法政大学について語ろう 【Part.16】 (977レス)
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575: 09/11(水)10:42 ID:FUO8S28E(1) AAS
【法律学校開校の歴史】

1880年 4月 東京法学社 (現・法政大学)
1881年 1月 明治法律学校(現・明治大学)
1882年10月 東京専門学校(現・早稲田大学)
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1885年7月 英吉利法律学校(現・中央大学)
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1889年  日本法律学校  (現・日本大学)
1890年  慶應義塾専門学校(現・慶應義塾大学)

◯法政大学初代総理
梅謙次郎
『日本民法の父』
・民法典・商法典 起草者
・リヨン大首席。リヨン大学で博士号をとった論文は現在でもフランス民法の解釈論として通用している。
・伊藤博文は民法三博士さえ「穂積君」「富井君」呼んでいたが最年少の梅博士だけは「梅先生」と呼んでいた
・昭和以前に切手の題材となった唯一の日本人法学者。
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◯法政大学初代校長
箕作麟祥
『法律の元祖』『日本近代法学の祖』
「憲法」「権利」「義務」「民権」「不動産」「動産」「国際法」などは彼の訳語
・日本初の博士号取得者の一人
・箕作が訳したフランスのナポレオン5法典と憲法をまとめて「仏蘭西法律書」とし、それを「六法」と呼んだのが始まりだとされる。
・蕃書調所(東京大学の前身)主席教授職(今の総長格)に任命され、その基礎を確立する。
・大隈重信:「日本の従来の法律、若しくは、行政の上に付いての思想を一変して、さうして、欧羅巴の法律行政と云ふ思想を、役人の間に導いた」
・文部省学制の起草委員長ともいうべき地位にあって、主導的役割を果たした。
・統計学の本を翻訳した日本初の「統計学」の本を出版
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◯法政大学初代教頭
ギュスターヴ・エミール・ボアソナード・ド・フォンタラビー(Gustave Émile Boissonade de Fontarabie)
『日本近代法の父』『法政大学の学祖』
・明治初期に来日したお雇い外国人の一人。幕末に締結された不平等条約による治外法権に代表される不平等条項の撤廃のため、近代日本の国内法の整備に大きな貢献を果たした。
・教え子は明治大学、関西大学を創設。

卒業証書にボアソナードがついた印
「愛人而勿害人(人を愛して、人を害する勿れ)」
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