毅外務大臣、小山松吉司法大臣(後に本学総長)を中心に発起人委員会が設立され、各省庁、法政・東大などボアソナード所縁の各大学、
日仏協会および日仏会館、大阪毎日・東京日日新聞などが参集し、寄付金総額一万五千二百六十円を集めました。
このような日本での活動を受け、パリでは佐藤大使、アリックス法科大学長、アンリ・キャピタン教授を中心に
「ボアソナード教授胸像除幕式挙行委員会」が設立され、同委員会は当時フランスで活躍していた彫刻家フェリックス・ベヌトー(FelixBenneteau)に胸像制作を依頼しました。
ベヌトーは原型とパリ大学に設置するための胸像を制作し、1934年6月27日、パリ大学大廊下にて日仏両国300人ほどが参列する中、除幕式が挙行されました。
除幕式では、佐藤大使が日本の発起人委員会の名において胸像を寄贈。さらに日仏各教授陣によってボアソナードの功績を称える演説がなされました。この胸像は今日も、パリ大学の廊下に設置当時のまま置かれています。
なお、この時に残った寄付金は、アンチーヴにあるボアソナード墓所の保存および修理費用に充てられました。
外部リンク[html]:www.hosei.ac.jp
画像リンク[jpg]:www.hosei.ac.jp
(左)1934年6月27日、パリ大学で行われた胸像除幕式の一場面。
演台に立っているのは、アリックス法科大学長
(右)東京地方裁判所にボアソナードの胸像が設置されたことを伝えた、
1913年6月16日付の東京朝日新聞に掲載された写真
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